結果

武術を用いて、社会に役立てる、生き残って生き遺るを掲げてちょくちょくこちらで書いております。
必要とされる人に必要とされれば幸いであります。

タイトルに掲げました結果ですが、武術は結果であります。
武術はテロと申しました通り、結果と同じです。

武術をやるなかで過程を非常に大事にします。
が、そのやってる武術ができるかできないかは、結果です。

非常に簡単な事でして、要するに
『じゃあ、何かやってください』
と言って何にも動けない場合、それが結果です。
いくらその道何十年とやってようが、ピクリとも動けない場合、それが結果となります。

武術の場合ですと、間合いをあけて立ちます。特に何にもせず、立って、なんか仕掛けてみて下さいと言うわけです。
しかしながら、いやいやそんな間合いじゃ動けないとか、いやいや、そんなことはできないとか。
そんなのは、何を後で申し上げましたとしても『言い訳』でしかありません。
相手を自分の都合よく動かす事はできません。
自分が有利に動けるのは、有利になるように動くからです。
更に、相手をどうにかしたいなら、自分が動かないとならないわけです。
自分が変わるとか、自分がそうゆう働き、動くほうがよっぽど早く、自分で動けるわけです。

相手を陽としてこちらが影になる、という感じです。
そもそも変わらないようなものを変えようとするだけ時間の無駄でもあります。
だったら変えることのできるような事をするとか、自分が別のところにいくとかすればいい話です。

無理矢理やる方も当然いますし、押し通してやってきた、正々堂々正面から!と言う方も当然いらっしゃいます。
何が良くて何が悪いなんて事は全てにおいてあんまり意味はないような気がしますが、そんなものは自分の判断だと思いますが、私の場合はしません。
ぶつかるのは『非常に疲れてめんどくさい』からです。

わざわざ疲れるように自分を持っていく必要もないかと。

また人は思いや心によって動いて表現に至ります。
いきなりご飯を食べ出すとかいきなり外に飛び出るなどはほとんどないと思います。
何かがあるから、何かが動きとなるわけで、結果になるわけです。
過程をすっ飛ばしていきなり結果が出るわけないわけです。

要するに自分は自分でないと動かせないわけで、更に言えば、思わないと何にも動かないわけです。
自分で何にもできないししない人がああしろこうしろというのは、どれだけ素晴らしい言葉であろうと全て『文句』になります。

それがその人の全ての結果で、それ以上以下もありません。
出てきたものは結果です。
経歴や肩書きがすごかろうと、もてはやされていようといまいと、結果は結果です。
変えようとしたら言い訳ですし、うだうだいうなら文句です。
それだけです。

武術としてはそういった見方というか、そう捉えるという感じです。
非常に冷たい感じはあると思いますが、事実を捉えたわけですので、暖かいも冷たいも別に存在すらしません。
そういった感情論を唱えられても知ったこっちゃないわけです。
あ、そうですか。としか言いようがありません。

文は多少長いですが、シンプルな内容であるように思います。
要するに自分がなにをどうやっていくのか、どうしたいのか、自分で自分をどう導くのか。

正解というのは存在するはずがありません。
正解があるのであれば地球上の人間は全く同じ動きしかしないと私は思います。

どうしたらいい?というより、どうしたらいいのか調べてみてやってみて、ダメならまた違うのやってみよう
の方がいいと思います。
一発で全てうまくいってエリートと言われてる人よりもトライアンドエラーを繰り返して、複利的に過程を積んで結果出してる人の方がよっぽどいいと私は思いますが、いかがでしょうか。

これらも全てそうしたいならそうすればいいし、嫌ならしなくていいわけです。
必要とする人が必要として、自分で判断したらいいのです。

という感じで、この辺で。
ではまた。

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