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隠キャの画像フォルダに風景の写真しかないわけ

無意識に放つ言葉は、時に刃となって、
隠者の心に突き刺さる。

「-なんで風景の写真しかとらないの?-」

一見すると純朴な疑問に思えるが、
これは悪質な暴力行為である。

この疑問を抱いたとき、
表社会の諸兄は少し考えてみてほしい。

「-なぜ、写真をとるのか。-」

それは、友達との想い出を
記録するためかもしれないし、
Instagramに日ごろの生活を
投稿するためかもしれない。

ともあれ、隠者たる菲才には、
想像することすらはばかられる。

さて、ここで先ほどの疑問に答えよう。

「-なぜ、風景の写真しかとらないのか。-」

理由は、たったひとつ。

「-被写体となるべき友人がもてない-」

いくばくかの同胞たちは、
この厳しい情勢について
悟ったのではないだろうか。

隠者であっても、写真ぐらいはとる。

雄大な景色に感動すれば、
それを切り取りたいと思うし、
きらびやかな夜景に出会えば、
心にそれをとどめたいのだ。

そんな時、シャッターを切る。

-独りで-

写真をとるとき、そこには私しかいない。

独りでシャッターを切り、独りで保管する
以上、そこに人が被写体となる余地はない。

隠者であっても、友人ぐらいはいる。

もっとも、共に写真に映る文化も無ければ、
それを共有する習慣もない。

たとえそこに、友人が同席したとしても、
状況にさしたる変容はないのだ。

ふと横を向くと、友人もまた
私と同じ情景を、
私と同じように、粛々と
切り取るのみである。

かかる厳しい現実が、
画像フォルダという鏡に映りこむ。

鏡に映った姿に自信が持てる諸兄には、
理解できないことだろう。

自撮り写真の一枚もないことに、
疑問を覚えることだろう。

ただ、少なくとも私は、
インカメというものを
「顔認証」と「ビデオ会議」以外に
使ったことがない。

この疑問を抱き、あまつさえ
隠者を問いただそうとしたものは、
本論を読み、猛省していただきたい。


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