心遣いできる人同士こそ支えあいたい
私は不登校の子どもたちの訪問支援と音楽活動サポートの活動をしてます。
これらの活動をしているのは自分自身痛みを味わってきたから。
音楽の世界は、好きという気持ちは簡単に踏みにじられる程、耳馴染みのいい曲や上手さしか評価されない冷たい世界か、それか愛想が良ければ上手くいく馴れ合いの世界です。
なので、そういった痛みを味わないよう、また味わっても一緒に考えられるよう、ステージに立つ伴走をしています。
人数がいるとお客さんも足を止めてくれますし、なんといっても、何があっても、良いも悪いも一緒に受け止められます。
ただその傍らで自分自身の曲でライブ活動もしていますが、それには誰も見向きもしません。
僕は何気ない居場所感を大事にしており、ゴリゴリ売れるのを狙っているのをそれって音楽ではなく商売だと思っているので嫌っています。
なので静かな曲をやっているのですが、当然の結果かもしれませんがお客さんも、一緒なやりたいと思ってくれる人もいません。
いつもひとり、寂しい思いをして帰ってきます。
そうしているうちに心が壊れてしまいました。
確かに他人の力になれている。
でも自己実現はできてない。
僕の人生は誰のものなのだろう。
僕は誰かに合わせるしか価値のない人間で、僕そのものを受け止め一緒に進んでくれる人はいない。
それが顕著に、同居人との間でも表れました。
家に帰っても僕がしなけばならないことだらけの家事に限界が来て、もう少し気づいて動いてくれと、お願いしても自信がないと、それで僕が爆発しても重くて受け止めきれないと言われてしまいました。
もう人に甘えたりすがったりする気はありません。ひとりで強く生きるしかないのです。
でも、やっぱりつらい。
この他人への顔と、自分自身との間でこらえすぎてぐちゃぐちゃになった心は、ふつうの人であるパートナーでさえも受け止められないんです。
でも、自分が学び、誰かにしてるのと同じくらいでいいから、傾聴力や、ホスピタリティーや、カウンセリングマインドや、気配りができる人がいて、同じように感情の狭間で苦しんでいる人がいるなら、支えあいたいです。
この文章を読んで批判感情が生まれる人は何も言ってこないでください。
いろいろ経験してるので宗教やセミナーの勧誘は効きませんよ。
どなたか、お願いいたします。
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