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12.揺り籠から墓場まで

まずは、ウィンストン・チャーチルさんの御言葉から…、
 
“現在我々は悪い時期を通過している。

事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。

しかし我々が忍耐し、我慢しさえすれば、やがて良くなることを私は全く疑わない。”
 
社会保障は、国家が国民の生活を保障するものです。
 
現在、いろいろな国で試行錯誤しながら実践されています。
 
今、その社会保障が充実しているのは北欧諸国で、その国民の多くはやはり幸福を感じられているようです。
 
その社会保障の始まりは、第二次世界大戦中のイギリスでした。
 
1941年、保守党のチャーチル内閣は、戦後の社会保障のあり方を提案してもらう為に専門委員会を発足させました。

その委員長になったのが、かつて、チャーチルさんが中心になって行った失業保険政策の立案にあたった経済学者ウィリアム・ヘンリー・ベヴァリッジさんです。
 
1942年に社会保険と関連サービスに関する“ベヴァリッジ報告書”を発表しました。

“第二次世界大戦の英雄”とか“戦車の父”と呼ばれるウィンストン・チャーチルさんですが、実は、数々の社会福祉改革も行っています。
 
チャーチルさんはイギリスを“福祉国家”に変革した人物です。

人々が希望を持って生きることが重要だと考えていました。
 
チャーチルさんの社会福祉改革の代表例が失業保険の創設です。

“保険は『均衡の奇跡』によって国民を救済する”と述べて、失業保険創設の意義を強調しました。
 
ベヴァリッジさんとの共働作業でした。

そして、“職業紹介所(ハローワーク)”もチャーチルさんが推し進めて実現したようです。
 
ベヴァリッジ報告書についてですが、その中身は“この世に生まれてから去るまで、社会全体で面倒を見ましょう”という社会保障制度を拡充するものでした。
 
ベヴァリッジさんは報告書において、窮乏、疾病、無知、不潔、怠惰を“5つの悪”とし、国家による共助(社会保険)を整備することでこれに対抗し、それが不可能な場合に備えて公助(公的扶助)を設けるとしました。
 
現在、福祉国家として成功している北欧諸国は、長年、このベヴァリッジ報告書を具現化した福祉政策を進めています。
 
ウィンストン・チャーチルさんは、このベヴァリッジ報告書について、
 
“ゆりかごから墓場まで”と、一言で表現しました。
 
1944年には、“国民保険省”が新設されて、“家族手当法”が制定されました。
 
しかし、ベヴァリッジさんを引き立てた当時のチャーチルさんですが、この社会主義的政策には反発することも多々あり、その提案が本格的に実ったのは、労働党政権誕生の1945年以降になりました。
 
この“ゆりかごから墓場まで”は、第二次大戦後のイギリス労働党もスローガンに掲げました。
 
1945年5月にヨーロッパ戦線が終わると、長年の戦争機運からの解放を求めたイギリス国民は、戦後社会の復興を目指して、政府に社会福祉の充実を求めました。
 
保守党のチャーチル首相は第二次世界大戦をイギリスの勝利に導いたにも関わらず、同年7月の総選挙で、“ゆりかごから墓場まで”のスローガンを掲げる労働党の党首アトリーさんに敗北しました。

そして、チャーチルさんは、ポツダム会談の最中に辞職し、アトリー首相にその座を譲りました。
 
アトリー政権によって、ベヴァリッジ・プランに基づく体系的な社会保障制度が実施され、医療費の無料化、雇用保険、救貧制度、公営住宅の建設などの“福祉国家”建設が本格化しました。
 
金持ちも貧者も収入に合わせて公正に払った税金を国が基金にして、国民の誰もが平等な医療サービスが受けられるというものでした。

幸せの分配について、出来ることからやろうということで、社会福祉には前向きなアトリー内閣でした。
 
その数年後の総選挙で、チャーチルさん率いる保守党が第二次内閣として政権に返り咲くと、アトリー首相の掲げた社会福祉政策を継続しました。
 
政策のメインになったのが、イギリス国民全員が無料(財源は税収)で医療サービスを受けられる国民健康保険サービス(NHS)です。
 
この医療制度の元で、1人のイギリス人は生まれた時から亡くなるまで、つまり、“ゆりかごから墓場まで”の医療サービスを受けられることになりました。
 
これはその場限りの、“困っている人、 貧しい人”の救済措置ではなく、国の基本方針として、福祉主義とでもいうべき、国全体 の“福祉化”を目的としたものでした。
 
これによってイギリス国民は、“ゆりかごから墓場まで”の最低生活が保障されることになりました。
 
この“福祉主義”は1960年代末までにほぼ完成し、イギリスは、世界に誇る“ゆりかごから墓場まで”の福祉国家と言われるようになりました。
 
先進国のモデルとされ、その後の保守党政権でも継承されました。
 
しかし、その反面、第二次大戦後の各国の経済再建の波の中で、他の資本主義国に比べて、イギリスは大きな遅れをとり、国の財政悪化が深刻なものになりました。
 
その為、福祉主義、福祉国家の理想を実現するだけの財源が見つからず、福祉関係の赤字も膨れ上がりました。
 
1970年代後半になると福祉政策が財政を圧迫して経済発展が阻害され、また産業国有化政策による国民の労働意欲の低下などの問題が指摘されるようになり、“イギリス病”と言われるようになりました。
 
そこで、1980年代のサッチャー保守党政権は、あらゆる分野において自由競争、利潤原理を導入して、財政赤字削減を狙い、福祉分野も例外ではありませんでした。

民営化と一緒に福祉国家の縮小を掲げて“小さな政府”への方向転換を図り、 サッチャー政権の元で経済は活性化しましたが、一方で貧富の格差の拡大、若年層の失業の増加、犯罪の増加など社会の荒廃という弊害をもたらしました。
 
サッチャー首相の後を受け継いだメジャー首相も福祉改革を進め、1993年に施行された“コミュニティケア法”は、特に老人福祉サービスの姿を一変させました。
 
これまで以上に自治体直営サービスを縮小し、民間企業や非営利組織の活用が目指されるようになりました。
 
1997年からのブレア労働党政権は、再び、“福祉国家”を掲げつつも、そのモデルチェンジを図り、従来の財政支出によって完全雇用を目指すというケインズ的経済政策を放棄し、政策経済活力を維持しつつ、格差の縮小、貧困の解消という社会正義に向けた政策の実現を掲げました。
 
そして、21世紀に到り、現在です。
 
現在、イギリスの各自治体は、政府から福祉サービスの85%以上は民間のサービスにするように要請されています。
 
一見、北欧諸国が、“ゆりかごから墓場まで”を国単位でうまく実践しているのに対して、英国型福祉国家は失敗したように見えます。
 
しかし、イギリスで失敗したのは、“国による福祉サービスの提供”であって、本当の意味での福祉国家の理念は今も生き続けているのかもしれません。

福祉国家が目指すべきはどのような国家なのかということですが…、  

それは、すべての国民が、生まれた時から成長し、自立して、その後、老いても、病んでも、障害を持っても、死が迫っても、自分らしく生きがいを持ち続けて幸福を実感できる国家…
…ではないかと思います。
 
イギリス人にとっての生きがい、幸福と感じることは何かというと、他者や地域、社会へ貢献することとよく言われます。
それを特にボランティア活動という形で行っています。
 
そして福祉サービスに関しても、行政直営サービスから民間サービスに移行されましたが、多くのボランティアに支えられながら、そのレベルは維持されています。

その点、日本はというと、戦後、一貫して経済的に繁栄することを目的にがむしゃらに働き、また何事に対しても、他者との競争に勝つことに生きがい、幸福を求め続けてきたように見えます。
 
そして、ピークを越えてからの状態が現在ということになります。
 
日本は一時的にですが、世界中の人々から羨まれるような経済大国になりました。

しかし、高度経済成長を終えた後は、現状維持も難しくなり、衰退傾向にあります。
 
現在の国民ひとりひとりを見てみると、本当に幸福を実感し、 生き生きと生活しているのかは疑問を感じます。
 
今の日本は、若者達の無気力、無関心が問題にされると同時に、仕事ばかりにがむしゃらに生きてきた大人達は定年後に生きがいを見出せない人も多いようです。
 
その中間には、どの世代よりも強く社会不信に陥っている、貧しい氷河期世代もいます。
 
これからの超高齢社会において、日本人は新たな幸福の価値基準を見つける必要があるのかもしれません。
 
これまでのように競争に競り勝つことばかりを頑張って報われるのは、社会が発展途上にある段階での話です。
 
成熟から衰退段階に入った今、これまでのやり方では無駄な競争ばかりで一生懸命努力してもそれが報われるとは限りません。

これからの時代こそ競争によって、幸福を勝ち取るという考えではなく、イギリスや北欧諸国の人々のように社会に貢献すること、共に助け合うことに、幸福を見出すことも大事なことかもしれません。
 
北欧諸国で実践され続けている、“ゆりかごから墓場まで”は、どんな立場の人でも、自立して日々を過ごし、自己管理し、そこには自己責任が伴うということが根底にあり、個々の精神が必要不可欠になります。

その上で、個々人が払った全ての税は最終的に還元されて、年金や医療、教育などに使用され、人生の始まりから最期まで安心して生活が送れると国民は信じています。
 
政治は透明で国民は細かく税金の使い道を知ることが可能です。

政治家ひとりひとりの領収書も全て閲覧できるようです。
 
そもそも、政治家の数は少なく、その給料は国民の平均収入と変わりません。

その為、政治家の中には、副業を持っている人もいます。
 
持続可能な社会を築く為には、長期的な視野が必要ですが、その為には、心の余裕が不可欠です。
 
福祉の充実は、人々の心に余裕を生み、多角的な視点から物事を判断できる主体性を創出しているように感じます。
 
この主体性と自立心が、持続可能な社会福祉制度の実現への鍵なのかもしれません。
 
要するに、完全ではなくても、良い流れを循環させることが、まず大切なことなのかなと思いました。
 
最後に、チャーチルさんの御言葉です。
 
“変転する状況の只中で、1人の人間が終始一貫性を保つただ1つの可能性は…、
すべてを支配する不変の目標に忠実でありながら、状況に応じて変化することにある。”


写真はいつの日か…広尾町の“黄金道路”を撮影したものです。
 

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