【07】器用貧乏

 私のことです。あんまり考えたことがなかったのですが、高校の時、野球部のキャプテンから「お前って、器用貧乏やんな。」って言われて、確かにそうだなって思いました。器用貧乏という言葉は世界で一番優しい悪口だと思います。そもそも器用貧乏とは「なまじ器用であるために、あちらこちらに手を出し、どれも中途半端になって大成しないこと。」であります。もう、器用っていわれている時点で、後の言葉が耳に入ってきません。そんなこんなでキャプテンに言われたときも、素直に「そうやねんな。」とあっさり認めました。
 野球部で一番サッカーのうまい人でした。体育、特に球技は大抵素人にしては上手であり、なおかつ水泳も人並み以上に速かったです。頭の方も、かの大学にいく程度には優れた方であります。どれも完璧ではなく、それなりに優れているくらいの認識ではあるんですよ。という謙虚ささえも兼ね備えています。にっこり。
しかし、恵まれなかったものも、もちろんあります。それは芸術性の全てです。歌うのがだめ、演奏もだめ、字を書いてもだめ、絵を描いてもだめとそれはそれはひどいものです。どれもだめと認識しているだけで、特別にそれについて嫌だなと思ったことはあまりありませんでした。ただ、中高生の時、遊ぶことがなくてとりあえずカラオケにいくという文化がきつかったです。一人断るわけもいかず気まずいまま、ただ延々とメロンソーダを飲んで時間を過ごしていました。ドリンクオーダーの番人。多感な時期に音痴であるということは、中々辛いものでしたね。そしてもう一つきつかったのが、絵です。小学生の時、隣の人の顔を描きあうという最悪な授業がありました。しかもそれが6年生の時です。そこそこ仲の良い女の子が隣でした。小学生の「仲が良い」なので、ある程度の小競り合いのけんかもあるような関係です。そんな時に、「さぁお互いの顔を観察して、絵を描きましょう!」と言われたときは地獄でした。「しかも6年生」の意味がわかるでしょうか?6年生の女の子ともなればそれは上手な絵が描けるのです。仮に1年生であれば、もう目も当てられないくらいの下手さで、私のひどさもカモフラージュされるのに・・・。すごく似ている私の顔をかく、山本さん。似つきもしない山本さんを描いてしまう私。「日頃の恨みで不細工に描いているな!」と思われるのが死ぬほど嫌でした。実際に嫌そうな顔をされたときのきまずさはフレンチ料理のフルコースの中にぽつんと鰹節ごはんがあるようなものです。「味はしっかりとしているから大丈夫!」ではなく「本当にだめだ、これ。」という空気。やっぱり全くもって「それなりに優れた人間」ではないです。前言撤回。
恵まれなかったエピソードが思いのほか、ボリューミーになってしまいましたが、振り返るとまぁそれくらいにしか特筆すべき外面的な欠点(性格の良し悪しは別として)がなく、まぁまぁだなと思っていました。
けれどもね、ここ最近思うことは、全てがだめであっても、一つこれという特筆すべき完璧な点がある方が、生きていくにはいいんじゃないかということです。むちゃくちゃ足が遅くて、むちゃくちゃボールを投げるのが下手であっても、ゴルフがむちゃくちゃ上手でプロになれる方が絶対幸せです。受験勉強ができて、クイズ番組でどの問題もそこそこに自宅で答えて過ごすことができるより、「わかりません!」と非常識な解答をにこにこで答えて、茶の間の私に笑ってもらえる才能を持つアイドルの方が恵まれていると思います。
もちろん、そういう才能ある人はごく一部に過ぎないということは存じ上げていますが、そういう才能単体だけで判断しているのではなく、「私にはこれをやる才能しかないから、例えだめでもこれをやる以外にはない。」と邁進できることが羨ましいと思ってしまいます。「やっぱり、金融が好きだ。」と言える人、「こういうことがあるから営業はやっていて、たまらないよね。」と言える人、「こつこつ勉強して、資格をとって働くのが向いている。」と言える人。いいなぁ。
何でもそこそこできる!という誤った認識を基に、適当に流されて生きたことでの障害が計り知れないです。器用貧乏とは「なまじ器用であるために、あちらこちらに手を出し、どれも中途半端になって大成しないこと。」結局どれも中途半端にしかできないし、してこようとしなかったんだなぁと改めて思います。
私の尊敬の念を抱いている言葉に岡本まりさんの「自分の向いていない好きな事を努力するよりも自分に向いているけど嫌いなことを好きになる努力をしよう!」というものがあります。ぐうの音も出ない名言です。思わず唸りました。けれども、自分にあてはめて改めて考えてみると、全く響きませんでした。
私の向いていることとは?
結論を言うと、何にでも向いているし、何にも向いていない。なぜなら器用貧乏だからです。任意の人と、任意の世界で戦えば、きっと勝率の高い私。けれども大人の世界ってみんな向いていたり、好きだったりする世界にしかいないものですから、勝てる要素がないんだなぁっということをひしひしと感じております。現実は厳しいものです。

と言う文章を今、庶民の味方ガリガリ君のアイスを片手に持ちながら綴ってきました。
 器用で貧乏なんです、ほんと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?