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問いを立てる

問いを立てるのは、おもしろい。

中学、高校で、1時間目から6時間目までぎっしりとインプットの科目がつまっていた。問いが立てられるような余白も、自分の心になかった。

大学に入って、自分で自由に問いを立てることがむしろ勧められるようになって、ようやく勉強って楽しかったなあという小学生のころの気持ちを回復させられた。「わたしと小鳥とすずと」の最後の「と」に込められた意味を考えていた、あのときの。もしくは、授業中にちょうど消しゴムが飛び跳ねる時限装置はどう作ればいいか考えていた、あのときの。

阪大教職界隈にいると、問いを立てることのよさを時折しみじみと実感する。もちろん、立てた問いを自分で調べて考えてみたり、別の人に話してその人に考えてもらったり、一緒に考えたりすることのすばらしさも合わせてだ。

べつに「学ぼう」「これこれの能力をつけよう」として、こっちはやっているわけじゃない。本当に、楽しいから気づいたらいつの間にかやっていることである。あの阪大坂や、石橋のラーメン屋なんかで、ごく気軽に。「自粛警察ってどういう心理なんやろ」「え、なんでなんやろ」…。それは、自然の楽しさでいつのまにか始まって、進んでいることだ。

これがきっと、学びの本質だし、大学の本質なんだろう。

「そうそう、聞いてみたかってん。『生き方』と『あり方』って何が違うと思う?」

全教A棟のソファーのところで、教職友達(しかも理系!)にこう声をかけられたときのワクワク感。立てた問いを聞かせてもらうのも、また一つの喜び。

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