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成人期IQ124の世界(1)

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 ときどきテレビやtwitterなどで話題にはなっている知能指数のお話です。知能指数(以下IQ)はクイズ番組の中で「頭の良い人」をわかりやすく表現するために数値が出されていたり、MENSA会員がテレビに出演しているのでIQに興味ある方もいるかと思います。

 主にIQ120〜130以上はギフティッド(ギフティッドの研究が盛んなアメリカでもIQだけでギフティッドと判定するのは少ないと思いますが)と呼ばれ、標準の子供とは違う教育を必要としているということを知っている方もいるかもしれませんね。
 タイトルに書いているとおり、僕のIQは成人用のウェクスラー知能検査WAISの改訂第3版(以下WAISⅢ)において全知能検査が124(標準偏差±15)らしいです(診断書に書かれていた)。WAISⅢにおいては言語性IQと動作性IQ(そのほか言語理解、知覚統合、作業記憶、処理速度の4つの群師数も測定可能)、恐らく総合的な指数である全検査IQやらが測定できます。今の子供達は発達を検査するために、違う検査などでIQを図って発達具合を知るための参考にするというものです。成人の検査であるWAISⅢという検査(2018年からはWAISⅣが出ています)を僕は恋人に振られて鬱状態に陥っているときに、心療内科に行った際に受けました。
 このWAISという検査は、心療内科や精神科を受診する患者が知的障害や発達障害であるかどうかの参考(言語理解と処理速度の群指数のアンバランスさなどを見るらしい)にするための指標として検査が行われる場合が多いのではないかと思います。
 ちなみにIQとは知能の分布が以下のような正規分布表(正規分布は確率の分野で高校の数学Bの学習範囲です)になるという表の中で100を平均とした時に中心からの離れ具合を表しています。

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-正規分布-wikipediaより

 IQ100の人がこの世界で1番人数が多いと仮定していると思われます(IQの概念、精度にはかなり疑問ありですが)。この100より指数が低い人の数や指数が高い人はどんどん少なくなっていくという風な計算で作られた検査です(誤りがあったらすいません。統計学も知能検査も詳しいわけではないので)
そこで、ここで話したいのは 全検査IQ124の僕が周りと話が合わないなとか、なんだか生きづらいなと感じてきたことを伝えたいのです。同じようなことで悩んできた方が読んだら何か参考になるのではないかと思い書きます。

 今回は生まれてから、中学生まで僕がちょっと特徴的だったこと、僕が他の子供と変わっていたと思われること、僕から見える世界(そんなに変わりませんよw)なんか書いていきたいと思います。

乳児期
 

 知能指数と関係あるかわかりませんが、まだ歩ける筋力などが備わっていないのに歩こうとしたり、言葉を上手に発せないのに、発しようとしていたそうです。母の友人の子達よりも身体的な発達は早くありませんでしたが、能力的な発達が色々な項目で早かったそうです。しかし、これは出生時の成熟具合なども絡んでくるかなと思うし、僕自身乳児の発達について詳しくないのでよくわかりません。
 他に特筆すべき点としては、知能指数との関連性があるかはこれまたわからないのですが、2歳で床屋に連れて行かれても「じっとしているんだよ」と言われると、僕はあまり動き回ろうとせずじっとしていたということです。母や床屋の人にとっては2歳児が言うことを聞いておとなしくしているのは印象的だったとよく話していました。

 この頃見える世界とは言っても、母と父と自宅の中が世界の全てでした。

幼少期 

・生き物の図鑑が大好き。様々なかたちや大きさの生き物がいること、食べるものが違うこと、生息環境の違い、模様や色に興味を持っていました。生き物の図鑑を見始めると何時間でも見ていたそうです。
 動物園に連れて行ってもらうと、一つの動物を数十分観察しているというのが母を疲れさせたようです。当時は動物の輪郭や細部を目で追うように見ていた記憶があります。ローランドゴリラとマウンテンゴリラは違うと母に主張していたようです。
ゴリラはニシゴリラとヒガシゴリラに分けられ、”ニシゴリラはニシローランドゴリラとクロスリバーゴリラの2亜種、ヒガシゴリラはヒガシローランドゴリラとマウンテンゴリラの2亜種に分類”されているそうです
・字は自然と書けた訳ではなかったです。僕が4歳の頃、あるRPGゲームを買ってもらったのですが、字が読めなかったのでどうやってプレイしたら良いかわからず、色々試行錯誤してみたのですが、わからなくて泣いてしまったのを覚えていますw
 その後、友達から「手紙」をもらい「お母さん、僕お返事を書きたい」と言っていたので、母が五十音表をトイレの戸に貼っておいてくれたので、数日で覚えて手紙の返事を書いていたそうです。これも、字は家の中にも新聞など至るところにあるので、字に対して馴染みがあったのかもしれないという可能性を排除できないです。
・ブロックが大好きでした。ブロックを母の友人からプレゼントしてもらったので、よくブロックで遊んでいました。母の話ではブロックで遊び始めると数時間没頭していたそうです。こんな姿を母は「変わった子」と感じていたそうです。
・結婚相手について妄想する。幼稚園のクラスで可愛いと思っている女の子と結婚する妄想をよくしていたのを覚えています。もちろんそれを誰に打ち明けてはいませんがw
・公園で遊んでいたとき、大きいお兄ちゃん達(多分小学生)が遊具支柱を手と脚で挟んでスルスルと滑り降りていました。「僕も出来そう」と思い、挑戦してみますが、腕の筋力も脚の筋力も未発達な僕は顔面から落下。前歯が折れて血まみれになりました。
・テレビゲームに没頭する。スーパーマリオワールドを4歳時にクリアしました。
・生き物地球紀行というNHKの番組が好きで、よく見ていました。

 この頃の世界観は家庭から少し広がって、幼稚園友達との関係、自転車(補助輪付き)で行ける範囲、祖父母や親戚、母の友人の子供との関係など少し広がりました。そのほか図鑑で見る世界やテレビで見た世界(特に生き物の世界)が広がり始めていたと思います。それでも、日本列島という概念もないし、世界がどうなっているとかは考えていなかったと思います。

小学校1〜2年

・全校集会などでツバが口に溜まる。理由はわかりませんが、緊張からかツバが溜まってすごく辛かったです。
・掃除の仕方がズレている。これは当時なぜだと納得行かなかったのですが、小学校1年生から6年生までが一緒に掃除をする「縦割り掃除」をしていた時のエピソードです。机と椅子を教室後方に全部下げて、掃除をして、その後机と椅子を前方に動かし掃除をするといったやり方をしていました。しかし、机と椅子の後方への下げ方が甘いとちょうど教室の真ん中に掃除が行き届かない箇所が生まれると頭でイメージしていました。そのため、机の下に潜り込みホコリがないかと確認をしていました。その様子を5学年上の小学6年生によくからわれていたのです。当時、拙いなりに説明したと思いますが理解を得られなかったのを覚えています笑
・勉強机に座って目をつぶり、想像の上で椅子から立ち上がり外に遊びに行く遊びをしていました。歩くのが面倒だったのか、理由はわかりませんが、よく勉強机に座ってそこから部屋を抜け出し、玄関の戸をくぐり近くの公園などに行く想像をよくしていました。あまりやり過ぎると頭が痛くなったものでしたが、ついついやってしまっていました。

・担任の教師からは「どうしてこの子はこんなに物事を知っているのだろう」と思うくらい博識だったいう評価を得ていたそうです。当時の自分は他の同級生と頭の中を比べる方法もないわけで、そんなことを知る由もないのですがね。

 この頃は世界に様々な生き物がいることを知り、世界の生き物に想いを馳せることが増えました。世界観は学校や近所の友人関係だけでなく、隣町にある川や森林にも興味が湧いていました。親に連れて行ってもらいクワガタを捕りに行ったり、海辺で生き物を探したり、イソガニやヤドカリを捕まえて飼育したりなど。日本国内の島に旅をしてそこで生き物を探したいなどと思っていました。


小学校3〜4年

・母と僕という女子供しか家にいない時に強盗が来たらどうしたら良いかをよくシミュレーションしてました。僕の住んでいたところは住宅街で特に治安が悪いとかいったことはなかったのですが、恐らくテレビで強盗に押し入られる場面を見て、強盗が来る場合もあるかもしれないから準備しておこうと考えたのだと思います。幸い、今までの人生でそのシミュレーションは役立っていませんw
・小学校3年生のとき、担任の教師に「君は遅い」と評価を受けていました。何か質問をしても、ずーっと「うーん」と考えているから非常に評価が低かったそうです。通知表にも「がんばりましょう」の項目にいくつか○がついている。
 それが4年生になると「この子は賢くて長時間考えることができるのだ」という評価を担任教師から母は伝えられていたそうです。余計なお世話だ。
・幼少期の生き物が好きだったのは継続していた

 図鑑や生き物を取り扱ったテレビ番組により、ジャワ島やアマゾン川、アフリカなどを生物の分布している地域としてかなりはっきり認識するようになっていました。古生代のアンモナイトなどを代表とする無脊椎動物、中生代の巨大な爬虫類、初期の哺乳類、人類の誕生を面白く感じていました。未来の生物の進化のファンタジー作品を母に買ってもらい夢中になり読んでいました。エベレストの登山記なども読書感想文のために読み、世界が広がっていくことを感じていました。

小学校5〜6年


・担任の教師が母に「この子には勉強させろ。どうなるかわからないぞ」とよく伝えていたそうです。恐らくその時期に行われていた標準学力検査(だと思う)の結果によるものだと思いますが、当時の試験を「風変わりだな」と思ったことしか覚えていないので判然としません。
・学習塾に通っている同級生の方が自分より勉強について「できる」印象でした。頭がよいとか勉強ができる、できないとかどちらかと言えばどうでも良かったと感じていました。
・担任の教師が中学受験の算数の問題を僕たちに出題していたことがありました。図形の問題だったので僕は「面白そう」と思って挑戦していたのですが、隣の席の塾に通っている女子に「お利口さんですね」といった嫌味を言われたことを覚えています。

 当時は徐々に世界には多くの国があることを認識し始めていた頃だと思います。祖父が過去にソ連に捕まっていたことなどを知ったり、担任の教員から「日本は悪かったからアメリカに原爆を落とされた」と説明を受け、小学校で学んできた道徳観との大きな矛盾を感じて担任の教師に対して大きな不信感を持ったのを覚えています。この頃は釣りにもハマり、自分の住んでいる市内の沼などに自転車で友達と通ったりしていました。よくゲームをしていてRPGの世界観にもハマっていた時期でもあります。

中学生


・母に「学習塾に行ってみない?」とそそのかされて、母の気持ちを汲み取って学習塾に行き始める。本当は行きたくはなかった。
・学習塾に通うと学校の先取りの単元について宿題をやらされるため、学校の授業が重複するため非常につまらなくなる。
・学力テストとやらで、学年1位(1学年の生徒数280人程度)に2回なる。内容が理解できない社会科のテスト勉強が面倒臭くて、教科書をページごと画像として記憶できないかとか試行錯誤していた。授業中、板書をノートに書き写すのが馬鹿臭いと思っていた。なぜなら同じことが教科書に書かれているし、塾で宿題やらされているから。
・数学って何に使われいるのだろうと疑問に思い図書館に行き、「理工学などの基礎になっていたり、論理的思考、推論能力の基礎」などと説明がされている数学の本の説明を見つけ、ぼちぼち納得する。
・同じクラスの勉強を頑張っている同級生に「お前はいつ勉強しているんだ?」とか「毎日何時間勉強しているんだ?」と何度か質問されたことがありました。「いや、塾に週2回行ってて、なんか宿題出されるし」と答えるも、相手は納得していなかった。塾でも学校の授業でも寝てることもよくあった。学校の勉強にはそれほど面白くないクイズみたいなものだと感じていました。
・学校の宿題を提出しないし、授業態度も良いとは言えないので定期テストで高得点、満点とっても5段階評価で4のオンパレード。母がその状況を見てカリカリしていた。「いや、オレはじいちゃんがしていたような職人に興味があるんだけど」と思い、説明するも母は聞く耳を持っていなかったですね。
・女子と上手く話せない、不良や強気な同級生と対等に話せないなどの自分の劣等生について考えることが多くなりました。あとは父が離婚して一緒に住んでいないことなどについてもコンプレックスでした。
・同級生は好きなバンドやバラエティ番組などについてよく話していたが、僕はそれほど興味がなく一応チェックはするけどそれほど興味は持てず、話が合わないなと感じるようになっていました。友達とはサッカーやスポーツの話題が中心でした。

 この頃は思春期になり、「女子」や性的なことに強烈な興味があり、またスポーツの能力を上げたいと真剣に考えていた時期で毎日のトレーニング、栄養や睡眠などで最善を尽くそうと考えていた時期でした。そのため、小学校まで強烈に興味を持っていた生き物に関して関心が薄れていました。サンショウウオや魚なんかは飼育していたのですが。世界の民族などや人種、紛争についても教科書やニュースなどで多少知っていましたが、それよりも自然地理学的な気候の区分に興味があったように思います。小学生までのような生き物を中心とした世の中への興味から、目の前の同級生や好きな女子に対する興味が中心になっていたように思います。

高校生以降についてはまた記事を投稿したいと思います。読んでくれたあなたがあなたのことについて何かを気がつくきっかけになれば幸いです。

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