イシューからはじめない

イシューからはじめよ

マッキンゼー出身で現ヤフーCSOである安宅和人さんによるビジネス書で「イシューからはじめよ」というものがあります。2010年に出版され、当時結構売れていて私も購入したのですが、現在でもいろんな人が推薦図書として挙げるのも納得な名著だと思います。

内容としては、簡単にいうと(うろ覚えですが)

・アウトプットの価値を高めるためには①解の質と②イシューの質の両方を高める必要がある
・多くの人はいきなり①にとりかかり、大量のアウトプットを出すことで②に近づけていくが、これは明らかに疲弊する、生産性が低下する進め方(「犬の道」と名付けられています)である
・生産性を高めるにはまず②、つまり何が問題であるかを見極めることに注力し、それから価値のある問題に対して解を出す作業(①)を施すべき

みたいなことでした。社会に出ると学生時代とは違って問題を解く能力よりも問題を見つける能力のほうが重要(もし解く能力のほうが重要だとされる職場にいたらやばい)だ、みたいな話と一緒で、もう少し具体的には②を行うために仮説思考が大事だということも言われていたかと思います。

これがわけあって当時の自分に深くささりました。特に”根性に逃げない”というコピーが最高でした。

だからこそ、あえてこれに反論してみたいと思います。(最近はこれと逆のことが推奨されていると見る考え方もありえるなと感じているのもあり)

失敗パターン

「イシューからはじめよ」で書かれていることは正論です。でも、できなければ意味がありません。なので、できますか?という問いについて考えることになります。つまりイシューからはじめようとすると、本で書かれているようなフレームワークを使って実践してみる(犬の道を進む)よりも前に、イシューからはじめるのが実行可能なのかどうかというイシューからはじめることになります。

自分にとっては難しいというのが結論です。どうなるかというと、イシュー度を高める作業が終わらず、解の質を高める作業に集中できません。

たとえば、白菜を手に入れるという命題があります。何も考えずに最寄りのスーパーに出かける前にまずクリアにする必要があるのは、今すぐほしいのか、どんな品質の白菜がほしいのか、等々白菜がほしいという具体化になるでしょう。でも(考える力が足りないのか、足りていてもそもそも不可能なのかは別として)この答えは必ずしも出るとは限りません。

そして悩んでるうちに「こんなに時間がたってるのに何も進んでない」とあせり、「なんとなく最適解と思われる行動に移ろう。よしスーパーに行こう」なんてことになります。でも、イシュー度を高めきっていないうしろめたさがある、もしくは行動にでたときに「行動しながらイシューについてわかってくることもあるかもしれないではないか」とかいうエクスキュースをしていたりするので、行動に集中できず、やりながら「本当にこのスーパーでいいのかな」と常に自問することになります。そんな精神状態のときに別のスーパーの情報を目にしたりすると、その新スーパーに関する情報収集に移ってしまったりもします。

要するに、イシュー度を完璧なレベルに高めることはできない一方で、その状態で解の質を高めるフェーズに入ると、イシューが完璧でないことが気になる。つまりイシューより…という十字架が重くて、集中して走れないのです。

犬の道戦略

多動力みたいな価値観がもてはやされている昨今でもありますが、結局、犬の道でもいいからとにかく動く、という方の方が結果を出している印象があります。そして本人がその道を信じきっている場合は、その犬の道を爆速ですすむことができるし、もっというと事後的にそれが犬の道ではなくイシューに成っていく場合さえあるのではないでしょうか。

この本の内容は「なぜこの商品が売れないのか」みたいな粒感のスコープで語るとしっくりきます。でも「なぜ人生つまらないか」みたいに思いっきり対象を抽象化した場合には少なくとも、犬の道かどうかなんてあまり意識しなくていいのでは、というお話でした。一般人にとってはイシュー度の低い道を歩くことよりも、歩かなくなってしまうことの方が、注意すべき罠のような気がします。

以上、よろしくお願いいたします。

今後も記事の有料化は考えておりませんので、もし本noteを相当気に入っていただけました場合には、誠に恐縮ではございますが投げ銭などいただけると執筆継続の可能性が高まりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。