わたしと音楽1

自己分析をしているうちに、どうやら自分と音楽の関係は思ったよりも深いことがわかった。いままで"なんとなく"音楽をやってきたと思い込んでいたけど、むしろ実際は言語化できないレベルで関係がズブズブだったらしい。ということで、私と音楽のかかわり方を、このnoteでも振り返ってみようと思う。長いので分けて投稿します。

4歳~6歳 

4歳の時、突然家にピアノ(しかもアップライト)がやってきた。階段で運べないどころか玄関のドアからも入らなかったので、2階の窓からクレーンで運ばれて、あいつはやってきた。ピアノは新しく買ったわけではなく、伊豆の祖父母の家にあった古いピアノで、昔母が使っていたものだった。突然やってきたピアノに私は興味津々で、その様子をみていたのだろうか、気づいたら親は私を幼稚園に併設されていたピアノ教室に通わせていた。そこでは超基礎的な音楽知識を覚えながら、教室の教本(サウンドツリーだっけか)を使って簡単な曲を習っていた。でも、先生の前で弾いたり、発表会に出るのは心底イヤで、教室に行くのもあまり好きじゃなかった記憶がある。教室で練習するようにいわれた曲を、家のピアノでぽろぽろなぞっているのが好きだったし、幼稚園で歌った曲をピアノでぽろぽろ弾くのも好きだった。とにかく自分が楽しむのに重きをおいていたけど、そのぶん音楽で他人からネガティブな評価を受けるのが怖かったんだと思う。多分、もうここでわたしと音楽のかかわりかたの根底にあるものはある程度決まってしまったのかもしれない。

6歳~11歳

幼稚園を卒園したこともあって、幼稚園付属の教室はやめることになったが、私の中にそのままピアノをやめるという選択肢はなかったらしく、家の近くの個人経営のピアノ教室へ習いに行った。教室の後ろ側に大きなディスプレイのついたパソコンがあって、前の生徒がレッスンしている間に先生のmixiとアメーバピグで大暴れするのが毎週のひそかな楽しみだった。

先生の基本スタンスは前の教室とは違って、生徒のやりたい曲をやらせることを重きにおいていた。先生は私の性格をよくわかっていて、まず最初にちょっと発展した楽典とドイツ音名を一通り教えはしたものの、教本は一切使わず、先生が購読しているピアノポップス楽譜の雑誌から面白そうな曲を選ばせてくれてその曲を練習していた。先生は一切私のことを叱らなかったし、むしろ褒めてしかいなかった。確かに人に見られながら練習するのは嫌だったし、教室に行くまでは少し憂鬱だったけど、自分の好きな曲をやりたいようにやって、それで褒められるのはとてもうれしかった。(発表会は嫌だったけど)海外に引っ越しが決まるまでの5年間、ピアノも音楽も嫌いになることはなかった。先生ありがとう。

というわけで、私はいわゆるクラシック曲をピアノではほとんどやってこなかった。たしか一度何曲かクラシック曲を練習して、街中のちょっと大きな教室にグレードテストを受けにいったけど、弾いてる間の先生の目が怖くてものすごくプレッシャーだったことは覚えている。終わった瞬間訳も分からず泣いてしまったのも記憶にある。結果としては合格だったけれど、もうこんな思いはこりごりだと思ってそれ以来試験形式のものはなにも受けていない。

8歳~10歳

ピアノと同時進行で、3年生のときには小学校の合唱部に所属していた。合唱がやりたかったというよりかは、たぶん、一人で音楽をやることにちょっと飽きていて、なにか授業以外で友達と一緒に音楽がしたかったんだと思う。あと担任の先生が顧問をやっていたというのもあったかも。もちろんピアノをやっていたから合奏部(ブラスバンド)に入りたかったんだけど、3年生の入部は受け付けていなかったからなんとなく、つなぎとして合唱部に入った(ゴメン)。立ちながら寝たり、練習中に隣の教室から聞こえるブラスバンドの音に気を取られつつも、小3で四部合唱のメゾソプラノとかいうなかなかめんどくさい(ゴメン)パートをやりきったのは結構頑張ったんじゃないかと思う。おつかれ私。

続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?