うどん県VS愚行権

※音を揃えたかっただけで、タイトルに香川県及び香川県民を揶揄する意図はありません。

■はじめに


昨日(3/18)に、香川県のいわゆるゲーム規制条例が可決されました
(参考:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56932160Y0A310C2LA0000/

これに対し、インターネット上には反対意見を主とした様々なリアクションが見られますが、本記事では「ゲーム、インターネット規制の目的」を整理し、そのそもそもの妥当性について論じ、加えて具体論として香川県条例の是非について考察していくものとします。


なお、筆者の立場を先に明確にしておきますと、
・子供のゲーム、インターネット利用へのある程度の制限には賛成
・香川県条例の制定理念、内容、プロセスはいずれも容認できない
といったものになります。

■ゲーム、インターネット規制の大義とは


そもそもゲーム・ネットへの規制には妥当性があるのか、という点について考えていきましょう。


大前提として、規制の目的は「青少年権利や精神・身体的健康の保護」であり、その目的達成以上に過度な規制は設けられるべきではないものとします。その上で、青少年のテレビゲームやネット利用規制論において、その主たる目的として掲げられることは、大別すると以下の3点となると思われます。

① 学習機会の損失防止

学生の本分である勉強の時間が、ゲーム・ネットにより奪われるという考えです。本来保護者の管理するところに任せられるべきとの意見もごもっともではありますが、増加し続ける共働き世帯の割合や、叱れない親/そもそも教育に関心のない親等の問題が存在するのも事実です。

それらを鑑みると、貧富などの数値に見えるものによらない家庭環境による子供の教育機会格差を埋めるために、規制を設けるというのは、目的として適切ではあると筆者は考えております。

なお、ゲームやスマホの利用自体と学力の相関については多方面から肯定する調査結果が挙がる一方でその相関が因果を意味するかについての批判も多くあるため、ここでは割愛し、あくまで学習機会の損失の問題について触れます。

実際に、企業努力により一定時間以上のゲーム利用ができなくなる機能の実装といった施策が行われ始めております。
(参考:Nintendo switchのみまもり設定


しかしながら、こういった機能はあくまで「保護者の積極的介入」がなければ利用されず、「教育に関心のない保護者」の管理下では正常に作用しません。よって、より万全な学習機会損失防止策として、下記に述べるスマートフォンのフィルタリング同様に、これらの機能の利用義務化をはじめとする、ゲームの利用時間制限についての条例の制定自体には、少なくとも議題に挙げる価値があるものと考えます。

なお、ここでは本題から逸れるため深く触れませんが、テレビといった自己で完結してしまい、なおかつ特に親の不在時の管理が困難なコンテンツと比較した場合に、殊更ゲームのみが規制対象として挙げられることが正当であるとは筆者は考えておりません。

② 青少年の利用に適さないコンテンツへのアクセス防止

アダルトサイトや暴力的表現を含むサイトなど、青少年の利用に適さないコンテンツへのアクセスは、インターネット環境の普及により、より容易なものとなりました。

その中で不適切または違法なコンテンツの利用者および発信者になる危険性排除のため、フィルタリングなどの措置をとるべきであると考えられるようになりました。当事者である子供たちや関連事業者の中には反対意見も多々あったようですが、青少年インターネット環境整備法が2008年に制定、フィルタリング機能の実装が義務化されました。

この法律では保護者が申し出ない限りの義務とされており、スマートフォンの普及と共に、フィルタリング機能の利用率は低下していきました。そこで、2018年には改正法が施行され、事業者のフィルタリング有効化義務だけでなく、保護者にも18歳未満の利用のため契約する場合には申し出ることが義務づけられました。
(参考:青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律-wikipedia
改正青少年インターネット環境整備法とは
利用制限されるサイト/アプリカテゴリ・SoftBank

表現の自由の侵害にあたるとの批判もあったフィルタリング義務化ですが、概ね社会一般には好意的に受け取られているようです。
(参考:http://article.machicomi.jp/question/171123/index.php?Dpid=1000027525)

※インターネット上の投票結果であり根拠とはしません。意見の一例として挙げるものとします。

ここで注視すべきは、やはり青少年の保護を目的とする施策の徹底には、保護者を含めた義務化でないと効果が薄くなる、ということでしょう。「保護者に任せるべき」は良識のある保護者の存在を前提としており、それがカバーできる範囲は、多くの人が考えるよりもずっと狭いものです。

あくまで個人の意見としては、各社の提供するフィルタリングや利用制限がなされていないサイト上でのゾーニングもより強いものでよく、フィルタリング外でも青少年のアクセスに適切ではないと思う表現が多々あるとは感じますが、それらが全年齢のネット以外のコンテンツから大きく逸脱しているとは言い切れませんし、表現の自由との兼ね合いからも、概ねこの施策は程よい塩梅であり、成功していると評価しています。

また、こういった個人の感触というものも、総じて自己の経験からくるものです。常に変容し続ける価値観に、自分は乗り遅れているのではないかと、規制の推進論者は己に問いかける姿勢は求められるでしょう。価値観の変容とは別に、守られるべきものがあることは別としても。


③ 視力、脳等への健康被害の防止

いわゆるゲーム依存症や視力の低下から子供を守るべきとする考えです。学力との相関と同様、これらの実在については多くの批判があり、上記2点とは異なり、そもそも目的の正当性自体が決着をむかえていない問題と言えるでしょう。(参考・ゲーム依存症-wikipedia      ゲーム脳-wikipedia )

よって、これを主な目的としてゲーム・ネットの利用制限を設けることには、私は懐疑的な立場をとります。
(個人の観測範囲で明らかに常軌を逸してゲームやネットメディアの利用に執着する青少年がいないかと言えばそうではないが、それが一般的・体系的にまとめ、認められるものかを証明する術がない)


さて、上記のような大義があるとはいえ、個人の生活の領域に、行政が介入することができるのでしょうか。
そこで問題となってくるのが、「愚行権」と呼ばれる権利です。

■愚行権とは

(参考:愚行権-wikipedia)


愚行権とは、仮に周囲から見て愚かで誤った行為であったとしても、個人の領域である限りは誰にも邪魔をされない自由を指します。


「社会がその人の幸福に示す関心よりも、個人の幸福へ最大の関心を持つのは当人であり、その個人の領域への介入が誤りとなる可能性が高く、また介入により幸福とみなすものを強要される実害が、その介入を受け入れずに被る不利益に勝る」との考えによって成り立ちます。

この権利を基に、「たとえ過度にゲームやネットを利用することで何らかの不利益を被ったとしても、その青少年自身の問題であり、他者からの介入は正当ではない」と考えらる方もいるかもしれませんが、実際はそうではありません。

まず、愚行権の提唱者自身が、
「愚行権の主体は能力が成熟した成人であるべき」
「社会的統制を明確に回避するものではない」
「その愚行の結果、批判などは自身で受け入れなければならない」

と、自立した人の自己責任が前提である権利と主張しているほか、ソクラテスなどといった後の哲学者や社会学者らにより、
「自ら堕落を求め、破滅しようとすることを肯定しない、あくまで善と信じる行為についての自由である」
との批判が加えられています。

また、現代において愚行権が問題となる行為には、喫煙・飲酒/自傷・自殺行為/売春・ポルノ/賭博/違法薬物などが挙げられます。
これらについても決して全てが自由というわけではなく、以下のように制限されています。


① その行為者でなく行為を助長した者を罰する(未成年喫煙や飲酒、自殺幇助など)
② 他者への危害性が認められるため個人の自由の領域を超えるため罰せられる(違法薬物など)
③ 被害者なき犯罪/社会的法益に対する罪として罰せられる(売春、ポルノ、賭博、違法薬物)

(参考:被害者なき犯罪-wikipedia  社会的法益に対する罪-wikibooks )

喫煙や飲酒・ポルノなど、未成年の関わる場合にのみ規制される行為も多数含まれており、これらは単に健康上の問題だけでなく、
未成年者の未成熟な自由意思に基づく行為が、常に認められるわけではないという、愚行権の考えにも則っています。

3番目については馴染みがない言葉かもしれませんが、簡単に言うならば、
「社会的道徳に反したり、社会に悪影響を与えるような行為は、被害者がいなくても処罰の対象になり得ますよ」
という考え方です。

上記のどれもが、世に出た頃から規制の対象となっていたわけではありません。
実際に日本でも明治時代あたりまでは未成年飲酒・喫煙は可能でしたし、ポルノについても現在進行形で法規制は変化しています。(ここでは個別の規制の是非については論じませんが)


後になって当人への有害性が確認された行為や、人の、個の理性がコントロールできる範疇に収まらなくなった行為については、たとえ直接の被害者がなかったとしても処罰の対象であり得る。そんな社会で私たちは生きており、理性的な振る舞いが常に万人に求められています。


一方で、これらの個人の自由領域に対する罰則を定める際には人権の尊重が当然必須です。より確かな有害性の証明や、過度に自由を侵害することがない規制内容の選考がなされなければなりません。


さて、本件で問題となる青少年のゲーム・ネット利用についてはどうでしょうか。
まず、行為者は未成年であり、愚行権において保証対象とされる、自由意思に基づく成人の行為からは外れると解せます。
そして、先に述べたフィルタリングの義務化など、後になって社会的法益を損ねると判断されて規制が進んだ例からも、目的が理に適っていれば、その規制自体は妥当であると、筆者は解しています。


直接愚行権と関するわけではありませんが、他にも社会の変容に合わせて規制が強化されたものは多く挙げられます。
インターネット黎明期には溢れていた違法なコンテンツ、消費者にとって不利益をもたらす広告など、人の理性のコントロール可能な範疇を超えてしまったが故に取り締まりが厳しくなったもの、または新たに規制の対象となったものは枚挙にいとまないでしょう。


ゲームについても、日本において統一のレーティング審査を行う団体が設立されたのは2002年で、ファミリーコンピューターの発売から約20年後、現在から数えて家庭用ゲーム機の歴史の約半分は、各社の基準に委ねられていました。(参考:コンピュータエンターテインメントレーティング機構-wikipedia

これらの規制を狭苦しい世の中になったものだ、と悲観する方も当然多くいるでしょうし、私も現代のインターネットを取り巻く状況について、納得していないことも多くございます。


しかし、まだ若い文化の担い手である我々は、技術や社会の進化・変容に合わせて、たとえ今現在認められている行為も、ある日を境に社会全体の利益を守るため、規制の対象となる可能性を、日々意識しなければなりません。(無論不当な規制と思うものへは反対する自由がありますし、国の基本法である憲法に反する法律や条例の制定へは声を上げるべきでもあります)


「今できることは、いつまでもできて当然だろう」というのは余りに甘く、楽観的な考えなのです。


■香川県条例の妥当性


では、今回話題となっている香川県の条例は、今まで触れてきた目的、内容の妥当性、そして制定経緯の正当性を備えたものと言えるのでしょうか。
なお、制定目的などについては、本条例に対するパブリックコメントの公募概要および素案を参考としています。(https://www.pref.kagawa.lg.jp/gikai/hodo/pabukome_020123.pdf

・目的/理念

第1条 この条例は、ネット・ゲーム依存症対策の推進について、基本理念を定め、及び県、学校等、保護者等の責務等を明らかにするとともに、ネット・ゲーム依存症対策に関する施策の基本となる事項を定めることにより、ネット・ゲーム依存症対策を総合的かつ計画的に推進し、もって次代を担う子どもたちの健やかな成長と、県民が健全に暮らせる社会の実現に寄与することを目的とする。 (本条例素案より)


以上のように、香川県のゲーム依存症防止条例は、「規制の大義」の項で述べたうちの③健康被害の防止(加えて学力低下防止)を主としたものであります。 先述した通り、いわゆるゲーム脳およびゲーム依存症の認定については多くの批判が存在します

またWHOからの認定自体も日本の研究者の懸命極まりないロビー活動の成果であり、その信憑性には疑問を呈さずにはいられません。

規制の主たる目的として。これでは十分な説得力を備えていないと感じております。


よって、香川県のゲーム・ネットへの規制は正当な大義を欠いたものであり、その内容の是非以前に、社会的法益を守るには不適当であると筆者は考えます。


・条文の内容


第 11 条 インターネットを利用して情報を閲覧(視聴を含む。)に供する事業又はコンピュータゲームのソフトウエアの開発、製造、提供等の事業を行う者は、その事業活動を行うに当たっては、県民のネット・ゲーム依存症の予防等に配慮するとともに、県又は市町が実施する県民のネット・ゲーム依存症対策に協力するものとする。
2 前項の事業者は、その事業活動を行うに当たって、著しく性的感情を刺激し、甚だしく粗暴性を助長し、又は射幸性が高いオンラインゲームの課金システム等により依存症を進行させる等子どもの福祉を阻害するおそれがあるものについて自主的な規制に努めること等により、県民がネット・ゲーム依存症に陥らないために必要な対策を実施するものとする。
 


 
第 18 条 保護者は、子どもにスマートフォン等を使用させるに当たっては、子どもの年齢、各家 庭の実情等を考慮の上、その使用に伴う危険性及び過度の使用による弊害等について、子どもと 話し合い、使用に関するルールづくり及びその見直しを行うものとする。
2 保護者は、前項の場合においては、子どもが睡眠時間を確保し、規則正しい生活習慣を身に付 けられるよう、子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピュータゲームの利用に当 たっては、1日当たりの利用時間が 60 分まで(学校等の休業日にあっては、90 分まで)の時間 を上限とすること及びスマートフォン等の使用に当たっては、義務教育修了前の子どもについて は午後9時までに、それ以外の子どもについては午後 10 時までに使用をやめることを基準とするとともに、前項のルールを遵守させるよう努めなければならない。

(素案より一部抜粋)


本条例の内容について、特に批判を多く浴びていたのは上記11条および18条(素案時点)でした。


まず11条の、可決された条例にも盛り込まれた事業者の努力義務についてです。全国規模で展開するゲーム事業者に対して特定地域への対応を求める技術的な負荷や、既に全国規模で行われているフィルタリングの義務化、レーティング以上に自主規制を求めることの表現の自由・経済活動の自由への介入については、後述する制定過程を踏まえても、一つの都道府県議会の短期間の審議で決定するには、あまりに全国の業者へ及ぼす影響が大きく、また制限される事業者の経済活動や表現の自由が重すぎるように見えます。


続いて、18条において基準とされる「1日1時間」などの制限は当初スマートフォン等の使用が対象となっていましたが、その後ゲームを限定に対象とし、あくまで目安であると変更されました。確かにトーンダウンはしたものの、この条件には科学的根拠が乏しい、との指摘が多くなされております。

FNNの香川県への取材を見ても、また1時間以上のゲーム利用リスクの根拠とされる久里浜医療センターの調査を参照しても、科学的な検証が十分になされているとは言い難いものです。久里浜医療センターの調査はあくまで社会人を含む若者全体へのアンケート結果であり、医療的な調査・実験ではありません。よって当然、その回答にバイアスがかかっている可能性を排除できず、ゲームの利用やその明確な利用時間と、各種症状との因果関係は証明されておりません。


以上より、本条例は理念だけでなくその規制内容までもが、まったく科学的に裏付けされた妥当性に乏しく、青少年のゲーム利用へ介入し、また事業者への技術的、経済的コストを強いる正当性を欠いたものと私は判断いたします。


・制定の過程

① 制定までに十分な議論は尽くされたか
香川県議会がゲーム規制へ本格的に乗り出したのは、2019年3月からです(参考:https://news.line.me/issue/oa-shikokunews/da033fcbb371
調べた限りなので、ここに誤りがあった申し訳ありません。
その後、素案が示されたのが2020年1月10日、そこに修正が加えられたのが1月20日でした。具体的な内容が明らかにされてから、県民に許された猶予は僅か2か月と少し。その間、世論が関与できる隙があったかというと、甚だ疑問です。(この条例に限ったことではありませんが…)

一応、いくつかの都道府県のホームページから、条例の制定過程が明記されたページを見て回りましたが、重要なものであれば発案から制定まで2年近く、またはそれ以上かかっているものが多く見受けられました。(これに関しても、ごく一部のサンプリングであるため香川県の本条例と単純な比較はできないとは思います。)


② 民主主義は守られているか

この条例の最も厄介な部分は「形式上は民主主義の手順が守られていること」にあるでしょう。
香川県議会の定数に占める無投票当選の割合は、2019年には46.3%(その4年前は65.8%)となっており、これは全国的に見ても有数の高い割合となります。

しかし、いかにその実情が県民の意思を反映していると言い難くとも、手続きが合法である限りは、法律や憲法に反しているとの判定が下る、署名により条例の改廃の直接請求権が行使される(ただし可決されるとは)などしない限り、そう簡単には覆りません。


③ パブリックコメントの取り扱いについて

パブリックコメントの公開について、公募要項には以下の通り記されています。


8 意見の取扱い
(1)提出いただいた意見等の概要とこれに対する県議会の考え方については、香川県議会事務局 や香川県県民室、各県民センターの窓口と香川県議会及び県ホームページ上で令和2年2月下 旬頃に発表します。
(2)意見について、直接個別に回答することはしません。


実際に概要が公開されたのはごく一部のみであり、また寄せられた賛成/反対の割合と公開された意見の割合には大きな不均衡が見られ、いくら原文ではない「概要」の公開といっても、限度があるでしょうに、と個人的に感じてはいます。


ただし、そもそもパブリックコメント自体に強制力はありませんから、この取り扱いと、制定過程の正当性の問題とは、分けて考える必要があるでしょう。

・評価できる点

ここまで散々と目的及び内容について酷評してまいりましたが、
「保護者へ家庭内ルールの設定を義務付けた」
この1点のみは評価しております。そもそも大本の理念が妥当性に欠いているので、「良い」ではなく「ここだけはマシ」ということです。

・懸念されること

FNNの取材でも触れられていましたが、条例案の最後には以下のように記されています。

2 この条例の規定については、この条例の施行後2年を目途として、この条例の施行状況等を勘案し、検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする。

また、第8条1項、2項にはこうも書いてあります。

第8条 県は、国と連携協力してネット・ゲーム依存症対策の推進を図るとともに、ネット・ゲーム依存症対策に関して必要があると認めるときは、国に対し、他の依存症対策と同様に、法整備や医療提供体制の充実などの必要な施策とともに、ネット・ゲーム依存症の危険要因を踏まえた適切な予防対策の策定及び実施を講ずるよう求める。
2 県は、国に対し、eスポーツの活性化が子どものネット・ゲーム依存症につながることのないよう慎重に取り組むとともに、必要な施策を講ずるよう求める。 


本条例の成果についての調査がどのような方法で行われるかは判明しておりませんが、その結果成果が出ても、出なくても規制を強める必要性がある、と認定されればそのようになる可能性は十分に考えられますし、成果さえ出れば条例ではなく国の法律として同様の内容のものの制定を求めるように動き出すことは、容易に想像できます。(というか、それ以外に解釈のしようがありません)


流石に日本国民の良心を信じたいところではございますが、我々は同様の悲劇が繰り返されぬよう、香川県のみならず国政の動きにも目を向けていかなければならないでしょう。


・総括(条例内容への筆者の意見)
形式ばった言い方をせずに率直に申し上げるならば、



「よくもやってくれたな」


の一言に尽きます。前半で述べた通り、私自身は青少年のネット・ゲーム利用への制限自体には、学習機会損失防止や不適切なコンテンツへのアクセス、または発信の防止といった観点から賛成の立場をとっていますが、それ以前にゲームを愛する若者の一人でもあります。


秩序あるゲームやインターネットの利用状況とは、決して文化に無理解な、老いさらばえた者たちの思い込みと偏見によってもたらされるべきではありません。かの条例は、ゲーム愛好家と規制反対派との間に、大きな分断をもたらしました。その罪はとてつもなく大きい。
この分断により、「妥当な程度の規制」の実現は遠くなりました。ゲーム・ネットの規制自体へ賛成する旨を口にすれば、即ち香川県議会の多くの議員と同質のものと見なされることを避けられません。


本来、理性的な規制賛成派こそ、香川県条例のようなものは許してはならないものではないのか、と思わずにはいられません。


■私たち(そして香川県民)にできること


ここからは大体私の私見です。


①全体の意見を見渡して

肩が凝ってきたのでそろそろ少しずつ語調を崩しますね。


かの条例の全貌が判明してから、県内外のゲーム愛好家、ゲーム関連の著名人、その他あらゆる方面から集中砲火を浴びせられ続けてきたわけですが、果たしてその効果はあったんですかね。


勿論、全くなかったとは言いませんよ。素案からやや規制対象などをトーンダウンさせる程度の影響力はあったわけですから。
しかしあえて言わせていただくのであれば、
「現状なされている反対活動や表明された意見の多くは、憂さ晴らしや個人の注目集め以外には大して役に立っていない」
と厳しい見方をせざるを得ません。


本条例の客体である青少年の多くを占める、選挙権を持たない人たちにできることは限られています。専らインターネット上での意見表明や署名活動への参加のみになってしまうのも、致し方ないかなと思います。

一方、大人(有権者)はどうでしたかね。

少なくとも形式上民主主義のルール内で決められたことは、やはり民主主義のルール、法律をもって覆さなければならないのが世の理なんですけど、そういった呼びかけをしている人たちがどれだけいましたか?


具体的には条例の違憲・違法を訴える訴訟だとか、より現実的なものであれば有権者の50分の1以上の署名を集めて条例の改廃請求をするだとか、それが本来正しい、「効く」やり方なんですよ。もし叶えられなくとも、「票を失うかもしれない」という危機感を与えることができますからね。


無論、条例の改廃請求などに触れたり、呼びかけたり、そのための活動を始めよう、とする方も多く見かけられました。
が、以下に挙げるような、まことに下らない言説の方が結構拡散されたりしているのが現実でして。実に嘆かわしい。
(単なる香川県ジョークはここで批判の対象とはしていません。前向きな提言の皮を被った下らない話に対するものです。)

②その提言意味あります?と感じた例

・香川県の若者は〇〇県に移住しよう!

→規制の客体である学生が自由に移住できますか?また、そうでない有権者である若者に向けた言葉なのだとしても、実際行動に移せる人がどれだけいるとお考えですか?


・条例はe-sports選手となる未来を閉ざすものだ!(特にその業界に携わる者から発せられるもの)

まずはe-sports選手が現実的な夢として志せるような環境を整えて下さいよ。思っていること全てここに書くととてつもなく長くなるので割愛しますが、良好な待遇、プレイヤーや選手のモラル改善、協会同士の利権争いなど、条例以前にクリアしなければならない問題は山積みでしょう。

香川県のe-sports団体、この件で何か仕事しました?改廃請求を呼びかけるとかその手助けをするとか、香川県に限らず口だけで終わらずに実際に行動に移した団体がどれだけありました?


・罰則はないから守らなければいい
→こっそり実行する分には問題ないですけど(いやほんとはあるけども)、それ大々的に呼びかければ、かえって規制が強められる未来が見えないんですか?「やっぱり罰則ないとダメだよな~」って、私が制定側なら間違いなくそう思うでしょうね。


・その他数万件とRTされる非生産的な意見や県民以外も対象としたネット上のアンケート、投票などの数々…


こんなもん、どれだけ拡散して世論を形成した気になっても、勝ち誇っても、得られるものは何もないんですよ。



票にならなきゃ、圧力にならなきゃ、目も耳も衰えた議会の皆さんには届きようがないんです。



④ 真に建設的な行動とは

主に当事者である香川県の青少年に向けた言葉です。いまさら言われるまでもないことかもしれませんが。


・大前提:戦うためには大義が必要である

「ゲームをする自由を奪わないでくれ」ではまともに戦えません。

より多くの人を納得させるための大義・目的というものが戦うためには必要です。

向こうは「ゲーム依存症から守る」という大義を掲げています(その内容がどうしようもなく根拠に乏しくても)。

それを真っ向から、理屈で打ち倒す大義をもって挑みましょう。否定できる材料は僕がこの記事の中で挙げた以外にもそこらに転がってます。


「相手はそんなの聞き入れてくれるはずがない」? 

違います。相手を納得させるためではなく、味方を募るためには相応の、多数が支持できるような大義がまずは必要となるのです。


・大前提2:ゲームを悪者にさせない

「ハナからゲームを悪者にするつもりの相手にそんなことをしても意味がない」? 

違います。少なくとも、あなたが理性的にゲームやネットと付き合っていれば、保護者はそんなあなたから、妥当性のない規制内容でネット環境を奪う政策に賛成する可能性は低くなります。(可能性の話です。)


・改廃請求の取りまとめを反対派議員や県内のゲーム関連事業者へお願いする
何度も触れてますが、まずは議員へ圧力をかけるのが一番です。条例の改廃請求の取りまとめは学生個人で行うにはちょっとハードルが高い(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A1%E4%BE%8B#%E5%88%B6%E5%AE%9A)ので、代表となってくれる人物や組織を探しましょう。また、18歳以上であれば署名はできますから、高校、大学などで協力を呼びかけることもできます。


クソの役にも立たないバズ狙いの意見を見て心を慰めるより、よほど有意義ですよ。


・ふるさと納税で香川県へ経済的圧力をかける
ネット上に挙がっていた具体策の中で数少ない、「これは面白い」と思えたものです。ほかのどの具体策よりも個人で取り組むのが容易で、何より自分にも利益があるのがとても良い。個人にメリットがあるので、呼びかけ、協力を募るのも容易ですね。


■最後に


ここまで長々と述べてきたことを、最後に簡単にまとめます。途中うまく整理できていない、読みづらい部分もあったかもしれませんので。

「目的が妥当であれば個人の領域、特に未成年の行為は規制対象になりますよ」

「実際、ゲーム・ネットに関しては規制が必要な一面もありますし、既に実行され、支持されているものもありますよ」

「それはそれとして、香川県条例はゲーム愛好家として看過できる代物ではありませんよ」

「そんな条例へ反発したくなる気持ちは十分すぎるくらいわかりますが、ためになる意見にこそ耳を傾けましょうね」

「実際にはこんな方法がとれますよ」


以上です。より自由と秩序が両立されたゲーム・ネット利用状況が整うことを、心から願っております。ご拝読有難うございました。

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