2019年7月4日(木) 2

 結局大学には行かなかった。植本一子『かなわない』が今日返却日だったのと、予約していた本が届いたので4時頃図書館へ。予約していたのは 栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』。そのまま図書館で読む。ずっと読みたかった。めちゃくちゃ面白い。現在、貧乏孤独な自分に都合のいい情報ばかり脳がキャッチしているのかもしれないが、「貧乏に徹し、わがままに生きろ」の言葉に励まされ、習俗や道徳の押し付けを拒み疑うことも、人生の谷間にいる身として良い栄養になった。まだ読み途中。植本一子『家族最後の日』を予約した。

 小腹が空いて入ったドトールで、中学(高校)の同級生Mと会う。いつも笑い顔なのは変わらず、茶髪になっていた。勉強が不得意なのが有名だった彼女も、こうしてハタチ近くなり、一人前に店員の仕事をしていた。あの頃不完全に思っていた誰もが皆、誰に類を見ることもなく完全体だったのだと気付いた。そして、彼女が私のことを覚えていてかつ声をかけてくれたことが意外で、嬉しかった。私は消えるように学校を辞めたので、卒業や引退などの達成感を周りと共有していない。不明瞭で近寄りがたい存在になっているものかと、てっきり思っていた。

 帰り道、今の混沌とした気持ちに、どんなにわがままで不誠実でもいいから本音をこぼしてごらん、と言って整理をつけた。伊藤野枝の影響を大いに受けた私が出した本音は、「やれと言われていることをやりたくない」である。それよりも、「こんなこと頼んでない、やらなくていいのに!」と言われることがしたい。今までやりたいことだと信じてきた録音の勉強を、最高レベルの先生、設備を前に「さあどうぞやってください!」と言われたところで急に冷めてしまったのだ。ひどい話だ。でもずっとそう思っていた気がする。

 確かに録音の勉強はしたい。でも歌いたい、演奏したい、本を読みたい、歴史を知りたい、文章を書きたい、旅に出たい、絵や写真を見たい、料理をしたい。他にもやりたいことが沢山ある。なんにせよ、教えられるペースで学びたくない。(教職課程を捨てたのは間違いじゃなかったのかもしれない)

 私が私にしかできない、生まれてきた意味を残せる生き方ってなんだ。迷惑とかわがままなんて、いつか消えるんじゃないか。誰かの利益になんてなってやりたくない。この志によって、私の支柱とも言える、周りを見渡す性格と板挟みになることは分かっている。しかし、絶対にハーフ&ハーフの持ち味が出るはずだと、信じている。

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