ADHDの子ども時代 何故そんなにも忘れ物をしたのか
こんにちは。
さとです。
本日はどうして小学校から中学校まで
忘れ物王の座を毎月取り続けていたのかを
思い返してみようと思います。
今、当時のことを思い返すと大きく理由は二つあります。
1、連絡帳をメモすることができない
2、『準備する』という習慣がない
この二つです。
1について。
小学校は特に連絡帳を取る時間というのがあったと思います。
私はその時間何をしていたかというと、
図書館で借りた本を読んでいるか落書きをしているか
ぼーっとしているかのどれかでした。
また、書いたとしても途中で終わっていたり
日付が書いてなかったり、間違っていたり
字が汚すぎて読めなかったり
今思い返すと、連絡帳の中身はひどく、10日くらい日付が飛んでたり
ページが飛び飛びだったりと悲惨なものでした。
最終的には落書き帳なのかどうかもわかりませんでした。
そんな連絡帳など帰ってから読む気が起きるわけもなく
時間割を揃えることはおろか、宿題が何かもわからない始末でした。
連絡帳に入っている保護者への手紙などはもちろんまともに出せた記憶はありません。(机の奥に詰まっていました)
特別に持ってこなくてはいけないものなどあった日には
大体痛い目を見ていました。
それでも私は多分6年間で連絡帳をちゃんと書けたことが
周りの人の半分くらいだと思います。
中学の時なんかは各教科のノートなどにちょろちょろっと宿題を書くため
どこに書いたかわからない、または書いたことすら忘れる始末でした。
2について。
私は1年生の時から準備を自分一人でするようにしていました。
当たり前なのですが、親に確認されたことがないため
どうにでもなるのです。
準備しなくても、宿題をしなくても。
もちろん親のせいだとは思っていません。
明日の準備などは自己責任です。
自己責任だからこそ私はしなくてはいけないにも関わらず
明日の準備なんかより楽しい本やゲーム、テレビに
夜の時間を費やしたのです。
少しの罪悪感を抱えながら眠りにつき、
学校に行ってから「またやってしまった!」
と思うのです。
もしあの時に戻れるなら、
私はまず親に
「上手に連絡帳を毎日書けないし、明日の準備もまだちゃんとできないからできるようになるまで一緒にやってほしい。しばらくしたら仕上げのチェックだけをして欲しい」
と頼むと思います。
子どもの時からこの習慣がつくかつかないかで
まるで違うと思います。
私はいまだにメモすることも、明日の準備をすることも
うまく行きません。
もし自分のお子様がADHDの傾向がある方がいたら
一緒に準備をしてあげてください。
その時その子の自立心のためにならないと思っても
大人になってからの習慣に影響してくるはずです。
20代になった今でも字は汚く、
ノートもなんのノートなのかわからなくなるほど
ちゃんと書くことは苦手ですが、
習慣づけられるように頑張ろうと思います。
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