鳥が好きすぎて飼えなくなった話

こんばんは、今日も1日お疲れ様でした。

以前なくなったインコのことについて書いたら、何人かが見てくださって嬉しくて、数ヶ月して起こった心境の変化を書きます。

お題通りなのですが。。。

結論が題名で、鳥を迎える気が無くなってしまったということ。

悪い意味ではありません。ただ、19年一緒に連れ添ったオカメインコのりんごちゃんとの生活を経て気づいた人生の教訓に近いものです。


*小動物には欠かせない「ゲージ」が私にとって息苦しかった

昔、自分や親がいた時常に放し飼いにしている文鳥がいました。彼女も長く生きていてくれて、成鳥の状態で飼ったにも関わらず懐いてくれて手乗り化してくれる心の優しい穏やかな文鳥でした。

とても人懐っこく、私の後を飛んでついてくれていたのですが彼女は事故死で失いました。

扉での接触事故でした。お風呂に入ってこようとする彼女を防ごうと扉を閉めようとした時に接触し亡くなってしまったのです。

それがかなりのショックで、次代迎えたオカメインコの時は絶対に放し飼いをしないという決心をして生活をしていました。

ただ、猫や犬と違って決まった時間にしか放鳥しない分、私にとってそれが「不自由を与えていることにならないか」「ストレスになっていないか」「孤独を感じていないか」気が気でなく、大学生になるまで極力家にいるようにしていました。ゲージは、私の中で不自由の象徴でした。

鳥は、羽ばたき空に生きる生き物です。私はきっとそれに敬意があり鳥を敬うのだと思います。


*猫を飼って見て気づく鳥の「不自由さ」

最近猫を飼い始めました。一種のペットロス回避ではありました。

猫は家中を駆け回ってとても楽しそうに過ごしていて、やはり窮屈な思いをさせていたなと・・・日に日に後悔するようになりました。

小動物は自由に過ごさせる時間を作ってやれません。家中を自由に飛び回るなど不可能に近く、また事故を防ぐにはかなりの警戒心が必要になると思います。

社会人になるにつれて帰宅時間が遅くなり、放鳥もできない時間や、家庭の事情で2泊ほど家を離れなくてはならなかったりすることもあったり(ただインコのことがあったので家を離れていても絶対2泊以上はしないというルールを各所に宣言していました)小屋のお掃除やご飯、お水の手入れなどは欠かさないようにしていましたが、鳥のため!とそう思っていたつもりでしたが今思えば空回りした愛情だったのかもしれないと・・・後悔しかありません。


*そして気づく「人間に合わせられない生き物である」ということ

鳥は基本的にペットに向いてないです。大空の下で、大地に触れず、木に住まい、季節を知る。そんな妖精のような生き物であると思っています。

ペットショップで出会ったあの子たち。ペットとしてたくさんの愛情をかけてきましたが、鳥らしい人生・・・鳥生は送らせてあげられず、申し訳ない気持ちです。

万物に、鳥を愛して鳥のためを思うなら、もう家に鳥を迎えてはならないな。

そう思ったのが今日の気づきでした。私は空を自由に飛ぶ鳥たちをずっと見守り支え続けていきたい。

我が子はきっと天で今まで広い場所を飛べなかった分たくさん飛び回っているでしょう。

いつか自分が死んだら、たくさん大好きだったおやつを持って永遠に遊び続けたいです。

飼っていた年数分かけて、ずーっと。

(猫は?って思う方もいらっしゃるでしょうが、その話はまた違う気づきがあるので後日書きたいと思います。)




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