【漫画原作】シトラス・バイロケーション【第一話】
あらすじ
第一話
P.1
:モノローグ「――神童も二〇歳(はたち)を過ぎればただの人」
左手のチョークで黒板に書かれる「立華 初音」の綺麗な文字。
:タチバナ「このクラスの担当になった立華初音(タチバナハツネ)です。みんな、よろしく」
教壇に立つ後ろ姿と、クラス34人の視線。一部の生徒は初音という文字にニヤニヤしている。タチバナのスーツはしわが付いて少しだらしない。
P.2
:タチバナ「じゃ、自己紹介してもらおっか。名簿一番の相葉くん――」
無機質な女子生徒の瞳。虹彩にはタチバナの顔が映っている。
:男子生徒「ういっす。西中から来たんですけど……」
大写しになる微笑む女子生徒。目が笑っておらず、不気味。右腕は三角巾で吊られ、左手にシャーペンを握っている。
:手元のノート。紙面には黒板の文体を模した「立華初音」の文字がびっしり。
P.3
:タチバナ「次は26番かな。えっとタチバ――」
笑顔で読むタチバナ。
:ハツネ「はい」
凍り付くタチバナの表情。無表情になると女子生徒と同じ顔立ちになる。
:ハツネ「名簿26番、立華初音(たちばなはつね)です」
モノローグ「あなたは今、とっても普通だ」
女子生徒の後ろ姿。教壇には立ち尽くすタチバナ。
:ハツネ「よろしくお願いします、タチバナ先生」
長髪を広げ、無機質に笑うハツネ。スーツのタチバナと比べると着こなしも髪のセットも丁寧で、いかにも優等生といった具合。
P.4
(場面転換)
:ハツネ「バイロケーションって知ってます?」
どこかの空き教室。仏頂面のタチバナが腕を組んでいる。
:ハツネ「ドッペルゲンガー、ダブル、分体……まあどれでもいいか」
壁に背を預けて笑うハツネ。三角巾で吊っていない側の肩にバッグをかけていて、下校時刻だと分かる。
:タチバナ「あなたはただの同姓同名じゃないってこと?」
:ハツネ「そ、飲み込みが早いね チナちゃん」
向き合うふたり。背丈はほとんど変わらない。
P.5
:タチバナ「…分かった。じゃあ、なんなの?」
ハツネ「だから、わたしはあなただって言ってるんだけど」
:ハツネ「新任教諭、22歳 友達、恋人、趣味はなし」
:ハツネ「もうちょっと青春で遊び方を知るべきだったね…」
タチバナ「うるさい」
P.6
:ハツネ「ねえ、ちょっとゲームする気はない?」
手の甲でタチバナの胸をたたくハツネ。
:ハツネ「わたしがあなたのやりたかった青春をやるの」
ハツネ「それで、今度はどんな人生になるかテストしてみる――」
背景に浮かぶカップル、ラインを立ち上げたスマホ、何かのスピーチをする女子生徒。ステロタイプな青春の一幕たち。
P.7
:タチバナ「悪趣味すぎるって」
ハツネ「でも分かるよ ホントは面白そうって考えてる」
:ハツネ「というわけで明日からよろしくね、チナちゃん!」
教室から出て行くハツネ。
:胸をさするタチバナ。
タチバナ「あの子、嫌いなあだ名だって分かってて…」
:タチバナ「…わたしって、あんなにスカート短かったんだ」
教室の隅にある机。相合傘に『チナ』と『ミッチ』と書かれた落書き。
P.8
:女子生徒「ホントそっくりだよねー」
机に座る数人の女子生徒。スカートと、握られたスマホ。TikTokのショートムービーが映っている画面。
:ハツネ「先生?」
女子生徒「うん。ハツネの親戚とかじゃないの?」
ハツネ「親戚に同じ名前は付けないでしょ、普通」
:ハツネ「ま 世の中には似てる人間が三人いるって言うじゃん?」
振られる人差し指。その向こう側の廊下を通り過ぎるタチバナの姿。
P.9
:タチバナ(次はE組だっけ…)
通り過ぎる生徒たちが見てくる。先生とそっくりな生徒の話が噂になっている。
コデラ「タチバナ先生!」
:コデラ「忘れてましたよ。授業のカンペ」
ラフにシャツを着こなす大柄なメガネ男。笑いながらプリントを差し出してくる。
P.10
:タチバナ「あ、すみませんコデラ先生…」
コデラ「聞きました、『そっくりさん』の話」
:コデラ「名前まで同じなんてことあるんですね」
タチバナ「びっくりですよね」
廊下を歩いていくタチバナたち2人。タチバナも実は背が高い。
P.11
:タチバナ「あの子、友達が多いんですよ」
ぼうっと前を見つめるタチバナ。
:タチバナ「でも親友がいないところまでそっくり――」
コデラ「生徒と自分を同一視は危ないですよ」
:タチバナ「同一視?」
はっとするタチバナ。左側が暗転していく背景。
タチバナ「……そうですね すみません」
P.12
:タチバナ「あなたとわたしは違うんだと思う」
このあいだの空き教室。ブー垂れた顔のハツネが壁に背を付けている。
:ハツネ「そう?」
タチバナ「わたしはその……とにかく、からかうのはやめて」
:ハツネ「ミッチのこと、残念だった」
唖然とするタチバナ。
P.13
:ハツネ「あなたのことならぜんぶ知ってる」
微笑むハツネ。踏み出すハツネのシューズ、「ザリッ」と後じさりするタチバナのサンダル。
:ハツネ「わたしならきっと――」
:タチバナ「あなたがミッチなら良かったのに!」
目を閉じ、顔を背けて告げるタチバナ。
:笑顔のハツネの瞳。顔を背けるタチバナの姿が映っている。
:笑みをやめたハツネの瞳。にらみつけてくるタチバナの姿が映っている。
P.14
:ハツネ「ごめん」
歩み去るハツネの横顔。髪が邪魔して表情の読めないアングル。
:閉まるドアと、窓越しに棒立ちするタチバナの姿。
:ハツネ「失敗しちゃったな」
廊下を曲がろうとするハツネに、誰かがぶつかる。「バタッ」と倒れる効果音とともに千切れて舞うハツネの三角巾。
P.15
:アイバ「痛ってえ… 悪い! 大丈夫か――」
文庫本が散乱するなか、尻もちをついた格好で手を伸ばすアイバ。
帰りに妹の看病に行く予定だったので、購買のパンも落ちている。
:アイバ「――え?」
伸ばしたまま固まるアイバの手と、床の上に転がるハツネの右手。
:ハツネ「大丈夫、ありがと」
身を起こすハツネ。無事な左手を伸ばす。
P.16
:ハツネの全身像。ぺたんと座ったまま、左手を伸ばす彼女。
右腕は肩から脱落し、まくった袖がひらひら揺れている。床に転がる右腕は破れた三角巾に包まれ、断面から端子のついたケーブルが伸び、同じケーブルがハツネの袖からも飛び出している。
モノローグ「どうして――」
モノローグ「先生(あなた)はあんなに普通なのに」
登場人物
立華初音(タチバナ) 女性, 22
主人公。新任教諭。担当教科は英語。高校時代は生徒会長やテニス部の副部長として活躍していたが、大学デビューの失敗と恋人の死を契機に「普通」の人間に落ち着く。
スペックは変わっていないため今も万能人ではあるが、どれも世間と比べるほどじゃないことを知っているため自己評価は低い。ハツネとの出会いを通じて本来のプライドを取り戻していく。
立華初音(ハツネ) 女性, 15
主人公その2。過疎地域の児童数の穴埋めに作られたコンパニオン・ロボットの試作機。タチバナの脳をマッピングして設計されたため、ほぼタチバナ本人と同じ挙動をする。
任務の都合上、どの生徒とも合わせなければいけないため今のタチバナが送っている「普通の人生」に興味を持つ。オリジナルのタチバナとの交流を通じて、自分だけの人格の尊さに気付いていく。
相葉俊矢(アイバ) 男性, 15
ハツネのクラスメイト。中学生時代はサッカー部のエースだったが、妹の難病が発覚してからは見舞いのために一切のプライベートを捨ててしまった。
ノリは良いが、面倒を避けるための処世術といった意味合いが強く、本来の自分をさらけ出すのはド下手。
ハツネの正体を知る唯一の生徒であり、口止めと称して彼女の遊びに付き合わされるうちに、自分が本当にやりたかったことを見つける。
戸寺勇武(コデラ) 男性, 27
タチバナの同僚。担当教科は理科。ハツネのプロジェクトの初期からの参加者であり、彼女を自宅に置いてモニタリングしている。ハツネとは親戚の叔父さんのような間柄。趣味は釣り。
ハツネにはタチバナの分身としてではなく、自分自身の人生を送ってほしいと思いつつも、テストが終われば永遠に高校生活を繰り返すことになる彼女に対する明確な答えが見つからないでいる。
オリジナルであるタチバナとの接触を通じてすべてを肯定する覚悟を決め、ハツネを送り出す。
三ツ矢崔人(ミッチ) 男性, 18(故人)
元タチバナの恋人。彼女に匹敵する唯一の万能人であり、ライバルであるとともに彼女が他の友達を作れなかった原因でもあった。
受験後、趣味の釣りの帰りに事故で死亡する。彼の釣りに同行できなかったことがタチバナの無力感の元となった。
ハツネにとっては理想の男性像であり、タチバナにとっては自らの汚点という人物。終盤、じつは彼自身は死ぬ気で努力することでようやくタチバナに並ぶ程度の実力であったことが判明し、そのことを知ってタチバナは愛されていた自分に気付く。
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