台湾のY字路に立ち、忘れられた歳月を拾う
10月末に刊行した『時をかける台湾Y字路――記憶のワンダーランドへようこそ』(栖来ひかり著)のトークイベントの模様をご紹介します。前の投稿は地方に移住した女性がお婆ちゃんたちに出会い、村になじんでいったお話でしたが、こんどは、台湾に移住した女性のお話です。
著者の栖来さんが台湾に移住して10年余り。ふとしたことからY字路(Yのかたちをした三叉路)に興味をもちはじめ、台湾のY字路を150カ所以上訪ね歩き、その成り立ちをさまざまな資料にあたって調べ、埋もれた物語を文章にしてきました。本書は、そのなかから特に魅力的な約50カ所のY字路を選び出し、写真や古地図をふんだんに使って紹介しています。
「ブラタモリ」が人気番組であることからもわかるように、地形に注目したまち歩きに魅力を感じている人は少なくありません。一方、台湾もブームです。その2つを兼ね備えた本書は、きっと多くの方に楽しんでいただけるはず、と期待を込めて、世に送り出しました。歴史に向き合いながら、洒脱な筆致でつづられた物語はまるで短編小説のよう。この一冊をもってきっと旅に出たくなります。
そんな本書がどういう経緯で生まれたのか、栖来さんがどんな思いで取材し、書き上げたのか――。『台湾とはなにか』『タイワニーズ――故郷喪失者の物語』などの著作で知られるジャーナリストの野嶋剛さん(写真左)が、栖来さんに聞きます(本原稿は、2019年10月27日、東京・日本橋「誠品生活日本橋」で開催されたトークイベントを編集したものです)。
地形に着目し、台湾の歴史や社会を描いた初めての本
野嶋 Y字路と聞いてすぐに思う浮かぶイメージは、人生の分かれ道ですよね。
栖来 はい、選択の象徴としてY字路は語られることが多いですが、まさに私の人生の中でのいちばん大きなY字路が台湾に移り住んだことなんですね。そのきっかけというのは、日本で台湾人男性と出会って、結婚するために台湾に行ったことです。それまで台湾には二泊三日の旅行に出かけたくらいで、台湾に住むなんてことは思ってもみないことでした。
結婚して台湾にいったことで、それまで日本で培ってきたほとんどを失いました。私は大学でコンセプチュアルアートを学び、学生時代から映像作品をつくったり、バンド仲間とCDを出したりと、いろんな表現活動をしていたんですが、その一緒にやってきた友人たちは当たり前ですが台湾にはいないし、表現活動をするうえでのネットワークや手段、たとえば、展覧会をやるならあのギャラリーがいいとか、そういったものはすべて日本にあって、台湾にはない。しかも、言葉もできませんでした。ですから、台湾では夫とは話すけれども、深い話ができるような友達もなかなかできなくて、すごくさみしいなあと思う状態が続きました。
そういうなかで、やはりなにか表現したいと思い始めました。でも、音楽するにも楽器がいるし、仲間がいるし、映画をつくるのもだれかにお願いして大人数でしなければならない。それに対して書くことというのは、ひとりでできる。時間も自分で調整できるし、しかもこれまで私が経験したことも文章であますところなく表現できる。執筆活動って自分にはあっているかもしれない、と気づいたんですね。
野嶋 基本的に文章を書く人は変わった人が多いんです(笑)。ぼくも書くのが好きで好きでしょうがなくて朝の5時から起きて書いたりしているんですね。そんなに毎日書いていてあきないとか聞かれるんですけれど、書くことが楽しくてしょうがない。書いてないほうが不自然な感じくらいなんですが、物書きというのはそういうふうにちょっと変態的なところがあります。栖来さんはもともと表現をしたい人で、台湾で書きたい自分に出会った、そしてそれが今回のY字路の本につながったわけですね。
ところで、日本における台湾関係の出版事情をみてみますと、2010年くらいから急激に台湾に関する本がふえています。そのまえは少なすぎて困るという状況でした。
いま出ている台湾の本をいくつかのジャンルにわけると、まず歴史や政治、つまりわりと硬い分野です。ぼくもそういう分野の書き手です。
ふたつめは、エッセイや旅行関係。そして3つ目は雑誌。最近は女性雑誌や旅行雑誌などの台湾特集がやたらと多いですね。
そのなかにあって、地形に着目して書いた本はそんなにありません。おそらく、このY字路の本が最初かなと思います。それがこの本のひとつの大きな特徴ですね。
それと、もうひとつこの本の特徴といえばY字路は入り口にすぎなくて、栖来さんがこのなかで書いているのは台湾の歴史、社会、人間だということです。いろんなことに話題が広がっていますが、栖来さんが台湾にいってからの日々学んできたことがY字路という入り口を通してひとつの流れになっているように思いました。
考えてみればY字路というのは入り口からみると分かれているけれど、逆から見ると、一つの道に統合されている。今まで歩んできた台湾の日々が大きな流れとしてひとつの道、つまり本に結びついていった。それがこの本を読んで強く感じたことでした。
個人のエピソードを拾うことに心を砕く
野嶋 この本の中に多くのY字路が紹介されているんですが、来場者のなかでY字路を意識して歩いたりしている方はいらっしゃいますか?いらっしゃらないですよね。
では、栖来さんが、台湾にいったらまずここのY字路にいってごらんなさい、と思うのはどこですか?
栖来 本の表紙にも東京人の表紙にもなっている「夢のY字路」――私が名付けたんですが――ですね(以下の写真)。路地の中に突然、水中花がさいたかのようにたたずんでいるんですよ。右側がかつては水路だったところで、うしろのほうには現代的なビルがたっていたりとか、いろいろな時代の要素が入っているんですね。
写真で見ると、日本時代の木造住宅のように見えますが、じつは戦後のコンクリートの住居なんですね。台湾には40年以上たった建物は歴史建築として残さなければならないという条例があるんですが、その条例を逆手にとって、壊されないように木の板を表面に貼って日本時代の建築みたいなふりをしているんです。戦後に中国からたくさんの人がやってきて、住むところが足りなかったのでこういう違法建築の住居をつくったそうです。この複雑性がなんかおもしろくないですか?
野嶋 台湾らしいといったら失礼かもしれないけれども、すごく台湾っぽいですね。
栖来 ひとつの路地だけで、社会の複雑性、歴史の複雑性のレイヤーがみえてくるんです。
野嶋 あとがきにはこう書いてありますね。
「たとえてみれば、台湾というミルクレープをY字型に切り出したら、内側からは古く原住民族が暮らしていた時代から、大航海時代、清朝の時代、日本時代、そして戦後の国民党独裁時代、民主化された現代といったレイヤーがクレープ生地や生クリームとなって幾重もみえてくる。」
栖来さんがおっしゃるように、台湾の魅力というのは重層性があって、掘れば掘るほど何かがでてくる、書き手として面白いところなんですが、その重層性という意味でいうと、この本のなかでとりあげている西門町。あそこはもともとひとが住んでいなかったけれど、日本時代に日本人が住み始め、戦後は国民党の外省人が住んだ。そういうこと知りませんでした。いまはすごくにぎやかなところなんですよね。
栖来 昔は、荒涼とした沼地が広がっていて、死体が捨てられたりするようなだれも近づかないところだったそうです。日本の領土になったあと、たくさんの日本人が移民したのですが住む場所がなくて、町の開発をした。そのなかのひとつが西門町です。日本時代の市場や稲荷神社があり、浅草のような娯楽施設もあったんです。台湾総督府で働いている人たちも近いから遊びに行ったりしていたんですね。
野嶋 西門町にいくと、日本時代の台式和食の店がいっぱいありますが、関係あるんでしょうね。
栖来 そうだと思います。
野嶋 戦後に中国大陸からやってきた外省人というと、日本の中では台湾の人をいじめた悪い人たち、国民党の蒋介石の権威主義的な象徴であるみたいな感じで全面否定されてしまいがいです。実際、戦後のある時期、国民党が権力を握っていて残念なことがおきたのは歴史的な事実です。
一方で、1949年前後に大陸からわたってきた外省人は150万人から200万人と言われていて、その8、9割は学校の先生とか公務員とか下級軍人とか、着の身着のままでつれてこられた人が多くて、どこに住んだらいいんだろうという状況におかれていました。そのなかで彼らが日本人のもともといた場所に住み着いたというのは、この本のなかにも書かれていますね。
まち歩きしながら、これだけ歴史がわかってくるんですね。台湾式まち歩きの方法をこの本のなかで提示していると思います。
栖来 ありがとうございます。私が書きながら思っていたのは、個人それぞれのエピソードをちゃんととりあげていきたいということでした。大きな歴史の流れだけみていると、これはいい、これは悪いというふうに決めつけがちになり、その結果、歴史認識の対立をうみだしてしまうように思うんですね。だから、細かくていねいに一人ひとりがもつエピソードを、Y字路を通して拾っていきたいなという気持ちで執筆しました。
忘れないこと、思い出すこと。それが抗う力に
野嶋 Facebookでちょっとみたんですが、「ブラヒカリ」というツアーがあるそうですね。
栖来 台湾のY字路をめぐりながら書店をめぐるまち歩きのツアーを何回かしています。いつかタモリさんが台湾にきて、「栖来さんです」と番組で紹介してもらえることを夢見ています(笑)。いろんな人にことあるごとに言っていたら、いつか夢がかなうと思っています。
野嶋 そのブラヒカリ流まち歩きに案内された幸運な方のエピソードが本にのっていますね。私の同業者、西日本新聞社の記者の方ですよね。台湾のY字路の記事を書くために、その記者は栖来さんに案内を頼むわけです。そのときのことを簡単に紹介してください。
栖来 記者さんと朝から、まずルーズベルト通りからはじめて、さっきご紹介した夢のY字路までの道のりを、ここに鉄道が走っていたんですよとか、むかしはここの川で日本の芸奴さんが川遊びをしたんですよ、とかそういう話をしながら2時間くらい散歩をしました。その様子が後日、西日本新聞の記事として出ました。そのときにはじめて、ブラヒカリと書かれました。
野嶋 詳しくは本を読んでいただきたいんですが、最初のブラヒカリを体験したその記者の方は、そのあと交通事故で亡くなってしまうんですね。私が編集をしているニッポンドットコムにもその記者の方に記事を書いてもらっていたので、印象に残っています。
で、偶然だとは思うんですが、この本をよく読んでみると、悪い意味ではないんですが、亡くなった人がたくさん出てくる。その方たちへの追悼とか哀惜が語られていて、去っていった方々に対する思いを強くもっていらっしゃるんだなということも印象的でした。
栖来 みんなお母さんの子宮から生まれてくるんですけれど、お母さんの子宮ってY字路のかたちになっているんですよね。右の卵管と左の卵管があって、どっちかの卵管から卵子が出てきて。もし右から私が出てきたとして、もし左からの卵子だったら、私はいまの私ではない。そう考えると、人生の最初から、右か左か選択してきて、生まれてからも無意識のうちにずっといろんな選択して、最後にたどりつくのは死なんですよね。ああ、結局そういうことなんだな、と。本を書きながら、どうしてもそっちにいってしまうというところがあります。
あと台湾では忘れられるのがすごくはやくて。昨日起きたことをきょうは忘れてしまうところがありますよね。それも関係しているかもしれません。
野嶋 そうですね、四六時中ニュースが流れているので、どんどんニュースが消費されていく。
栖来 そうなんです。店も数か月ごとにつぶれてはかわり、変化がむちゃくちゃ早い。昔のことをみんなおぼえていない。そうやって、忘れられていくことに身を任せていると、今まで起こったことがまた繰り返されていくのではないか。忘れないということじたいが、自分にはどうにもならないような、権力的なものが悪い方向にすすむときに抵抗する力になるんじゃないか。そのために忘れない、もう一度思い出すことが大事だと考えているんです。みんな最後は死んでしまう、でも忘れないようにする。亡くなっていく方が前はどうだったのか、その言葉をていねいにひろっていく。そういう往復運動をするようなイメージですね。
野嶋 亡くなっている人への目線がやさしいですよね。そこにこだわりがあるのかなと、同じ書き手として思ったんです。実際、ぼくはむかし、新聞記者をしていたんですが、記者の仕事ってけっこう死んだ人のことを書くことが多いんですよ。書きながら、ある種、その人の人生の句読点をうっている役割をたまたまなんですが、担っている。
死に関連していうと、ぼくはいま50歳なんですが、30年後には死んでいるかな、わからないけれど、死んだ後に自分の本が読み続けられることがぼくのいちばんの願いなんですね。だから、書くこと自体がこの世に存在しなくなったときと、つねに向き合っているという自覚はありますね。
「台湾とは何か」をつきつめると、多元的になる
野嶋 話を本に戻しますが、栖来さんはつねにこの本を書きながら歴史のことを考えていたわけですが、まち歩きを通じて、台湾の社会や歴史は日本を抜きに考えられないと実感されたと思います。一方でいまの台湾は中国語をつかい、中華文化の季節のおまつりをしたり、基本的には中華社会です。日本社会と中華社会が混ざり合っているわけですが、そのあたりはどう感じられましたか?
栖来 台湾の人からすると日本時代は、エキゾチックなものなんですね。なぜかというと、日本時代の歴史は、国民党の政権では戦後長いあいだ隠されていて教えられなかったからです。いま戦後教育を受けられた方はほぼみなさん、中国人の末裔、中華民国の歴史を教え込まれていた。その後、民主化されて、日本文化のようなものが台湾にあったんだ、日本時代があったということが認識されて、日本時代の建築を大事にするといったような運動が始まった。いまの段階はそこをこえて、今までのすべての台湾の、歴史上に起こった出来事を、すべてを歴史の履歴として受け入れる。そのなかに一部日本時代もはいっている、そういうような認識を台湾の人たちはもっているのかなと思います。
野嶋 実はY字路の本は2017年にまず台湾で出版されたんですね。台湾の人たちのY字路に対するリアクションはどんなふうでした?
栖来 「さすが」みたいなことをいわれました。外国人でないと、もてない視点だと。外にいる人だからわかったんだろうと。
野嶋 第三者の視点ということですよね。台湾は政治対立の激しい社会なので、だいたい、すべての人が、緑色つまり民進党、青色つまり国民党と色分けされているんですね。頭に旗をたてているわけではないけれども、だいたい社会が2つにわけられています。だから第三者の立場というのはもちえないんですね。もとうとすると、おまえは裏切り者だと非難される。どちらかに加担するしか生きる道がない、というかれらのある種のつらさでもあるし、それがあるから二大政党制がなりたつといえる。そういう高度に政治化された社会のなかで、求められるのは第三者の視点ですよね。そういう意味でいうと、日本人の作家が台湾で文章を書く、中文で文章を書くというのも、そういう価値があるのではないかと思います。
栖来 ただ、やっぱり日本時代は植民地にしていた時代なので、そういう時代のことを日本人が書くのはどうなのかなという迷いがつねにあります。結論がでない部分なんですね。でも、いいとか悪いとかそういう評価ができるものではなくて、ずっと考え続けるということを台湾はさせてくれる。それが台湾を対象として書くことのおもしろさではないかと思います。
野嶋 中華文化と日本文化に関連して、本にあるエピソードをもうひとつ紹介したいんですが、じつは私の知り合いでもある骨董屋のKさんが登場します。中国美術をとことん集めた方ですが、その方について少しお話してください。
栖来 私がまだ執筆活動を始める前に、もともと美術品に興味があったので、縁があって台北のその骨董屋さんで働き始めました。その骨董屋というのが、台湾で名の知られた骨董屋でもともとは六本木で骨董屋をやっていたのです。そのころ、中国が文化大革命の時代で――ちょうど1960年代半ばですが――中国からどんどんすばらしい美術品が流出していた時期だった。その美術品をKさんはどんどん買って、「小故宮」とよばれるくらい収蔵品をもっている骨董屋になった。そこで働かせてもらっていました。その社長が亡くなるまでのエピソードが本に書いてあります。
野嶋 その骨董屋さんをはじめ、台湾の人々は、中華文化に対して造詣も深いし、収蔵品ももっている。でも一方で日本的なものへのノスタルジーがあったり、さきほど栖来さんがおっしゃったようなエキゾチックであるというとらえ方もしている。中華文化と日本文化が、かれらのなかで矛盾なく共存しているという感じなんですか。
栖来 自分が中国人であるというアイデンティティのときまではよかったと思うんですが、民主化されたあと、台湾人の文化とはなんだったんだろう、台湾人はいっぱいいいものをもっているはずなのに、台湾の文化はこれだ、これがそうだといえるんだろうか、とけっこうたくさんの人からそのような話を聞きました。その骨董屋の社長さんもそうおっしゃっていましたね。文化に対する台湾アイデンティティとは何か。その問いかけの声がどんどん大きくなっている感じがしますね。
野嶋 「台湾とはなにか」。それはわたしの本のタイトルでもあるんですが、台湾人自身が台湾とは何かと問いかけていて、それが出身地とか世代とかでぜんぶちがっているんで、収拾がつく議論ではないのですけれども、少なくとも台湾生まれ、台湾そだちの人たち、民主化以降に生まれている人たちの考え方をみていると、自分たちの「中」に台湾の文化があるんだと。「外」にはないんだと。ただ、自分たちの中に多元的なものを取り込もうとしている。そこが一つの着地点のように思いますね。
その多元的なものをどう取り込むかで当然摩擦がおきて、原住民族の人たちは自分たちこそ台湾なのだと思うだろうし、本省人は自分たちこそ主流派だと思うだろうし、外省人は自分たちはディアスポラで、大陸からつれてこられた被害者なのに、今の台湾社会ではなぜかつらい立場におかれているというストレスを感じている。そういう意味の摩擦があって問題が起きる。日本人がそのなかで、ものをいうのはむずかしさがありますね。
栖来 日本で、日本文化とはなにかを考えていくと、国粋主義的になりがちですが、台湾の場合、いまお話があったように、台湾とはなにかとつきつめていくと、原住民族がいて、外省人がいて、本省人もいて、そしていまは新移民という東南アジアも人もいる。そういうふうにどんどん多元的になっていく。つきつめればつきつめるほど多様性をもつ社会になっていく。そういうところがたとえば、同性婚の実現などにつながっているのかなという期待感があります。うらやましいなと思います。閉じこもっているのではなく、どんどん開いていくイメージですね。
風景が一瞬変わるような体験を味わって
野嶋 ご家庭で政治の話とか日本の話はされるんですか? 日本人を代表して発言をもとめられてこまっちゃうみたいなことはなかったんですか?
栖来 そういうことはあまりなかったのですが、家族として台湾人の仲間入りをしたときに、日本人として台湾の歴史にどう向き合うかということを考える大きな出来事がありました。台湾のことをほとんど知らないで、台湾にいってはじめて、夫の大叔父さんに会ったときのことなんですが、とても流ちょうな日本語で「私は忘れられた日本人なんです」といわれたんです。その方は、フィリピンまで帝国軍人として出征までされました。それを聞いたときにものすごくショックを受けました。そんな緊密に台湾と日本がかかわりあってきたことを、日本人は学校で教えられていないし、なによりなにも知らない自分にすごく怒りがわいてきて、それが執筆のひとつの大きな動機となっています。怒りがもっと学びたいということにつながって、いろいろ勉強して本を読んだり日本語世代の方の勉強会に参加するようになって、それからライターの仕事をはじめて書いて伝えるようになりました。
野嶋 いまのお話は作家としてのエネルギーは何かというお話だったと思うんですけれども、私も同業者として、編集者としても、栖来さんの文章にはつねに怒りがあるように感じていました。不満があるとかそういうことではなくて、なにかに対して、言わなきゃというそういう気持ちがある。それは物書きにとっては、文章を書く支えだと思います。語らなきゃいけないというモチベーションがあると、書くことに対して常に貪欲でいられます。
ところで、2017年に台湾で出た本のタイトルはなんでしたっけ?
栖来 『台湾、Y字路さがし』です。
野嶋 こんど日本で出たのは『時をかける台湾Y字路』。すごくセンスがいいですよね。これは編集者が考えたんですか?
栖来 いえ、私です。
野嶋 そうですか! いいですね。台湾版とはかなり原稿を書き換えていますよね。
栖来 台湾では日本語と中国語台湾華語の2つで表記してあるのですが、その日本語部分だけだと一冊の本にするには少なすぎたこともあるし、台湾で本を出してから2年のあいだに書きたいことがすごく増えたこともあって、ほとんど書き直しました。日本での本は短編小説のように読んでもらえればいいなと思って12章にわけ1章5000字くらいにして、書きました。
栖来 私は台湾版も拝読させていただいていますが、ほとんど別物ですね。台湾版を読んだことがある人でも、日本版は楽しめます。違うものとして読めますね。ちなみに、「時をかける」というのはどうして?
栖来 もちろん、「少女」とつけたいところなんですが、そこは……(笑)。
野嶋 時をかける少女の台湾Y字路なんですね。
栖来 自分を少女と言ってしまうのは申し訳ないので(笑)。Y字路じたいがいろんな時代を内包しているので、そうつけました。私はまち歩きは旅だと思っていて、その小旅行としてのY字路、タイムトラベルとしてのY字路さがしということで、タイムトラベル=時をかける。そういう感じの連想でつけました。
野嶋 たしかに台湾旅行は日本人にとってみると、タイムトラベルみたいなものですね。そこが魅力だと思う人がけっこう多いですし。
書き手として考えると、台湾という対象は――人口2300万人くらいで、面積も九州くらいで大きくないんですが――書いても書いても終わらないくらいのおもしろさがある。それはたぶん、時をかけるということばに表現されているように、掘り下げても掘り下げても終わりがないというところだと思うんですね。
さて、そろそろ終わりが近づいてきました。栖来さんさんという作家にこれからもぜひ注目してほしいと思います。この本を読んでいただくと、栖来さんがどんな人かが伝わってくるはずです。それから、台湾の魅力はまさにタイムトラベルなんですが、Y字路という新しい切り口で現代から歴史をさかのぼるというのがこの本のユニークなところです。繰り返しになりますが、今までにはなかった本です。同業者としてライバルとして脅威を感じないわけではないのですが(笑)、私もがんばらねばと思いながら、みなさんにおすすめをしたいと思います。
栖来 もったいない言葉をありがとうございます。この本を読んで台湾の街を歩いたら、風景が一瞬変わったような気がした――。そんな体験をしていただけたらとてもうれしいですし、もしそう感じていただけたら台湾の魅力がいっそう深まるのではないかと思います。
*栖来さんの人となりやまち歩きの様子は、この動画(魅力妻 in Taiwan)でも紹介されています。
★栖来ひかり(すみき・ひかり)プロフィール
文筆家・道草者。1976年うまれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒、2006年より台湾在住。台湾に暮らす日々、旅のごとく、新鮮なまなざしを持って失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、重層的な台湾の魅力をつたえる。著書に『在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし。』(玉山社、2017年)、『山口、西京都的古城之美:走入日本與台灣交錯的時空之旅』(幸福文化、2018年)、『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社、2018年)、挿絵やイラストも手掛ける。
(本文中のY字路の写真はすべて栖来ひかりさん撮影)
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