【05】無人島

 暑い日々が続きます。夏です。夏休みといえば、読書感想文みたいなところが2割くらいがありましたよね。高校生の時、あまりに読む時間を確保したくなさすぎて、あいだみつをの詩を読み、つらつらとうすっぺらい感想をかいた記憶が懐かしいです。読書感想文で課題図書を設定しない盲点をつくファインプレーでした。「やりたくないものはやれないんだなぁ、人間だもの」という感想文を読んだあの先生のリアクションをみることができなかったのが残念でした。この世には課題図書としての代表作がいくつもありますが、「十五少年漂流記」とかもその一つ。しかし私はそういうものを全く読んでこなかった人間です。児童期に人間の骨格となる作品を読んでこなかった果てが今のお前の姿だと言われても反論できません。まぁ今回は無人島の話をしたいんですけど、という長い前置きでした。
 「無人島に1つだけもっていくとしたら何?」
 人類の永遠のテーマなのでしょうか。おそらくこの話題をしたことのない人っていないんじゃないかと思います。それにしてもこの手の話題は本当にくだらないもので、何が楽しくてやっているのかと思ってきた生活を私は送っていました。別に、恨みとかはありませんが、話題がなさすぎてこの話がはじまったときは、つまんねーなってうんざりしていました。
 ということを久しぶりに思い出して、改めてあの質問の真意とは一体何なのだろうかって考えてみました。5分くらい考えて答えをだすと、その人となりをみたい質問なのだということになりました。
「無人島に1つだけもっていくとしたら何?」
答え
「食料」
「ナイフ」
「島から脱出できるボート」
「UNO」
 十人十色の答えがあるかもしれませんが、どれもつまらない。ナイフってなんですか、家庭科の授業でサバイバル方法を聞きたいんじゃないんですよ。その原因が何なのかと考えると、「みんな生きるのに必死だ。」という制約がこの質問をつまらなくしていると感じました。そこで改編してこう問いたいと思います。

「インフラの整った無人島に1つだけもっていくとしたら何ですか?」

 この質問は、その人となりをみるのに大変素晴らしいものだと存じます。
例えば、お見合いの席での常套句「ご趣味は何ですか?」に対する答えは高確率で「読書」「音楽」「スポーツ観戦」「料理」のどれかに集約されてしまいます。(偏見は否めません。)お見合いという固い場であれば、置きに言った、抽象的な解答をしてしまうものです。これではつまらないし、相手が興味をもっていなければ会話もはずむわけがありません。「スポーツ観戦」と答えても、「私、帰宅部だったので。」と言われるのがおちです。
 そこで「ご趣味は何ですか?」の代替案として「インフラの整った無人島に1つだけもっていくとしたら何ですか?」と質問をします。すると相手からは思わぬ答えが返ってくるものです。
「あのー、どうしてもアパガードMプラスの歯磨き粉でないと私だめなんで。」とか
「永谷園のお茶漬けだけはお酒飲んだあとは必ず食べたいので、それを。」とか
「家にあるふかふかのソファーですかね。あれさえあれば何時間でも・・・」とか

 実にその人らしい答えというものを引き出せるではありませんか。趣味で、「歯磨きです!」と答える人なんてまずいませんが、音楽に興味がない人でも歯磨きの話は誰にだってできます。そしてあなたは相手の歯の美しさに魅かれ、好きな所が一つ生まれるのです。  
 いきなり好きな食べ物を聞かれて、「タコとキノコのアヒージョです。」などと見栄を張るよりも、締めの一杯のお茶漬けが何よりも欠かせないんですと知ってもらえる方がよほどその人の人となりをしれるものです。仮にどうしてもアヒージョが食べたいので大量にオリーブオイルを持っていきたいですと答えられたら、それはそれでかわいいもので、洒落たレストランでシェフのきまぐれサラダを頼むより人よりも興味が湧いてしまいます。
 「好きな〇〇は?」という話題であれば、話の幅に制約が生まれてしまいます。「休みの日に何をしている?」であれば答えづらいこともあるかもしれません。しかし、「無人島に何か1つ持っていくのか?」というお題であれば、そこで何を選ぶのかという嗜好、そして選んだそれをどうするのかという過程、ややもすれば無人島での生活つまりは自由な時間があればあなたは何をしたいのかという願望のすべてが分かる実に複合的で奥深い質問ではありませんか。
 最後に満を持して皆さんに問いたいです。
「あなたはインフラの整った無人島に何をもっていきますか?」

 私は、十五少年漂流記です。お前生きるのに必死かよ、っていうね。
滑ったのでこれで終わりにします。

※先月に書いたものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?