「翼がゆく」第5弾:星野リゾートで総支配人になったオリンピアン
(取材日:2021年11月18日)
「翼がゆく~スポーツの力を探る~」は、元プロバスケットボール選手の小原翼が、様々な分野に転身を果たした元アスリートに、インタビューする企画です。インタビューを通して、アスリートが何を考え選択し、歩みを進めているのかについて迫っていきます。第5弾として、今回は元競泳日本代表でオリンピックに2度出場、現在、星野リゾートに勤務し、赤坂の新施設「OMO3東京赤坂 by 星野リゾート」で総支配人になる山口美咲さんと、一緒に新施設を支える新本さんにお話を伺いました。星野リゾートで総支配人になったオリンピアンは、いつ何をどう決断し今に至っているのか、そして「アスリートならではの力」を紐解きます。
インタビュイー:山口美咲さん
長崎県出身。親の影響で生後10か月から水泳を始める。北京オリンピック、リオデジャネイロオリンピックに競泳女子4×100mリレーの日本代表として出場。現在は星野リゾートで勤務。2022年1月にオープンの「OMO3東京赤坂 by 星野リゾート」総支配人に就任。
<提供:本人より>
インタビュアー:小原翼
神奈川県出身。2017年~2021年までプロバスケットボール選手として活動し、2021年6月にBリーグ横浜ビー・コルセアーズにて引退。現在、日本財団HEROsでインターン中。
(以下敬称略)
水泳がなくても生きていける自分を作ろう
ーー水泳を始めたころから、引退までの流れを教えてください。
山口:両親が水泳のコーチだった影響で、生後10か月で水泳を始め、記憶が無い時から4種目泳ぐことができていました。中学校3年生の時に初めてオリンピックの選考に出て、大学1年で北京オリンピックに出て、ロンドンオリンピックには出れなくて、リオオリンピックに出場して引退しました。
ーー競泳選手は大学を卒業してから引退するまでどのように活動を続けるのですか?
山口:私の時代では、スイミングスクールに就職か、大学の職員になるか、スポンサーがつき活動するかの3択くらいしかありませんでした。私は、そのまま高校からお世話になっていたイトマンスイミングスクールへ就職という形をとりました。
ーー現在は星野リゾートで働かれていますが、そのままスイミングスクールに継続して就職することは可能だったんですか?
山口:私の場合は二択あって、一つは、競技をやるために会社に入り、競技を辞めたあとは会社も辞めるという方法、もう一つは競技を辞めてからも水泳のコーチとして残る方法です。私の希望は、確実に前者だったので水泳を辞めたら会社からも離れますといった契約をしました。
ーーその決断した理由は何だったのですか?
山口:水泳のコーチにならない、と決めていたんですよね。私が初めて日本新記録を出したのは大学2年の時でした。そしてその次の年の日本代表選考会で高校生ぶりの予選落ちをし、水泳人生で一番のスランプを経験しました。目の前が真っ暗になり、1週間くらい部屋から出られない状態が続き、「なんで生きているんだろう」ってくらい落ち込みました。その時に「こんな自分じゃだめだ、とりあえず大学に行こう」と思い直し、そこで初めて水泳がなくても生きていける自分を作ろうと思いました。
今何ができるか考え調べた結果、大学で教員免許が取れる学科があったため、社会科の教員免許を取得できるコースを選択し、卒業後に資格を取得することができました。
ーー選手を引退した後に社会の先生にならなかったのはなぜですか?
山口:2012年ロンドンオリンピックに出場できず、水泳を辞めようと思った時に、近畿大学附属高校で勤めるお話をいただきました。でも、もう一度オリンピックを目指したい気持ちになり、高校側にあと3年待って欲しいとお願いしてました。そしていざ引退が決まったら、学校の先生は違うなって思ってしまいました(笑)
というのも、私は学校の先生になって子供たちに社会を教えたいわけじゃなかったんです。私が伝えたいことは社会科ではなく違うところにありました。受験勉強もろくにしたことがない私がこの子たちの前に立っても、生徒の苦悩をわかってあげられない先生になると思いました。子供たちに伝えたいことは、社会科より、「私の生きてきた中で、やりたいことをやってきたことや、そこから学んできたことを伝えていくこと」の方だと思いました。
そしてリオオリンピックの出場が決まり、引退が目前となったとき、自分が何をしたいのか全て書き出したことがあって、、、。自分と向き合った結果、サービス業とか、調理師免許とか、ブライダルとか様々な興味ある職業が出てきました。そんな時、トレーナーから「星野リゾートっていう面白い会社あるよ」と教えて貰いました。調べたらすっごく面白くて、「ここに入ったらやりたいこと全てできるじゃん!」と思いました。
その後、星野リゾート代表の星野佳路にFacebookのメッセージを使って「会いたいです」と送りました。なんだか告白した時みたいにドキドキして。返事は2週間後くらいにやってきて、「ぜひお会いしましょう」と書かれていました。ただ、出張が多く忙しいようで、「申し訳ないが7月2日しか空いていない」と連絡が来ました。当時、私は大阪にいたので、東京に行ける機会があまりなかったのですが、7月3日にオリンピックの結団式が代々木公園で開催されることになっていて、7月2日は東京への移動日でした。たまたまその日だけ、自由行動ができる日だったんです。「私もこの日だけしか空いていません」と言ってお会いしたのが2016年の7月2日です。それをキッカケに、星野リゾートへの入社につながりました。
スポーツの価値はこころもカラダも体力がつくこと
ーー現役時代のスポーツの価値と今感じるスポーツの価値に変化はありますか?
山口:スポーツをしていた時のスポーツの価値は、結果だと思っていました。オリンピックの帰りの飛行機は、みんな日本代表のスーツを着ています。でも、成田空港で解散になった瞬間、メダルを取っていない選手は私服に着替えます。一方、メダルを取った選手は違うマイクロバスに乗ってあいさつ回りに行きます。メダルあるなしでこんなにも違うんだと思いました。結局はメディアが何を取り上げたいか、つまり結果なんだと思っていました。
でも、星野リゾートで働き始めてからその価値観が変わっていきました。スポーツの価値はこころとカラダの体力がつくことだと思っています。私は毎日「今日もこれを覚えた!」「今日もこれができた!」と楽しくて仕方なかったんですが、一緒に入った同期はキツイと感じることもあったようで驚きました。だって、「心拍数200までいかないし、筋痙攣起こさないし、超最高じゃん!」って。水泳をやっている時は、明日が来るのが怖かったんですよ。その痛みを知っているからこそ、身体的な痛みに追い詰められない毎日が楽しいと思えます。そしてこれはスポーツで鍛えられたポジティブなこころの体力だとも思います。こころもカラダも体力があり、きつい時にも行動できるからこそ、吸収できる時間も多い、ということもアスリートの良さだと思うことができました。
それから、私は結構悔しさを感じるタイプの人間なのですが、誰もがそんなに悔しいと思わないみたいなんです。アスリートって、悔しさから頑張れるわけじゃないですか。その気持ちはすごく大事なんだなと思いました。
目標に対してのストイックさと期日に絶対に間に合わせること。アスリートって、試合の日程が決まっていて、その日に合わせるために逆算の思考をしますよね。目標に対して行動を計画する力が自然に備わっていて、それが仕事にも転用できることを知りました。だからスケジュール管理とかは比較的得意だと感じている方ですね。
何事にもプロフェッショナル
ーー一緒に働く新本さんから見て、山口さんの働きぶりはどうですか?
新本:やっぱりズバ抜けて「全力度」が違うと感じます。私は、最初美咲さんが元アスリートというのを知らず、一緒に働き始めて何日か経った後に聞いたのですが、「なるほどね!」と変な納得感がありました。客室清掃とかめちゃくちゃ丁寧で、クオリティは満点なのに、とにかく早い。それも全力でやっているんだろうなと。
星野リゾートの仕事は客室清掃から調理、料飲サービス、フロントといったお客様が滞在する全ての業務を行うマルチタスクを行っているので、やっぱり楽しめないと続けるのは難しいと思います。どれも自分がプロフェッショナルと思ってやらないと、お客様に伝わってしまいます。何事もプロでいることもこれまでの経験から染みついているんだろうなと思います。
「星のや」という、星野リゾートの中でも一流の施設で違和感なく働いていたのも、やっぱりプロフェッショナルな心があったからやれていたのかなと思いました。
OMO3東京赤坂の開業に向けた業務は定型的な仕事があるわけじゃないので、美咲さんの諦めない姿勢からすごく力もらっていて、そこが今一番、元アスリートなんだなと感じる部分です。
ここに向かえば良いという行動指針
ーーアスリートのセカンドキャリアについてはどうお考えですか?セカンドキャリアに悩む人がいる中で、これからどうしていけばいいと思いますか?
山口:アスリートのセカンドキャリアは難しい。アスリートも受け入れる側も、マッチングがうまくいくのはかなり難易度が高いと思います。アスリートの方から「これがしたいです」って言ってもらえば企業は助かると思いますが、私たちアスリートは引退後、自分のやりたいことをすぐに決められる人が少ないと感じています。
私もそんな時期がありました。でも、2年間星のや東京で働いた時に、とりあえず全力で何でもやろうと思ったんです。客室清掃から、コンテンツ作り、フロント、調理、作ったものの配膳まで、いろんなことを一気に習得できることがすごく楽しくて。全力で取り組みながら1年半の間毎日、自分に何がしたいのか問い詰めていました。その中で出した答えが、「世界平和」でした。
現役時代、試合で海外に行った時に、選手村の周りにブルーシートで隠されたエリアがあって、そこに部族が住んでいたんです。布1枚を身にまとった女の子を目撃して、その時は「えっ!選手村の中に?!」と衝撃を受けました。選手は24時間食べ放題なのに、この子たちには食べ物がないわけです。心が痛くなりました。ある日、そのエリアにリンゴを置いたら、子どもがパッと来てリンゴを取っていきました。すると次の日、その場所には警備員が2・3人立ち、ブルーシートの目隠しが強化されていました。「平和って何なんだろう?」とその時強く思いました。スポーツができるってこと自体、平和なことなのに、一番を目指す意味って何なんだろうとすごく感じました。私はお金のあるなしに関わらず、一人でも多くの人が笑顔でいれる平和を作れる人になりたいと思いました。今の会社では人をおもてなしするとか、人を笑顔にできるスキルが学べています。今、自分の頭の中に世界平和ということがバチッとあるからこそ、ここに向かえば良いという自分の行動指針が明確なんです。
人生100年と考えると、アスリートとして生活している時間は4分の1くらいで。それは人生のうちの初期部分ということをアスリートはもっと自覚した方が良いと思っています。人生はもっと長くて、もっと楽しいこともあるし、これから色んな可能性があることを知って欲しいです。そして引退してからも、もっともっとチャレンジして欲しいと思います。自分の幸せは自分にしかわかりません。だからこそ、「私はこれが幸せなんです」と、自分の幸せについて常に考えていただきたいなと思います。
ーー今の働き方は楽しいですか?
山口:とっても楽しいです。私、頑張ることが好きなんですよ。なおかつ自分が頑張ったことで人のためになっていることがモチベーションになっています。今とても楽しいですし、会社に期待していただいている分、頑張らなきゃって思います。うまくいかないこともたくさんありますが、それが未来の顧客の笑顔になるのであれば何度でも立ち直って頑張れます。そして、一緒に働いている仲間も仕事をして楽しいと思う方が多いので、いつも楽しく働いています。
ーー今の仕事に入られる前に、こういうこと不安だなと思うことはありましたか?
山口:全部不安でした。誰も知っている人はいないし、業務もわからない。周りのみんなは頭が良いし、多言語も流暢に話せる。私は英語も喋れないし、おもてなしもできないし…かなり不安でした。
ーー不安があったんですね。話を伺っていたら、不安を感じさせないパッションがあったのですが。
山口:オリンピックの時にあるコーチから、「51%の自信と、49%の緊張が一番良いパフォーマンスを出せる」と言われたことがありました。それを聞いていたので、入社時には51%のワクワクと、49%の不安で向きあえました。わからないことをやることは不安ですが、不安って悪いものじゃないと思っています。2%でもワクワクが上回れば何とか乗り越えれるのではないかと思っています。
ーー山口さんにとってスポーツとは?
山口:『心の学び』。結局スポーツをやっていて一番は心が成長できたんです。体力だけではなく、つらい時はこうしてきたなとか、こういう言葉もらえて嬉しかったなとか、チームメイトに何かしてあげたいなと思ったり、朝の4時に起きて走ろうと思ったり。体力は前提としてあるんですけど、心の成長が自分にとって大きな宝になりましたね。
あとがき
今回、取材を通して山口さんから、持ち前の明るさ、そして、おもてなしの心を感じました。星野リゾートの代表に自らSNSでアプローチする行動力も素晴らしいなと思いました。
そして、何より「世界平和」という軸で一貫した行動ができているのだと感じました。「自分の行動指針がある」。この言葉は深く刺さりました。私もこの行動指針を見つけかけているので、言語化して明確化したいと思います。
また「社会科を教えたいわけじゃなかった」という発言は、私も「これだ!」と感じています。将来、私も教師になるつもりで、保健体育科の教員免許を取得しましたが、現役引退を決めた時に次のキャリアは教師ではないなと思ってしまいました。私も伝えたいことが保健体育ではないことに気づいたのです。改めて、自分が引退した後、なぜ教師にならなかったのか見つめるキッカケになりました。
インタビューさせていただいた山口さん、新本さん、また、インタビューの機会を準備していただいた石川さんの3名は、2022年1月よりオープンした「OMO3東京赤坂 by 星野リゾート」の開業準備も行っていました。マルチタスクで、何から何までやってしまう星野リゾートの皆さんの凄さを改めて感じました。
一緒に働いてくれるアスリートも募集しているとのことでしたので、興味がある方は是非ご連絡ください。
山口さん、新本さん、石川さん、貴重な機会をありがとうございました。OMO3東京赤坂、私も泊まりに行きます。