わたしと音楽2

私の音楽にまつわる思い出、記憶を幼少時からたどってみようのコーナーです。

小4~小5

合唱部を一年ぽっきりでやめ、合奏部(ブラスバンド)に移籍しました。といっても結構迷ったし、決めきれない自分が悔しくて泣いた記憶もあるので自分にとって結構大きな決断だったような気がします。このへんからわたしの長いようで短い管楽器生活が始まります。わっしょい。合奏部では何の楽器をやったかというと、英国式ブラスバンド特有のあの楽器、アルトホルンをやりました。ユーフォのちょっとちっちゃいやつですね。小3の三学期に研修(マッピしかつかわせてもらえないやつ)があって、小4になると同時にアルトホルンに配属が決まりました。新入社員みたいですね。わたしはスタミナも全然なくてアンブシュアもめちゃくちゃ、ハイトーンも全然でなくて、決してうまくはなかったんですが、なぜか嫌いにはなりませんでした。下手くそながらがんばってたんだと思います。あといつも授業で使っている理科室でぱーれんをしていたんですが、その非日常感が好きだったり。あと舞台に上がる前のドキドキ感を楽しみ始めたのはたぶんこのころから。みんなであがればこわくないもんね。それとマジで記憶がないのですが、宇都宮の小学校と合同でバンドを組んだ記憶があり、そこでホルストの第二組曲をやりました。ぜったい高校同期でこれ出てた人いたと思うんだけどなあ。親の仕事の都合で転校が決まっていたので小5でやめてしまったんですが、結構ここでの音楽経験も今後のかかわり方に影響を与えたような気がします。

小6~中2

親の転勤でこの期間はインドネシアの日本人学校に通っていたんですが、幸運なことに日本人学校に小中学部合同の吹奏楽部があったので、迷いなくそこに入部しました。ここはブラスバンドではなく吹奏楽部だったのでもちろんアルトホルンはありませんでしたから、フレンチホルンに転向しました。フレンチホルンといっても色々ありますが、わたしが選んだのはF管シングルホルンでした。なんで?ダブルホルンもあったんですけどね。多分読み替えしたくなかったんだと思います。まあもちろんユーフォっぽいアルトホルンと違ってフレンチホルンのマウスピースは小さいですから大変に難しく、わたしには肺活量もありませんでしたから当然のごとくヘタクソでした。練習するとスタミナが削られていつも疲弊してました。楽しかったけどね。顧問は静岡のそこそこ吹奏楽部の強い中学校から来た先生だったんですが、着任早々、「日本の中学の吹奏楽部みたいな指導はしません!ほどほどにやります。」ときっぱり言い切ってたのに驚いた記憶があります。なんだこいつと思いました。でも、現地のYAMAHAの方を定期的に呼んでリペアしてくれたり、近所の日本語学科がある大学でコンサートさせてくれたり、文化祭でも演奏させてくれたり、アトリウムで突発コンサートもさせてくれましたね。やっぱりあの手この手で楽しもうというスタンスだったので、これも今の私の根底にある音楽観と似てるんだと思います。まあ、逆に言えば何かのために練習して、努力して、競争して結果を残そう!みたいな経験はしてこなかったともいえますね。これがわたしの競争が苦手という性格の所以なのかもしれませんね。

次回に続く。

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