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【明け六つと暮れ六つ】明るい日中を活動の時間とする合理的な時間の考え方


 冬至が近づき、日が短くなった。日が西に傾いたかと思うとあっという間に暗くなる。午後5時半にはもう真っ暗。ついこの間までは明るかった時間帯である。

 そこで思い出したのが江戸時代の時の刻み方だ。現代は「定時法」といって、1日を24等分し、それを1時間としているが、江戸時代は日の出の少し前を「明け六つ」、日没の少しあとを「暮れ六つ」として、その間を6等分して一刻(いっとき)とした。季節によって明け六つと暮れ六つの時刻が変わるので、当然一刻の長さも変わる。これを「不定時法」という。電灯のなかった時代、やるべきことはできるだけ明るいうちに済ませるための工夫だったのだろう。

 江戸時代にはロウソクは贅沢品で、大名屋敷や高級料亭、遊郭といった場所でしか使われておらず、庶民の明かりはもっぱら行灯だった。行灯の光はとても暗く、部屋をうっすらと照らす程度だったから、暗くなったら何かとやりづらい。旅をする人も明るいうちに宿に入り、風呂も夕餉も済ませてしまわないと、勝手がわからず不便極まりなかったことだろう。暗くなったら寝るだけだ。「月夜の晩ばかりじゃないぞ」という脅し文句も、当時の夜がいかに暗かったかをよく表している。月明かりは本当にありがたかったに違いない。

 太陽が出ている間を活動の時間とするというのは、体に負担をかけず、現代のように時間に追われることのない、ゆったりと穏やかな生活だっただろう。照明にエネルギーを消費することもなく、エコな暮らしである。生産性や効率最優先の考え方にはそぐわないかもしれないが、季節の移ろいに沿った時の刻み方には憧れる。明るかろうが暗かろうが、時間を忘れて働き続けるのは現代に生きる人間だけだ。

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