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人に理解されなくて辛いとはどういうことか


 「理解されなくて辛い」ネットを徘徊したりネット上で会話していてこのように思っている人が世の中には多いだろうなと思いました。僕自身もそのように感じていたこともありますし、友人から「理解されないのは辛いよね」という言葉をかけられたこともあります。
 また、自分のやりたいことを人に伝えた時、自分の辛さを打ち明けたときに理解されなくて悲しい気持ちになったことを思い出しました。
 しかし、今考えてみると僕は人に理解されなくて辛いと思ったことがあったとは言え、よく考えてみると、理解されないことが辛いわけではなく、一緒にやろうと声をかえてもらうとか、協力するとか応援されないことが辛いというか悲しかったのではないかと思われます。
 人間同士、生まれついて持っているものも、育った環境も考えていることも経験していることも違うわけなので、理解されないことがあるのは当然な訳です。
 例えば、このNoteは日本語で書かれているので、読む方のほとんどが両親が日本人同士の日本人の方が読んでいるかと思いますが、日本には親の片方が外国の方だったり、日本で育った外国人の方もいるわけです(サードカルチャーキッドと呼ばれています)。その方々も理解されないってことが山程あるわけで、理解されないなんてことは自分が接しているコミュニティの中で多数派に属していない限りいくらでも起きるわけです。
 実際、僕は正直、必ずしも理解される必要はないのではないかと思っていますが、多くの人には特に自分の辛さを理解して欲しいと考える方が多いのではないかと思います。これは子供の頃、親(育てる人とか周りの大人)が自分のことに関心があって欲しいという欲求、所属しているコミュニティの中で自分が仲間であるということを確認したいという欲求が根底にはあるのかなと予想しています。
 まあ、辛いこととか理解してもらえるのは良いことですけど、実際はその辛さの原因を解決できなければ辛さは続くことになりますし、やりたいことは理解してくれる人を別に探したり、誰にも言わずにやればいいことも多いかと思います。人に理解を求めるから「理解されない」ということがどうしても起きてしまうという訳ですね。

理解されると嬉しい?

 なかなか周りの人に理解されなかったことを、理解してくれる人が現れると嬉しかった経験が僕の人生でも何度もありました。自分の考えだったり、社会について思うこと、良いなって思ってることをです。
 2017年のビジネス書大賞を受賞している『サピエンス全史』などを読んでいると、人間(ホモサピエンス)は誰かと何かを共有することに喜びを感じるように進化してきたのではないかと思うのですが、特に辛いこと(痛みがあるなど)を他の人にわかってもらうことは自分が生存する上で必要だったことであろうし、やりたいこと(新たな土地に向かう、新しい概念を伝える)を共有するようにも進化しているのでしょう。そういったことから、人に理解されたいことがヒトとして進化してきた名残ではないかと予想できます。


理解されないと辛い?


理解されないと辛いことの3大項目としては以下のものがあげられるかと思います。
・自分のやりたいこと
・自分が辛いこと
・自分が他のマジョリティと違うところ

 大体、この3つかなと思います。自分のやりたいことを親や配偶者に理解してもらおうと期待して話して、理解されないと、結構落胆しますよね。親であれば、経済的に支援してほしかったり、一緒に考えてほしかったりする場合もあると思います。
配偶者にも、自分のやりたいことを理解されず冷遇されるとなかなか辛いものがありますね。
 2番めの自分が辛いことをわかってもらえないと辛いというのは、例えば人間関係で困っていたり、自分を責めていて辛かったり、身体のどこかが不調を来していたり、そんなことを理解してくれないということですよね。人間は当然こういった思いも理解して欲しいという生き物だとは思いますが、話を聞く側が何か信念を持っていたり、傾聴スキルがなかったり、共感スキルがなかったりした場合、その期待は叶いません。
 3番めの自分がマジョリティと違うことは、例えば、LGBTQではないかと自分のことを相談する場合なんかがあるかと思います。LGBTQであると完全に自身で納得している場合でも、「大事な人」だから伝えておきたいということもあるかと思います。他には、自分の障碍について話したりとか、特異な趣味嗜好を伝える必要がある場合もあるかと思います。これも相手の信念、理解力、共感力に左右されると思いますので、期待は打ち砕かれる可能性があります。

理解されない場合はどうしたら良いか

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 理解されなかったら、悲しいけれどひとまず理解しない人を説き伏せて理解して貰う必要はないかと思っています。
 実際、その理解してもらいたいことは「辛いと思っていること」なのか、「自分がやりたいこと」なのか、「自分がマジョリティとは違うこと」なのかと区別してみることから始めてみるのはどうでしょうか?
 辛いと思っていることは解決できればよいし、自分がやりたいことはやれれば良いし、自分がマジョリティとは違うことを受け入れてもらうのは相手次第です。そのように整理されれば、「理解されなくて辛い」ということにも適切な対処ができるのではないでしょうか。
 それでも、理解して欲しいという欲求が抑えられない人はメンヘラとは、自己虐待とは?を参照してみててください。
 何らかのヒントが見つかれば幸いです。


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