Panem et Circenses
沈みゆく船に好んで乗船するものは、ただの阿呆であろう。賢しい者は、救命ボートを使ってさっさと船から逃れるのである。勇敢な者は、「早く脱出しろ!」と乗船者に忠告するが、誰も聞く耳を持たない。
国家は人民のために存在し、その逆ではないことは周知の事実だと思っていたのが、どうやら、この国ではそうでもないらしい。権力者が国を意のままに掌握すると、人民は都合のいい奴隷に過ぎないだ。奴隷を勤勉な国民と呼称し、自尊心を煽ることで、奴隷は自己に誇りを見出す。
権力者にとって、国からの逃亡者(亡命、自殺、安楽死)は許しがたい存在であり、どうにかして奴隷を国に留めておきたいがために、常に狡猾な手段を思案している。その際には、国の問題から目を背けさせるために、高い給与(Panem)を与えて肥えさせるか、娯楽(Circenses)で奴隷を中毒者にするかという古典的な方法が取られる。
まず、Panemに関して、この国では、給与が上がらない問題を労働者がストやデモを行わないためだと、市民側に責任を押し付ける言説をよく見かける。しかし、そもそも労働者は義務教育期間を通じて、どんな理不尽なことでも「お上」に従うことが美徳であると洗脳されているので、所詮、カルト教団の一員に過ぎないのだ。そのため自発的な抵抗などそもそも無理な話である。時に、洗脳から覚めた者が運動を起こしたとしても、彼らは異常者のレッテルを張られ排除される。こういったわけで、Panemは期待できない。国もPanemを与える気は毛頭ないようだが。
そのため、この国では娯楽に焦点が与えられている。娯楽、すなわちメディアを用いたプロパガンダが毎日のようにTVやSNSで絶えず流れている。プロパガンダの例としては、まず、国を過度に称賛するような内容を繰り返し放送し、この国は優れているのだと思わせる。また、意図的な情報統制によって、他国の状況を知らせず、逃げ場がないように思い込ませる。さらに、SNSでインフルエンサーを金で雇い、国家にとって都合のいい情報を流し、信者を獲得し洗脳する。加えて、デモやストなどをテロリズムとみなし、国への批判を悪徳であると洗脳する試み。この国では、この他にも多種多様な手法が用いられているため、例を挙げれば枚挙にいとまがないほどである。
しかしながら、Circensesがいくら恵まれていても、Panemがなければ人は生きてはいけない。Circensesが充実したところで、人はいつか娯楽に飽きてしまう。そうなったとき、Panemの欠乏に直面した彼らは、逃げるか、暴動を行うかしか手段がないのだ。暴動や革命など面倒なことをしなくても、ただ逃げればいいのだ。対話などはほとんど無意味なことは、この国の歴史が証明している。対話によってより良い社会を構築する幻想など捨ててしまえばいい。EXODUSこそが残された道なのだから。
たとえ国家という組織が滅んでも、市民が生きていれば、そこに新しい共同体は必ず生まれる。それが国家の代わりになるのか、小規模のコミュニティが生じ戦乱の世となるのかは知る由もない。
[1]ペルシウス,ユウェナーリス, 「ローマ風刺詩集」, 国原吉之助訳, 岩波文庫, 2012年
[2] Ted Kaczynski "Ship of Fools"
https://theanarchistlibrary.org/library/ted-kaczynski-ship-of-fools
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