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曰く言い難きもの―サウダージ、トスカー、なつかしさ―【えるぶのつぶやき】

他の言語には翻訳できないことばというものがどの言語にもあるものだ。
 
ポルトガル語のsaudade(サウダージ)はその一つである。
 
ポルノグラフィティの楽曲のタイトルとして有名な「サウダージ」は、「郷愁」、「思慕」、「恋しさ」などと訳されるが、帰ることの叶わない過去への郷愁から手に入らないものへの憧れの気持ちと様々な意味を持ち、一語で訳すのが難しい単語である。
 
サウダージは、故郷に戻ることのない船乗りが多かった大航海時代に形成されたポルトガル人の国民性の一部であるとも言われる。
 
ロシア語にはтоска(トスカー)という単語があり、これもロシア人の国民性を表す語であるとされる。
 
露和辞典を引くと「憂鬱」、「哀愁」、「憂愁」、「ふさぎのむし」などと訳されているが、私のロシア語の教師によれば、「トスカー」とは広い荒野に一人でいるような虚無感を表したことばであり、この虚無感を埋めるためにロシア人はウォッカをあおるのだと冗談交じりに語っていた。

広大な大地を有するロシアならではのことばであると言える。 

日本語の場合はどうだろうか。
 
日本語では「なつかしさ」ということばが他の言語には訳しにくいとされる。
 
現代の日本語で「なつかしい」と言えば、思い出への感傷を意味するが、古文ではもっぱら「慕わしい」の意味で用いられたことばである。
 
さて、ポルトガル語のsaudade、ロシア語のтоска、日本語の「なつかしさ」、これらの語を並べるとある共通点が浮かび上がってくる。
 
それは、いずれの語も何かが手に入らない状態、何かが欠けた状態を意味しているということである。

「過去」や「手に入らないもの」、「荒野で覚える空白感」、いずれも何かが欠落した状態である。

存在するものを表現することは比較的容易である。

そこに「在る」ものをことばでなぞれば良い。

しかし、そこに「無い」ものを表現することは難しい。

saudadeもтоскаもなつかしさも、その曰く言い難き「不在」を一語で表現したことばであり、これらの語の説明し難さも、「不在」というものを表現する難しさそのものなのかも知れない。

                               Sophie

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