わたしと音楽4
わたしと音楽のかかわりかたをざっくり振り返ってみようのコーナーです。第4弾。長くなりそうなので、あっさり書きます。
高1~高3
地方女子高校に帰国性枠で運よく滑り込んだわたしは、これまた何も考えずオーケストラ部の扉を叩きました。学習してないのか?今思うと笑っちゃうくらい視野が狭すぎますね。でもホルンとはすっぱり縁を切り、新しくバイオリンを始めることにしました。前の楽器に執着心も、さらには向上心もなかったので、どうせなら初心者が多いパートに入ってイチからやりなおそうとか考えてたんだと思います。とりあえず同じ初心者組のなかで一番うまくなることが目標でした。浅はかなのか、はたまたチャレンジングなのか。
顧問の先生はタイヘンに懐が広く寛容な方で、合唱部の顧問も掛け持ちしながらオケの指導・運営もろもろをすべて一人でなさっていました。すごい。尊敬。先生の指導スタイルには中学校の吹奏楽部にありがちな理不尽な厳しさが一切なく、音楽楽しめよ!というスタンスがまんべんなくちりばめられていて、とっても居心地が良かったです。ああ~もっと楽しみたいな!弾けたらもっと楽しいんだろうな!という気持ちで朝練・昼練・残り練もいっぱいしました。そういえば電車に乗っている間に雪で休校になったとき、帰るのも面倒でこっそり音楽室に忍び込んで練習していたら、隣の部屋から先生がのそっと出てきて、「どうしたどうした、冷えちゃうじゃないか」といいながらストーブをつけてくれたことがあったっけ。もうそれくらい、音楽を本気でやっている人にとっては当たり前のことなんでしょうが、高校以前の私の楽器に対する向き合い方に比べたらもう、とんでもない変わりようでした。練習がたのしくてたのしくてしょうがなかったです。友人とカルテットを組んで、お隣の男子校との身内アンサンブル大会で披露したりもしましたし、もう中学以前の私じゃ考えられないくらいの度胸を持ってました。すごい。
3年生のときにうちのオケの初の試みとして初!定期演奏会を開催したのですが、会計として実行委員会にもぐりこんでいろいろ運営を手伝わせてもらったりもしました。会計なのにポスターデザイン、垂れ幕デザイン、パンフレットデザイン、さらには定期演奏会の通称までつけさせてもらいましたし、公式Twitterアカウントも勝手に作って、ボコスカと使い倒してました。何もかも初めてだったのですが、自分の制作物が街のいろんな場所にあって、入場するお客さんがみんな私のデザインしたパンフレットを持っていて、後輩たちがわたしのつけた演奏会の名前を引き継いでいってくれているって、もうなんか、めちゃすごいことだなと。まあ高校生ブランドというのも多少あったのでしょうが、こういうことをやらせてもらったおかげで、音楽のコミュニティで音楽以外で貢献することの楽しさも覚えました。
今見るとトンデモナイ配色をしているし、革命警察がすっとんできそうな色合いとプログラム名である。ちなみにこの年に外大オケも春定でショス5をやってましたね。さすが。↓
ここまでいろいろ書いてきましたが、音楽というツールを用いたコミュニティは人をこうもあっさりと変えてしまうものなんだなあと改めて思っています。次回から少しずつ大学生編を書いていきます。では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?