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月世界旅行

Le Voyage dans la Lune

1902年に公開されたジョルジュ・メリエス監督が脚本兼主演で制作したサイレント映画です。

121年前の作品です。

私の場合は体調不良の時に、この作品が丸ごと頭の中でループします。

2011年のマーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』でこの時代が描かれていて、とても興奮したのは記憶に新しいところです。

ストーリーは…。

天文学者たちが大砲で撃ち出されるカプセル型宇宙船で月に向かい、月面探索中に出会った月の住人セレナイトから逃れて、地球に帰還する

…という物語です。

僅か16分、されど16分。

121年前当時としては衝撃的な長編大作映画でした。

ジョルジュ・メリエスさん自身が主人公で仲間を率いるバルベンフィリ教授を演じて、その他にフランスの演劇俳優さん達が出演しました。

映画の歴史を少し振り返ってみると、1893年にアメリカのトーマス・エジソンさんが自動映像販売機(映写機)であるキネトスコープを一般公開しました。

その頃、フランスのオーギュスト・リュミエールさんとルイ・リュミエールさんの兄弟がシネマトグラフ・リュミエールという現在のカメラや映写機と基本的な構造がほぼ同じ複合機(カメラ+映写機+プリンター)を開発して、1895年3月にパリで開催された科学振興会で公開しました。

同年12月28日にパリのグラン・カフェと言う名称のカフェ(現在のホテル・スクリーブ・パリ)で、リュミエール兄弟の作品群による有料の試写会を開きました。

エジソンさんが開発したのは、箱を覗き込むとその中に動画を観ることができるというものでした。

リュミエール兄弟が開発したのは、その仕組を箱からスクリーンに投射するものへと改良して一度により多くの人が動画を観賞することができるようにしたものでした。

現在の映画の形態を考えると、リュミエール兄弟の最初の映画の公開をもって映画の起源とする方が有力な説になっています。

リュミエール兄弟が公開した世界最初の映画群は、駅のプラットホームに蒸気機関車がやってくる情景をワンショットで撮影したもの(ラ・シオタ駅への列車の到着)や、経営する工場から仕事を終えた従業員達が出てくる姿を映したもの(工場の出口)など、計12作品でした。

どの作品も上映時間が数分のショートフィルムでした。

これらの映画の多くは単なる情景描写に過ぎなかったのですが、やがて筋書きを含む演出の作品が作られるようになった…という流れです。

ジョルジュ・メリエス監督は、リュミエール兄弟が発明した映画であるシネマトグラフを観た最初の観客の1人でした。

マジシャンだったメリエスさんは、映画の将来性を信じて映画作りに乗り出し、世界で初めての職業映画監督になりました。

メリエスさんは独自のイマジネーションやテクニックを駆使して、映画史上初の表現を多く生み出しました。

人や物を消したり、変化させたり、甦らせたり、爆発させたり…といったメリエスさんの魔法のような技術に観客は熱狂したということです。

そして『月世界旅行』では、当時は動く写真に過ぎなかった映画に、複数のシーンを積み重ねて物語性を持たせるという画期的な手法を導入しました。

この作品は、それまで小説やイラストでしか表現されていなかったSFの世界観を初めて映像化したことで、SF映画の起源になっています。

ジュール・ヴェルヌさんの1865年の小説『月世界旅行』とその続編である1870年の『月世界へ行く』など…様々な作品から着想を得ました。

ジュール・ヴェルヌさんの名言“に…、

“人間が想像できることは、人間が必ず実現できる”

という言葉があります。

1990年代に2年連続でアカデミー主演男優賞を受賞するという快挙を果たしたトム・ハンクスさんも言っています。

“アポロ宇宙計画の原案は『月世界旅行』そのものだ。

違いは大砲とロケットの大きさくらいだろう。

異星人は仕方ない。

メリエスが飛びつきそうなネタだ。

しかし、帰還の場面は同じだ。

海に落ち、船で運ばれる。

これは似ている。

怖いほどにそっくりだ。”

1865年に想像されて1902年に視覚的に描かれたことが、1969年にアポロ計画によって実現されたと言えます。

これまでもそうだったように、これからの未来も10年後、20年後…100年後…と今では想像もつかない技術が未来で普通に使われる時代になっていると考えられます。

夢があり、ワクワクします。

映画ってやっぱり良いものですね…あぁ~ステキ♪

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