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「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」に見る自立と依存

「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」(町田そのこ作)という本を手に取った。

読み進めていくと、登場する人物たちの多くが、家庭環境が特殊だったり、特性を持っていたりすることが分かる。

そういった中での生活模様に、読者である私も想いを巡らすのだが、時折、私自身が毎日教室で接している子たちを登場人物に重ねているのに気づく。

自分の気持ちを調整するのが苦手だったり、学校に馴染めなかったり、家庭内で味方は祖母だけだったり、人間関係を選べず逃げ場がなかったり、あるいは自分の性自認で葛藤を抱えたりといったことは、まさに目の前の子どもたちに起きている現実そのものだ。

このような子たちに、どんな寄る辺があると期待できるだろうか。反射的には、環境が現状のままだと頼れる先は多くはない、と感じてしまう。

当事者研究をされている熊谷先生は、「自立とは『依存先を増やしていくこと』」と述べていた。まさにそうだと強く頷く一方で、依存先が少ない中でもなお、「自立」しなければならない人はどうすればよいのだろう。

そんな疑問に答えるように、この本では、タフな環境でも、立ち上がっていく様子がいくつも描かれていた。

依存先の種類

熊谷先生は、依存先にはパターンがあると言う。

依存できるものって4種類くらいあるのかなっと思っていて。
一つは、物質ですね。
二つ目が、自分の肉体ですね。
三つ目が、自分と対等でない人間関係。
四つ目が、対等な人間関係。

世の中の依存先をこの4つに分けたときに、私が依存症という苦労を抱えている方から当事者研究で教わったのは、この四つのポートフォリオのバランスが、自分と対等な人間関係に極端に依存しにくくなって、残り三つへの依存の度合が増えすぎた状態を、依存症と呼ぶんだと(いうことです)。

『WEEKLY OCHIAI』 本当の「自立」の意味、知ってますか?

この言葉から、健全な自立のためには、対等な人間関係への依存の割合が重要であると言えるのではないだろうか。

そして、「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」のエピソードの中でもそうだった。(かりそめでも)隣にいた人たちに支えられ、立ち上がっていったように、読める。

もちろん、たとえ支えてくれた人たちであっても、全面的な依存先にはなり得ない。そもそも他人とは、状況も異なるし、利害も異なる。100%理解し合うことは不可能で、誤解・誤読・誤配はつきものだ。

それでも、(特に対等な)関係性の中で、「目が合う瞬間」「触れ合う瞬間」「ただ共にいる時間」「ちょっとした共感」「ちょっとした一言」などがその人の支柱になっていくのかもしれないという解釈で、現実への像が結ばれる感じがした。

良い依存先が自然と生まれてくるような社会がいいなと願い、そんなきっかけを作れるように私も実践し続けたいなと思った。

そうしたら、立ち上がる瞬間に遭遇できるかもしれない。
その瑞々しさに、私は惹かれている。

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