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コロナに罹ったとは思っていなかった。

ある日の夕方。身体が何やらだるいなと感じて体温を測ったら38.0℃の熱。夕飯を早めにすませて風邪薬を飲んで横になった。翌日になったら熱も下がっているだろう。単純にそう思えるほど熱の高さの割に倦怠感や身体の重さのようなものも全く感じてはいなかった。

翌朝の7時ごろ体温を測る。36.8℃。平熱に戻っている。

念のため、発熱外来の対応している病院へ行き受診する。近所の病院の中では新しく施設も整っていてPCR検査もしてもらうことのできる病院だった。

「季節の変わり目だし風邪を引いたんだと思いますよ。しかし念のためPCR検査もしておきましょうか。ここ。同意書にサインをお願いします」

陽性だった場合保健所と連携を取るために、連絡先やら諸々書かされる。

防護服というには割と簡単な格好で、N95サージカルマスクの上からフェイスシールドをつけた看護師さんが私と向い合わせにならないような態勢から鼻の奥の検体を採取するために長めの棒を突っ込む。

棒先が鼻腔の奥の方まで入り、刺激で涙目になる。

「はい。終わりましたよ。」看護師さんからの説明によると夕方頃に連絡と言われたが、お昼には結果の連絡が病院から入った。

「陽性です。保健所から連絡が入ると思いますので、行動履歴やメモなどを準備して待っていてください。」

急転直下。陽性という言葉の意味は分かっているが自分の中に全く入ってこない。会社に即連絡を入れ陽性の旨を伝える。濃厚接触者の可能性のある同僚を伝え迷惑をお掛けしますとひとしきり謝る。同居の家族には私になるだけ近づかないよう、同時にPCR検査があることや、保健所から別途連絡があったり、サポートできる親戚や友人に連絡を取ってほしい旨など伝えた。保健所から連絡が来たら、スケジュール帳を引っ張り出した。発熱のあった前後数日間の行った場所、誰と会って話たりしたか、職場の感染症対策の状況はどうであったか、など、所謂濃厚接触者の判定とその可能性のある人物の洗い出しが進められる。保健所から関係各所のやり取りはトータルで2時間から3時間くらいだったろうか。そうこうするうちに夕方がきて、家族のPCR検査のためのお迎えが保健所からきて、私は再度病院でレントゲン撮影を主な目的に診察を行うことになった。家族と私は当然別行動となる。

保健所からの車が家まで迎えに来た。保健所の方は防護服に身を包んでいる。

パルスオキシーメーターを保健所の方から預かって指にはめたまま病院へ移動する。数値はSpO2=96あたりを示し続けている。病院ではオープンエアな場所に椅子がちょこんと置いてあり、そこで待機した。私の他に50代くらいの女性が先に虚ろな表情で診察場所と思われるところから出て来た。

気分に見合うかのような夕方薄暗い曇天で、血管を流れる酸素と一緒に身体の熱が奪われた。

ビニールシートに覆われたMRIに入り撮影を行うと肺に陰影があると伝えられた。カロナールなる解熱剤と肺炎を抑えるステロイド剤といくつかの薬を貰い、その日は自宅療養となった。

家に着くとバナナを食べて薬を服用して布団に潜り込んだ。パルスオキシメーターの明かりが煌々と感じる。何かあった時に救急の連絡は取れるようにだけは心掛けた。SpO2を見ながら、なんとか呼吸を意識しながら、それもひどく疲れていて眠りに落ちる。

21時ごろに一旦目を覚まし、慌てて指の酸素飽和度の値を見ると80まで数値が落ちている。深呼吸を繰り返し、その度に数値が戻っていくのを確認し、胸をなで下ろす。両手と顔あたりが痺れがあってビリビリ痛む。恐怖心を掻き立てられる。話せるくらまで落ち着いた時点で一旦保健所に電話を入れた。

「翌朝入院できるように手はずを整えています。うつぶせの方が呼吸しやすい場合があります。呼吸しやすい体勢をうまく見つけて今日はなんとか耐えてもらうしかありません」

頭には救急車の要請も過ぎったが、呼吸でなんとか血中酸素濃度も戻って来ているのでそのまま耐えることにした。しかし、肺炎の影響か背中も熱を持ってきしきしと痛んだ。睡眠が長くなってしまったらこりゃ戻ってこれんかもな、と思った。気持ちを柔わらげるためにリラクゼーション系の音楽を緩くかける。音に合わせて、出来るだけゆっくり深く息を吸おうとする。それだけでなんとか朝まで持ちそうな気がしてくる。なんとか眠りに落ちずに朝まで。そのことだけ考えながら朝まで過ごした。夜が明け朝日が昇る頃になると幾分心持ちが軽くなった。朝方もう一度保健所へ連絡を入れると朝10時には入院出来ると返答を貰う。入院の荷物を家族に手伝ってもらって早急に纏める。

保健所から迎えの車が来てコロナ対応の病床に入った。SpO2は90台前半を推移している。病室に入ってすぐ、酸素吸入を行う。それだけで顔や手にあった痺れが徐々に取れてくるのが分かった。コロナ対応の薬を投与したいが、家族の同意が必要で、家族は濃厚接触者なので、病院には入ることが出来ない、というヘンテコな事案もあった。仕方ないのだろうけど、親戚に連絡を取り代わりに同意書にサインをしてもらう。ベクルリー(検索するとレムデシビル=エボラ出血熱で菌を抑える薬が出て来る)の点滴が投与される。薬が効きだしたのか楽になったような気がした。

そこからは、食事、薬、寝て起きる、を繰り返した。酸素投与があるけだけで随分気持ちは軽い。他に誰かうつしてないかということや、きちんと治るだろうかということが気がかりで寝付けない。咳がほとんど出てないが、痰が常に絡まっていがいがしている。

二日目の朝酸素投与と薬、精神的な解放もあって身体が少し楽になった。パルスオキシメーターは病院の心電図と一緒にモニタリングする機械へと変更されていて、そちらの数値も随分改善されていることが看護師さんから伝えられた。お昼頃には酸素投与もなくても大丈夫なほどに回復できた。

合間に家族に連絡を取り自らの状況の説明や自宅療養で変わりがないか話したりした。

それからは薬の副作用が出て全身が痒くなったり、異常に喉が乾いたり、時々心電図が異常を示したりといったことが起こった。色々出つつも本人の感覚的には割に動けるから不思議だった。日に日に症状が軽く改善している実感があったからかもしれない。

三日目に入ると医師の先生の方からも退院に向けた調整の話が入って来た。実質経過観察だ。

入院して五日退院の段階に入った。他人に移したりしないか?大丈夫?と先生の方に確認をとると、ここまで来るとほとんど感染力を失っているから大丈夫です、との返答を得た。発症日がいつからか?というのが大事なのと、血液検査を行なっているので、その数値を見ての判断が大きいようだった。

痛んだ肺の状況と異常のあった心臓の心房細動、味覚障害と嗅覚障害、どれもコロナの代償としたら小さくはないが、とりあえず回復していることに喜びを感じた。後は様子を見ながら一週間ほどの自宅療養期間に入った。


気になる情報をついSNS上など検索などして探してしまうが、時々流れて来る「コロナなんてマスコミの嘘さ〜ワクチン?製薬会社の陰謀だろ???(謎)」「コロナはただの風邪」と矮小化してしまうような言説に触れてしまうとひたすら眉をひそめたくなる気分にさせられる。

コロナに罹った今となっては、毎日流れる本日の新規感染者数は〇〇人でした。というニュースですら、同じような経験をしているかと思うと心苦しい気分にしかならない。

風邪でこんなクソめんどくさいことになんかはならないし、なってたまるかという気分だ。そして二度となりたくないし、どんな人にもなって貰いたくもない。ならないほうがいい。

「憂の国に行かんとするものはこの門をくぐれ。
永劫の呵責に遭わんとするものはこの門をくぐれ。
迷惑の人と伍せんとするものはこの門をくぐれ。」

>「倫敦塔」-夏目漱石
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1076_14974.html

夏目漱石は短編小説「倫敦塔」の中で「地獄の門」にある言葉をこう訳したらしい。

コロナ禍に入って2年近くが経とうとしているが、いまだにソーシャルメディア上では陰謀論のようなこの手の話が消えることがない。こんな田舎の香川ですらノーマスク運動のようなアホみたいな活動があったとか耳に入って来る。個人の自由な範囲でどう捉えようとは幾分構いもしないが、そういう活動で健康や命のリスクに晒される事態を招く。本人にとっては何かに「目覚めて」いるのかもしれないが、その方が確実にいるのと思われるのは寧ろ地獄の門だ。

不織布マスクはしろ。人に迷惑がかかる。自分もなるリスクは高まる。飛沫感染から逃げろ。コロナになると大変だぞ。健康や命は帰ってこない。逃げておけ。頼む。その地獄の門を通りたくなければ。



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