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ユン・ドンジュ『空と風と星と詩』第一回/Don't think, feel!【えるぶの語り場】

まえがき
えるぶの語り場企画第三弾は、朝鮮の詩人ユン・ドンジュ作『空と風と星と詩』(岩波書店)を取り上げます。
未だ日韓関係が冷え込む中、彼の繊細で優しい言葉は国境を越えて私たちの心に響いてきます。利害関係は人々を引き裂き、美は人々を繋ぐ。これは私の確信です。彼の美しい詩の数々が利害関係を越えて私たちを繋ぐことが出来ることを願い、また証明するため、この詩集を取り上げました。
今回はシュベールと私がそれぞれ好きな詩を取り上げて、それについて語り合う形式を取ります。短い企画ですが、ぜひお楽しみください。(ソフィー)
 
ユン・ドンジュ
1917年満州(現中国吉林省)生まれ。日本統治下の満州で教育を受け、19歳頃から朝鮮語で詩を発表し始める。1942年日本に渡り、立教大学(のち同支社大学)に入学するが、1943年に朝鮮独立運動を扇動した罪で逮捕され、27歳で獄死。現在の韓国では国民詩人として民族教育にも取り入れられている。

ソ:個々の詩を取り上げる前に全体的な感想を聞いても良いかな?
 
シュ:大きく三つの感想を持ったかな。
一つは喇叭とか十字架とか、キリスト教的なモチーフが多いということ。
これは宗教を勉強している僕としては入り込みやすかったな。
 
二つ目は「生きづらさ」を感じた。
これは推測だけど朝鮮人として当時の日本で生きていたということに起因するのかなと思う。
 
三つ目は、言われているほど政治色を感じないということかな。
「このような日」で満州国建国が批判されている以外、日本批判的な詩も見当たらないよね。
 
ソ:キリスト教的モチーフはユン・ドンジュを読むうえで大切だよね。
 
韓国はキリスト教徒の割合が多いのもユン・ドンジュが受け入れられる背景にあるのかも知れないよね。
 
普通の日本人が「十字架」とか聞いても何か異質なものに感じると思うんだ。
一方で韓国はキリスト教が根付いているからキリスト教的モチーフの言葉を聞いても身近なものに感じるし、それだけ親しみも持たれるんじゃないかな。
 
政治色の希薄さには僕も同感だな。
 
まあ、「チマチョゴリ」とかそういう朝鮮の伝統的なモチーフが出てくるよね。それが彼を「民族詩人」、ひいては政治的な詩人ということにしているのかな。
 
シュ:あとは日本で獄死したという伝記的事実も愛国心を煽る材料にされているんだろうね。
 
ソ:収録前に詩の楽しみ方が今一つ分からないということを言っていたけど、それについてもう少し詳しく聞いても良い?
 
シュ:このユン・ドンジュの詩も読んでいて美しいなとは思うんだよ。
でも味わい方が分からないというか、鑑賞方法が分からないんだよね。
 
詩って小説とか哲学書と違って結論があるわけではないじゃない?
小説や哲学書なら筋道があって結末や結論にたどり着いて納得出来るけど、詩は筋道も結論もないから鑑賞出来ているのか出来ていないのかも自信がないんだよね。
 
ソ:それは、シュベールはもう充分に詩を鑑賞出来ているということだよ(笑)
 
散文と詩がどう違うかと言うと、
散文というのは「理解」する文章であって、詩というのは「感覚」する文章だと思うんだ。
 
小説や哲学書は散文だから論理的筋道があって論理的に結論に導いてくれるし、僕たちはそれを論理的に「理解」するという方法で読んでいるわけだよね。
 
一方で詩は「感覚」する文章だから、論理的筋道も結論もなくて、そこには言葉の持つ音の繊細な響き合いや、言葉の持つイメージの共鳴があるだけで、僕たちはそれを「感覚」することしか出来ないんだ。
 
だからもしシュベールがユン・ドンジュの詩を読んで美しいと「感じた」のであれば、それはもうちゃんと詩を鑑賞出来ているということだと思うな。
 
シュ:つまり詩はDon’t think, feel!(考えるな!感じろ!)の精神で読めということだね(笑)
 
ソ:そういうこと(笑)

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