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『君たちはどう生きるか』雑感

ネタバレを含むので、まだ見ていない方は注意。

 歪んだ醜い世界を生きるということは、あるがままを受け入れるということだ。

 ◯あらすじ

少年眞人は戦争中に母親を失う。

父とともに疎開した先で新しい母と出会い、新しい生活を始めるが、受け入れることができない眞人は、自ら怪我をすることでその生活から目を背ける。

心を閉ざす眞人の前に現れたアオサギに導かれるように、裏山にある『塔』の中に足を踏み入れた眞人がそこで見た世界は…。

 

◯作品の特徴

描き方が象徴的すぎてメッセージを読み取りにくいと評判の今作。象徴の多い作品の楽しみ方は二つある。一つは「見ている時間そのものを楽しむ」こと、もう一つは「数多く登場する象徴一つ一つに向き合い、その意味を考え抜く」こと。

 ◯感じたこと

塔に入っていくあたりで村上ワールドを思い出して、全ての象徴に意味があると覚悟を私はしたよ。

塔の中には「母親が生きている」とアオサギに吹き込まれた眞人は、そんなことありえないと感じながらも自分の目で確認しないといけないと「その世界」に入ってしまう。「その世界」にはもしかしたら母親が生きていて、「現実の」醜い世界とは別に本当の美しい世界があるのかもしれないという淡い期待を抱く。これは眞人が現実の世界のあるがままを受け入れる覚悟ができていないことの証だ。

ただし、世界を受け入れることができないことは眞人が未熟だからではない。なぜなら「その世界」には眞人の死んだ母親も、そして新しい母親も足を踏み入れているからだ。

この3人が「その世界」で出会い、世界の仕組みを知っていく。「この世界は絶妙なバランスの上に組み立てられた積み木だ」とその世界の主から教えられた眞人は、「お前がこの世界の後継者になって、自分の思うままの世界を組み立てろ」と誘われる。自分の好きなように(自分が美しいと思う世界=母親の生きている世界)世界を組み立てて、その世界に生きるという選択は、現実の世界の否定だ。眞人は申し出を断り、現実の世界に戻ることを決意する。それはすなわち、眞人の母親も元の世界に戻る=死ぬことを意味している。眞人はそのことを受け入れ、現実の世界に戻ってその世界を受け入れ、「現実の世界に戻って、友だちをつくる」と眞人は覚悟したのだ。

眞人に変化をもたらしたものが『君たちはどう生きるか』の本だ。コペルくんは自らの目で世界を見て、「自分で考える」ことの大切さを学んだ。その本を死んだ母親から送られた眞人は涙を流し、目の前にある歪な世界を自分の目で見て、感じて、考えて、受け入れたのだ。

村上ワールドに似たものを感じたと書いたが、この作品での塔の存在が、『街と、不確かな壁』での壁に囲まれた街に通じる。その(空想の)世界にしか自分の存在を見いだせない人もいれば、再び現実の世界へと戻ってくる人もいる。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるが、ここでいう「置かれた場所」が「この世界」なのだ。世界は自分の思いどおりにはなってくれない。ただそこにいるだけだ。あとは、こちら側の問題である。「ぼくたちはどう生きるか」なのだ。

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