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それでも少額訴訟を起こすと決めた

前回の記事で、少額訴訟を起こすのはやめたほうがいいと言った。

けれども、結局私は大家を訴えることにした。

この記事では、その理由を話したい。
(ちょこっとフィクションあり、悪しからず)


とにかく大家が嫌い

私が住んでいたのは、近所に暮らす大家が直接管理をしているマンションだった。

管理会社が間に入っておらず、何かあれば大家と連絡を取らなければいけないシステムだ。

何もなければ、特に問題もなかっただろう。
しかし、わずか2年半という居住期間で、何度も設備不具合等のトラブルに見舞われた。

トラブルの都度、大家と会うはめになるのだが、それがもう最悪なのである。

・話が通じない

・話を変な方向へ逸らす

・入居者(借主)の責任にしようとしてくる

・自身の態度の悪さを棚に上げ、こちらの物言いに文句を言う

・「こんなことは初めて」「こんな人は初めて」が口癖

・「私は今までずっとこうやってきた」を貫こうとする

・故障してから考えるスタイルなので、メンテナンスという概念がない


これ以上、大家に関わるのはうんざりだった。
だからマンションを退去した。

そして退去後も、勝手な言い分で、敷金から修理費用を差し引こうとする大家。
もう我慢はできない。

どうせ何を言っても聞き入れないので、司法機関に判断してもらおうと思った。

裁判所なら、客観的な目で法に準ずる判断を下してくれるだろう。

私はそう信じた。


宅建の勉強をした過去

試験の内容は覚えてないし、訴訟関連のあれこれは範囲外だ。

でも、ひとつだけ記憶に残っていることがある。

それは、不動産の賃貸借に関する法律が、貸主ではなく借主に有利だということ。
つまり、法律で守られるのは大家ではなくこちら側だ。

ということは、少なくとも賃貸借契約では、
庶民の私>資本家の大家
という力が働くのではないか。

庶民が資本家に泣き寝入りさせられる。
そんなありがちのパターンを崩すことができるのではないか。

私はそう信じた。


会社での訴訟騒ぎ

私の働く会社では、二度の訴訟騒ぎがあった。

1回目はクライアントから、2回目は元従業員から訴えられた。

どちらの案件も、半ば言いがかりのような感じ。
むしろ、うちの会社の方が被害者なんじゃないかとさえ思えた。

私が属しているのは、訴訟対応となんら関係のない部署だ。
しかし、同じ社内にいる担当者が、疲労困憊している様子を近くで見ていた。

その時に知った。
普通の人は、裁判沙汰でかなり心を削られるのだということを。

彼らは、被告が自分ではなく会社であっても、それなりのダメージを被っていた。

では大家は?
自らが被告となるのだから、よりダメージは深くなるのではないか。

私はそう信じた。

社会勉強になれば

コミュニケーション能力が低い私は、誰かと協働して何かをやり遂げる、という機会を避けて生きている。

ただその分、自分一人でできそうなことは社会勉強としてチャレンジしよう、という姿勢でいる。

もし仮に、少額訴訟で私がボロボロに負かされても、それは無駄にはならない。

この経験を、次の賃貸マンションで活かすこともできる。

全く別のトラブルに遭ったとしても、訴訟を見据えた対応ができる。
かもしれない。

私はそう信じた。


終わりに

いろいろ書いたが、少額訴訟への意欲の9割は、「大家に一矢報いたい」という執念からきている。

怒りが持続するのも一種の才能だと思い、初めての少額訴訟に挑んだ。

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