とにかく生き延びろ!第2回 自殺ってちょっとカッコイイ

「自殺ってちょっとカッコイイな?」って思いません?

私は詩人のサイトで知り合った年下の友人が自殺した経験がございます。

その友人とはオフラインで会うことはなかったけど、メールしたりもしていたので、友人が自殺したことはその後の死生観を少し変えました。

その子はずっと「死にたい」と書いていて、私はどこかで「ここで吐き出しているから大丈夫」とタカをくくっていました。

そんなことはなかった。

自殺って、わからないけど多分慣れてくるんだと思います。

慣れてきて、やることが過激になったり、躊躇いがなくなるんじゃないかなと思います。

友人が本当に死ぬつもりだったのかは、実際はわかりません。

そして、死んでからの友人はネットで伝説化していきました。

あぁ、ちょっと羨ましい。

若くして死ぬことというのは、少しロマンがあります。

ロックをやる人が、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、カート・コバーンらが27歳で死んだことから、27歳には死んでいたいと思うことがあるみたいです。

ソフィア・コッポラだって、『ヴァージニア・スーサイズ』とか撮ってたじゃないですか、観たことないけど。

ダラダラ生き延びていくのは、少し間抜けに思うし、老いと向き合うのはなかなかしんどいことです。

そんな、ちょっと「自殺カッコイイ」と思ってしまう私に、素晴らしい一言で自殺を考え直させた人がいます。

うめちゃんという友人です。

うめちゃんは私がtwitterに「死にたい」と書いて、異変に気付いて、うちに一度来たことがありました。

しかも、真夜中です。

本当に感謝しきりですが、そのうめちゃんはやって来て、とりあえず死んでない私にこう言いました。

「北条かやじゃないんだから…」

北条かやさんに特になんの恨みもございませんが、「ぎゃー!!!あの人と一緒にされたくない!」と思いました。

あと、「太宰治じゃないんだから…」も結構嫌です(太宰ファンの方ごめんなさい…)。

太宰治botをフォローしてますが、太宰治はどこまで行っても太宰治であり、そのナルシストぶりに感動しつつ、こいつと一緒にされるのは勘弁だな、って思いました。

死ぬと箔がついてカッコよく感じるのはあると思うんです。

しかし、死んでしまったあとは自分がどう言われるかなんてわかりません。

死んだからもうどうでもいい、って思うかもしれませんが、そんな理由で死にたくなるような人には「どうでもいい」はずではないと思うんです。

きっと太宰治も天国か地獄か知りませんが、我々のことを見て、こんなことなら…と思っているかもしれません。

私の場合、北条かやを引き合いに出されたり「ヒグチさんって結局ナルシストだったよね。太宰治みたいなさ。」とかお通夜で言われたら、もう一度生き返ってその場で自殺するかもしれません。

まずは自殺がカッコイイケースに転じない可能性もあることを頭の片隅に置いておいて欲しいです。




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