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少女が見つめた沖縄と人々の暮らし。映画「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」、東京、横浜での上映が始まっています

 今から約1年前の2019年8月、『菜の花の沖縄日記』を刊行しました。おかげさまで版を重ね、現在5刷です。

 著者は、石川県能登出身の坂本菜の花さん。沖縄のフリースクール「珊瑚舎スコーレ」の高等部で学ぶために、15歳の時、ひとり沖縄に渡りました。その3年のあいだ、月に1度のわりあいで、故郷の地元紙「北陸中日新聞」に書いてきたエッセイをまとめたのが『菜の花の沖縄日記』です。

 その連載を読み、菜の花さんのみずみずしい感受性に心を打たれた人がいます。「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」の監督、平良いずみさんです。平良さんは、沖縄テレビのアナウンサー&ディレクター。これまでたくさんのドキュメンタリーを撮ってきた方で、2019年には放送ウーマン賞を受賞しています。そんな平良さん、「基地問題は暮らしの問題、いのちの問題」であるということを、どうすれば本土の人たちに伝えることができるかをずっと悩んできたといいます。菜の花さんの文章を読んで、もしかしたら、彼女の目を通して沖縄を描くことができれば、多くの人たちにも観てもらえるかもしれないとひらめき、取材を始めたそうです。

 こうして完成した作品は最初はテレビのドキュメンタリーとして放送され、2018年に「『地方の時代』映像祭 グランプリ」を受賞。番組は本土でも深夜の時間帯に放送されましたが、映画化すればもっとたくさんの人たちに観てもらえるはず、という平良さんの強い希望で、2020年に映画化にこぎつけました。タイトルの「ちむぐりさ」とはウチナーグチ(沖縄のことば)で、「あなたが悲しいと、私の心も悲しい」という意味。だれかの痛みをわがことのように受け止め、悲しむ、ということでしょうか。

 まず最初は2月に沖縄の桜坂劇場で公開となりました。1か月にわたってたくさんの方に観ていただくことができたようです。おかげさまで本も多くの方にお買い求めいただきました。


 そして、いよいよ次は東京で公開、というところで、コロナが吹き荒れ、ポレポレ東中野の上映は1週間で中止となってしまいました。4月3日、筆者は劇場にお客として行ったのですが、観客はわずか8人。いつもは人でいっぱいになるロビーが閑散として、ただならぬ事態であることをあらためてひしひしと感じました。ロビーへと続く階段の壁面には、公開にあわせてさまざまな媒体で取り上げられた映画紹介や監督のインタビュー記事がびっしりと貼られていました。本当はたくさんの人たちに読んでもらうはずだった記事たち……。

繰り返し繰り返し、あきらめることなく伝え続ける

 そんな試練を乗り越えて、ようやく、10月10日から再上映されることになりました。東京に戻ってくる前に、名古屋、京都、大阪、石川、前橋、石垣島、福岡、神戸などですでに公開され、監督は大きな手ごたえを感じていたようです。

 10日はあいにくの台風で、お客さんの入りが心配でしたが、杞憂に終わりました。舞台挨拶に立った平良さんとプロデューサーの山里孫存さんは大勢のお客さんを前に、感無量の面持ちでした。一語一句正確ではありませんが、おふたりのお話は以下のとおりです。(東京新聞の中山洋子さんのメモを使わせていただきました。中山さんは菜の花さんに連載を依頼した方です)

平良「3月公開時に中止になったときには、このまま忘れさられるんじゃないか、という思いでいっぱいでした。でも、菜の花さんの言葉に励まされた。菜のちゃんは宝物のような女の子で、常に前を向いていて希望の言葉をくれる。3月に中断したのも、何か意味があると思う、と言ってくれました。そしてその言葉通りになりました。このタイミングで、みなさんに来てもらえるのは感無量です」
山里「あらためて、まとめて振り返ると、そうだったな、と感じています。東京での上映が延びた中で、あちこちの地方に広げることができました。これまで映画を観た人たちにいろんな言葉をかけられたと思うけど、どうですか?」
平良「『菜の花ちゃん、すごい子だね』『希望を感じた』『あきらめないという気持ちを教わった』と言われました。菜のちゃんが「あきらめない」に気づいていくのも、おじいちゃんおばあちゃんとのふれあいから教わったことが多いです。沖縄で基地問題を扱うというのは、光がみえなく、心が折れそうになることも多いのですが、でも、おじいやおばあが、「ここであきらめたらすぐ戦争になるよ、子や孫のために気長にやっていこう」と教えてくれました」

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上映後に挨拶する平良いずみ監督(10月10日、ポレポレ東中野にて)

 

筆者は5回ほどみていますが、何度見ても涙が出てしまう映画です。なぜこんな理不尽な目にあわなければならないのか、なぜここまで民意は無視されるのか……。しかし気付くのです。沖縄に痛みをもたらしているのは本土の人間の無関心であるということを。それを知った自分にいったい何ができるのか。そんな問いを投げかけられます。

 そして、初日の2回目の上映では、この映画でナレーションを担当した沖縄出身の俳優の津嘉山正種(つがやま・まさね)さんも会場から挨拶されました。そのときの様子を、東京新聞の中山さんが文章にしてくれました。

 10月10日のポレポレ東中野での公開初日、ナレーションを担当した津嘉山正種さんが飛び入りで挨拶に立ちました。那覇市出身で20歳で上京した津嘉山さんは、母語はウチナーヤマトグチだと言います。日本語は、アクセント辞典を使って勉強した言葉だそうです。
 「自分がこの映画になぜ呼ばれたのだろうと考えたときに、ウチナーヤマトグチでやってみたらどうだろうね、となった。この映画で大事なのは沖縄の血や体温。それを入れ込むのが私の仕事だと思った」とおっしゃっていました。映画館に来ていた大半が、県外出身者だと確かめた津嘉山さんは、来場者への感謝の言葉に続けて、絞り出すような声で続けました。
 「沖縄出身の人間がいつまでこんな映画を作り続けなきゃならないんだ。なせ知らせることから始めなきゃいけないのか。沖縄をいつまでこのまま放っておくのか」
 慟哭のような言葉が頭から離れません。
 平良さんも「沖縄で基地問題を報じることは、光が見えなくて、心が折れそうになる」と言います。それでも、繰り返し繰り返し、あきらめることなく報じてくれる沖縄のメディアの隣に、本土の私たちも立ちたいと思います。

この日の様子は沖縄テレビでも放映されています。

ポレポレ東中野は10月30日まで、横浜のジャック&ベティは10月23日まで。その後に公開される地域もあります。宮城のフォーラム仙台は10月30日から、長野ロキシーは10月31日から、大分は11月7日から、そして宮古島は11月13日から、です。お見逃しなく。





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