【02】急募、即戦力ほっとけない男

 大学の友達に薦められた本に、太宰治の「ヴィヨンの妻」というものがあります。短編ですぐ読めるものなので、簡単にあらすじを申しますと、戦時中から戦後の話ですが、大谷というろくでもない人間がおりました。とっかえひっかえに女を変えては、ある夫婦が営む酒場で飲み、飲み代を女に払わせたり、踏み倒したりするのです。しかし、そんな大谷には妻と子供がいるらしく、この物語の主人公はまさにこの妻です。細かくは割愛しますが、この妻はその踏み倒している酒場で働くことを決意します。その理由が、夫である大谷に会うためです。家にも帰ってこない夫を待ちわびている妻は、この酒場で働けば会えるのだとひらめき、夫のこしらえた借金を働き、返しながら、かつてない幸福感をもつのでした。

 この物語を書いたのは、太宰治という男であることを踏まえると、ダメ男の自己を肯定する、唯一の抵抗が女にモテることであり、その妄想を形にした作品だととらえる分にはなんてことのない作品であります。もっとも作者の著書した意図とは違うのでしょうが、男の読者の一つの見解としてみる分には問題ないはずです。 

 しかし、気になるのが薦めてくれた友達というのがなんと女性なんです。 なんで好きなん?だらしのない、甲斐性の無い男の魅力ってどこにあるんですか?冷たくあしらう男の何に魅力があるんですか?よくわからないです。優しく女々しい男が好きでないというのはわかります。留学中の彼女に毎月仕送りしてあげたり、別れが悲しくて空港でいきなり泣き出したりする男が嫌いなのはわかります。しかし、この大谷。男らしいというよりは、単なるダメ人間です。彼の仕事は詩人であり、それなりの名声があるようですが、主人公の妻も、そして僕の友達も決してそこには魅力を感じていない。そんな疑問を私は彼女にきいてみました。


 女性というか母性のさがなのかもしれないけど、なんだかほっとけなくなるんだよ、ああいう男を見ると。。。それはもう好きとかの次元じゃないのかなみたいな。守る、包み込むの感覚に近いのかな。私はあれを読んで女性としてのけなげな自己犠牲の尊さを感じたのよ・・・ 


 彼女曰く、太宰ファンには女性が多いらしいです。つまり世の男子に求めるものは、包容力ではなく、包容してあげたいとかきたてる雰囲気と自己犠牲の尊さを感じさせる力です。「急募、即戦力ほっとけない男」です。だからほんまは留学中の彼女に仕送りするんではなく、私にさせないとあかんかってんな。オランダのチーズとかビールとかを梱包して空輸させるべきやったんでしょうね、きっと。

 しかし、これからの私には朗報、大風呂敷で包み込ませたいほどに人生に行き詰まり、死んだ魚のコンタクトをつけて毎日を送っています。このどうしようもない毎日を詩にしてしまえば、大谷へ一歩も二歩も近づくことでしょう。わくわくどきどきがとまりません。惜しみない自己犠牲のやりどころに困っている女性がいらっしゃいましたら、ぜひほっとけない男代表の私のご喧伝のほど、よろしくお願いいたします。  

 といってもね。小説というのは、鬱蒼とした日常から、刺激的な非日常を感じさせるスパイスのようなものです。自分が読む側であるからいいだけであって、いざこの自己犠牲の精神を日常に宛がおうとすれば、大抵の人は、自ずともう少しマイルドなものになり、せいぜい疲れているから肩を揉んであげるくらいにしかならないと思います。勘違いしてはいけません。飽くまでもフィクションだということを。でも最後に、ちょっとだけ言わせてほしい。私のことをほっとけないからここまで読んでくれたんでしょ?いつもありがとうございます、なんてね。 

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