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10.社会福祉協議会

地域共生社会の実現に向けて、その中核を担うと思われる社会福祉協議会についてお勉強してみます。

社会福祉協議会(Social Welfare Council)は、70年以上の歴史があります。

1951年に社会福祉協議会について規定する社会福祉事業法(現在の社会福祉法)の施行によって始まりました。

1947年に開催された第二次世界大戦後初の全国社会事業大会(現在の全国社会福祉大会)で、1938年に施行された社会事業法の改正が強く求められました。

そして、当時は1946年の生活保護法、1947年の児童福祉法、1949年の身体障害者福祉法の“福祉三法”など、国民の窮状に対応して福祉関連法が制定され始めていたので、社会福祉事業全般に対する基本法を新たに制定し、関連法を体系化しようとする意図があったようです。

このことから、社会福祉事業の全分野に渡る共通事項を定め、既存の福祉立法と相まって社会福祉事業の公明かつ適正な実施を確保する為の社会福祉事業法は1951年に施行されました。

社会福祉協議会は、行政関与によって、第二次世界大戦前中に設立した民間慈善団体の中央組織・連合会(中央慈善協会、恩賜財団同胞援護会、全日本民生委員同盟、日本社会事業協会など)及び、その都道府県組織を起源とする組織で、地域福祉の推進を図ることを目的とする社会福祉法人です。

事実上の第三セクターであり、略して“社協”と呼ばれています。

第三セクターは、国及び地方公共団体が経営する公企業である第一セクターや民間企業による第二セクターとは異なる第三的方式による法人のことで、NPO、市民団体などによる非営利団体や、国や地方公共団体と民間が合同で出資、経営する企業のことをいいます。

第一セクターと第二セクターとの共同出資によって、独立した事業主体として公共性・公益性が高い事業を行う法人です。

その多くが、設立が比較的簡単な株式会社や社団法人などの“半官半民”の中間的な形態です。

社協は、第二次世界大戦後、アメリカから導入したコミュニティワーク(地域福祉)の普及促進と、民間事業やボランティア活動の促進の推進や支援を目的として活動しています。

法的には、現在は社会福祉法で規定されていて、全国、都道府県、特別区、政令指定都市(行政区)、市町村単位で組織されています。

基本的には社会福祉法人格を持つことになっています。

民間団体ですが、法律(社会福祉法)に定められていて、行政区分ごとに組織した団体であり、運営資金の多くが行政機関の予算措置によるものなので“半官半民”で運営しています。

その為、民間と公的機関の両面のメリットを生かした事業となっています。

幾つか例を挙げると、民間福祉事業者や当事者団体、NPO、民生委員や児童団体の団体、各種のボランティア団体などと住民と行政機関との橋渡し、福祉施設や団体の連合会とその事務局、各福祉事業者や福祉系職能団体などの利害調整、住民参加による地域福祉の推進、福祉専門職の職員養成、福祉人材の確保、福祉サービスの第三者評価などがあります。

共同募金事業もあります。

県社協や市町村社協の多くが、別法人の共同募金会の事務局を兼務する形態で行っています。

市町村社協は、これらのことに加えて、行政の委託事業や福祉・介護サービス事業、障がい者など要援護者の生活相談事業を展開しているところも多いです。

2021年に社会福祉法が改正され、高齢者、障害、子育て、生活困窮などの分野で、縦割り行政による“たらい回し”される状況を打破し、ワンステップで受けて、断らないで、寄り添う伴走型支援を目指すことになりました。

市町村の任意事業ですが、国は交付金を新設して後押しする方針です。
このように、全国の至る所にある社会福協議会です。

公的機関のようで、民間のようでもあります。

社会福祉協議会という言葉は1951年に誕生していますが、起源は、1908年10月に設立された中央慈善協会です。

初代会長は、渋沢栄一さんでした。

ちなみに、ここで間違ってはいけないのが、中央慈善協会と慈善組織協会の違いです。

慈善組織協会は、イギリスで19世紀に始まったCOSのことです(「07.アダムズとリッチモンド」を御覧ください)。

渋沢栄一さんは“日本資本主義の父”と呼ばれ、500社以上の会社を設立したり、日本初の銀行である第一国立銀行を設立したり、郵便局の誕生にも貢献されたり…一時は大蔵省でも活躍されていたこともあり、実業界での活躍だけではなく、教育や社会福祉事業にも尽力されました。

中央慈善協会、日本赤十字社、聖路加国際病院、日本女子大学、理化学研究所の設立にも貢献しています。

近年は、NHK大河ドラマの主人公になり、1万円札の肖像にもなっており、改めてその生き様が見直されています。

中央慈善協会は、1921年に社会事業協会に改称され、1922年には財団法人中央社会事業協会に組織変更されました。

渋沢栄一さんは、石井亮一さんが作った日本初の知的障がい者の福祉施設である滝乃川学園の創設にも尽力しました。

石井亮一さんは、日本知的障害者福祉協会の初代会長です。

ちなみに、渋沢栄一さんは、岡山4聖人と呼ばれる石井十次さん、留岡幸助さん、山室軍平さんとも交流がありました。

岡山4聖人もまた、「07.アダムズとリッチモンド」で少し出てきました。

第二次世界大戦後の厳しい時期に、占領軍総司令部(GHQ)は、民間の福祉組織の創設を求め、社会福祉に関する協議会の設置を指示しました。

その中で、財団法人中央社会事業協会は、1947年に全日本私設社会事業連盟と合併して、日本社会事業協会になりました。

国は中央と都道府県と市町村が一貫して、社会事業の各分野を包括するような機関の設立を目指しました。

1951年、厚生省が当時の日本社会事業協会、全日本民生委員連盟、同胞援護会と分散していた3つの民間の福祉事業団体を一元化して中央社会福祉協議会を設立しました。

都道府県社会福祉協議会も一緒です。

同年に社会福祉事業法が制定され、法定組織として承認されました。

この中央社会福祉協議会が、1955年に全国社会福祉協議会と改称されました。

このように、社会福祉協議会はGHQの提言が基になって誕生しました。

そして、全社協は民生委員連盟を取り込んでいるので、現在でも民生委員との連携協力はとても重要になっています。

社会福祉事業法の改正により、市町村社会福祉協議会が法定化されたのは1983年になってからです(1990年に地区社会福祉協議会(指定都市の区の社協)も法定化)され、2000年に社会福祉事業法が改められて、社会福祉法が制定されました。

現在、社会福協議会は、この社会福祉法の規定をもとに運営されます。

都道府県社協は、2000年に福祉サービスの利用が原則として、行政による措置から利用者と事業者の相対の契約に基づくものに移行したことによって創設された福祉サービス利用援助事業(日常生活自立支援事業)、運営適正化委員会事業(福祉サービスへの苦情が申し立てられた際の苦情解決)、福祉サービス第三者評価事業の実施など、社会福祉を目的とする事業の経営に関する指導及び助言などの取組を行っています。

日常生活自立支援事業は、認知症高齢者や知的障がい者など、判断能力の乏しい人に対して福祉サービスの利用援助を実施する事業です。

成年後見制度と合わせて日常生活自立支援事業は、“意思決定支援”の為の重要な事業で、有料での利用になります。

そして、生活福祉資金貸付制度もあります。

社会福祉法第2条に“生活困難者に対して無利子又は低利で資金を融通する事業”が規定されていますが、これが生活福祉資金貸付制度のことです。

コロナ禍に注目されましたが、生活福祉資金貸付制度は、第一種社会福祉事業です。

高齢者世帯、障がい者世帯、低所得者世帯の3類型に対して、総合支援金、福祉資金、教育支援資金、不動産担保型生活資金の4種類を貸し付ける制度で、連帯保証人を立てれば無利子ですが、立てなければ有利子になります。

償還期限までに返済されなければ延滞利子を加算して返さなければなりませんが、償還期間中に災害などで返済が困難になった場合は、返済が猶予されることもあります。

市町村社協は、これらのことを踏まえて、もっと地域や個人個人と近い存在であり、都道府県社会福祉協議会が実施している日常生活自立支援事業の窓口をやったり、高齢者や障がい者のホームヘルプサービスや配食サービスを行ったり、その地域の特性に合わせて創意工夫した独自の事業を展開します。

高齢者や障がい者、子育て中の親子が気軽に集えるサロン活動や、社協のボランティアセンターではボランティア活動に関する相談や活動先の紹介、地域の防災対策、また、小中高校における福祉教育の支援など、地域の福祉活動の拠点としての役割があります。

地域の様々な社会資源とのネットワークがあるので、多くの人々との協働を通じて、地域の最前線で、地域共生社会の実現に向けて動きます。

社会福祉事業法が立法された当時は、都道府県社協のみが規定されていたこともありますし、後から市町村社協が法定化されてからも、やはり、都道府県社協に重きが置かれてきたと思いますが、現在は、社協活動の事業者間の連絡調整のみならず、社会福祉活動への住民参加を推進する事業、住民参加による社会福祉を目的とする事業の実施が中心になっています。

このように現在は、より住民に身近で、地域福祉の推進の直接的な担い手である市町村社協を社協の基礎的な単位として位置づけられています。

少子高齢化が進み、人口減少社会が本格化するなど、社会環境は急速に、そして大きく変化しています。
 
この社会の変化は、段階ジュニア世代が高齢者になる2040年に向けて更に加速化することが予想されていて、国の経済、財政などに与える影響もとても大きいと考えられます。
 
そして、その10年、20年、30年…とその後も急激な人口減少が進みます。
 
これまでの常識、当然とされていたものの多くが通用しなくなると思います。
 
社会保障や社会福祉のあり方も、どんどん変革が必要になります。
 
“全社協 福祉ビジョン 2020”では、地域共生社会とSDGs(持続可能な開発目標)の誰一人取り残さない持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現を通じて“ともに生きる豊かな地域社会”の実現を目指しています。
 
政府は、これからの社会の変化に対応する為に、地域共生社会構築に向けた施策を進めています。

その1つとして、地域住民の複雑化、複合化した支援ニーズに対応する包括的な福祉サービスの提供体制を整備することを目的にした改正社会福祉法が2021年に一部施行されました。

これまで、社協は、それぞれの都道府県、市区町村で、地域に暮らす人々の他に、民生委員、児童委員、社会福祉施設、社会福祉法人などの社会福関係者、保健、医療、教育など関係機関の参加、協力のもとで、地域の人々が住み慣れた街で安心して生活することのできる“福祉のまちづくり”の実現を目指した様々な活動を行ってきました。

政府が進める地域共生社会づくりは、全国の社協がそれぞれの地域の実情に則して行ってきた“福祉のまちづくり”の活動を、もっと視野を広げて、社会の全資源と連携・協働して、更に推し進めていくということになります。

行政のように制度にがっちり当てはまる必要がなく、民間のように自由な発想を展開することができる半官半民の社協だからこそ、できることはたくさんあると思います。
 
今ある制度では足りなくなった時や、制度が古くなってきていると気が付いた時に、行動を起こせるのが社協です。
 
あらゆるネットワークや行政との繋がりを使い、新しい仕組を作り出せるところが社協の醍醐味だと思います。
 
創設から70年以上が経ち、これからもっと必要とされると思われる社協です。

とにかく、あらゆる分野の人たちとの連携・協働が必要です。

誰も取り残さない、共に生きる豊かで平穏な地域社会の実現が求められます。

写真はいつの日か…倶知安町から羊蹄山を撮影したものです。
 

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