らぶりー③

 オミの方から誘ってきたドライブだった。車を出すというので、持っているのかと聞いたら友達から借りると返された。マイとしてはオミが車の免許を取っているということ自体がなんとなく意外なくらいだった。
「どのへんに行くの?」
「まあ、任せてよ」
 スマートフォン越しに聞こえてきたオミの声は、いつもと大して変わらない調子ではあったが、言葉の中身としては珍しく頼りなさよりも強引さのようなものが強かったのでこれも意外と感じる。とはいえど深掘りはせず、マイは了解とだけ返した。サプライズを仕掛けると丸分かりの誘いをされることに懐かしさを感じる。
 当日は頬を撫でる冬の冷気に心地よさを感じるような晴れ日になった。どちらの最寄とも離れた駅のロータリーへ降りていくと、オミが既に車にもたれかかりながら煙草をふかしていた。
 品の良い犬のような鼻先のシルバーのクラウンで、マイは思わず噴き出してしまった。借り物とは聞いてはいたが、いかにもオミらしくない。磨き上げられた車体に好ましさよりも傷つけたりしちゃわないだろうかと不安を感じる。別にオミ自身も格好をつけようとこの車を選んだわけではないだろうし、マイもオミがどんな車でやってきても気にはしなかったのに。
「ここ、吸ってもいいところ?」
「どうだろ」
 オミは辺りを見渡して「禁煙と書いてはいない」と煙草を持ったままセーフのジェスチャーをした。マイはため息を吐いた。
「もうちょっとだけ吸わせてよ。車内禁煙って言われてるから」
 オミは最早愛おしげな口つきで煙を吸い込んだ。友達との約束は守るんだな、とマイは思ったあと、意地が悪いなと首を振る。オミは最後の最後まで煙草を味わい尽くしたあと、助手席のドアを開けマイを招き入れた。こういう妙なところで、ハルとは違って気が利く。
 入った途端、花の香りがした。確かにこの車内をヤニで染められたら溜まったものじゃないなと苦笑した。
 元々カーアクセサリーを買い漁るというタイプではないのか、車を渡す前に片付けたのかはマイには分かりようもないが、物が少ない、すっきりとした印象の車内だった。車の機能性をそのまま愛したいというタイプの持ち主なのかもしれない。唯一、ダッシュボードにディズニーキャラクターのフィギュアがいくつか置かれていた。
「ディズニー最後いつ行った?」
 運転席へ回りこんだオミがマイへ声をかけた。
「一、二年前かな」
「ハルと?」
「そうそう」
 マイはミッキーの耳を軽く撫でてから「あっ」と気づいた。
「今日ディズニー? そんな無理しなくていいけど」
「ううん。違う」
 オミはミッキーの鼻を指で弾いて倒してからシートベルトを締め、エンジンをかける。バスの真似でもしているみたいにゆっくりと発進し、県道に出て一般車の波に乗った。
「なら良かった」
 マイがため息を吐くと、オミが眉を上げた。
「いや、嫌いなわけじゃないし、むしろ好きなんだけど。お高いかなっていうのと、余りああいう風にははしゃげないかなっていう感じがさ」
 ハルは何歳だろうと、ああいう風にはしゃげる人間だった。ぐいっとマイの腕を引っ張って、園内のムードを全力で楽しんでいたし、ハルの隣にいる時はマイもそうなれていた気がする。マイはダッシュボード上のミッキーを起こした。
 オミは「ふうん」と気がなさそうに返してハンドルを回す。まだ走り出してから数分程度だが、オミの運転は滑らかで、流していくという感じだった。引っ張ってはいかない。
「俺ははしゃがないで行くディズニー好きだよ」
 前を見たまま、呟くように言った。
「ぼーっとベンチに座って、パレード見てたりする」
「良いね、それ」
 言いながら、マイはその様子を想像して、微笑んだ。開園して、ワールドバザールをふらりと抜けたオミがベンチに座る。そのままずっとそこにいて、時折通り過ぎるフロートを眺めている内に閉園時間に至る。シミュレーションの中のオミの横には誰もいなかった。
「でしょ」
「今度やろうよ」
 オミは曖昧に頷いた。「一人が良いの?」とさっきの想像のまま尋ねると、悪戯っぽく口角を上げて「一人でやってたなんか言ったっけ?」と返してきた。小憎たらしい。
 車が料金所を抜け、高速道路に入った。
「そろそろどこ行くか明かしてくれてもいいんじゃない?」
 オミは「そのうち分かるよ」と交わす。それぞれの車が目標を持って加速を続けている中、一人だけ何も分かっていないまま速さに身を任せていることに、マイは居心地の悪さのようなものを感じ始めている。一度、煙草休憩と言ってサービスエリアでの休憩をはさんだ時にも聞いたが、答えてくれなかった。
 目的地はカーナビゲーションに打ち込まれているようで、もうしばらくすれば高速道路を降りるようだったが、今、頭上を通り過ぎた標識に書かれた地名を見ても思い当たる節は特になかった。果たして本当にそのうち分かるものか。
 高速道路を降りて、一般道で山間部に入っていったところで、マイは分かった。
「今日」
 呟いた後、今の今までろくに見ていなかった後部座席を振り返った。紙袋が置かれていること、その間から花弁が見えていることに今気づく。
「マイはさ」
 突然、名前を呼ばれてハッとした。オミの方を向く。前を見ながら運転を続けていたが、その意識はこちらへ向けられていることがはっきりと感じ取れた。
「復讐してるところがあるよね」
「復讐?」
 物騒な言葉が出てきてギョッとしながら「誰に?」と聞くと「ハルに」と返されて、何も言えなくなる。
 オミがハンドルを回した。ぐねぐねとうねる山道に揺らされ、マイの頭に重い何かが降り始める。
「俺を使って、ハルには言えなかったこと、できなかったことをしてる。そんな気がする」
 マイは何も返すことができなかった。違う、と言いたかった。言えなかった。
 送風口から出る熱風がやたらと熱い。風向きを変えても変わらなかった。恐らく、オミに頼んで暖房を止めてもらっても暑いままだろう。汗をかき始めていた。
 車は道路脇の待避場所で停車した。既に車内から、予想通りの場所が見えていた。急カーブ、やたらと真新しいガードレールが設置されている。三か月前の今日、事故があった場所。
 オミがシートベルトを外し、後部座席から紙袋を取った。
「降りよう」
 マイは声を出さずに頷いて、ドアを開けた。
 ガードレールの向こう側に、まだ事故の爪痕が窺えた。えぐれた土、衝撃で折れたらしい木、色々と見える。それらを覆い隠そうとするように草木は伸び始めていて、いずれ何事もなかったようにはなるのだろうと感じさせる。今はまだ、忘れられないが。
 献花台のようなものはなかった。オミはガードレールの足もとにそっと優しく、紙袋から取り出した花束を置いた。
 手を合わせた。マイが目を開けると、オミがこちらを見ていた。
「まあ、でもそんな気にしなくていいよ」
 オミは紙袋へ手を突っ込んだ。花の他にまだ何かあったらしい。何を買ってきたのか、とマイが聞く前にオミはそれを取り出していた。
 新品の煙草だった。
 黒地に紫色の光が描かれたデザインをしたやつ。メビウス。
「お互い様だから」
 オミは愛おしむような手つきで花束の横へ煙草を供えた。
 ハルは、煙草を吸わなかった。だから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?