服と私と、そして兄
ヘラルボニーに移籍しました、miuです。@iiimiiiu
人生初の転職をしてきました。
何をしていたかはあとで分かるとして
まず、私の三本柱をお伝えしたく
これなきゃ私が語れないというものです。
それは服、料理、そして兄
この3つからめでたく進路に選ばれたのは兄。
服屋さんにもなりたいし、料理人にもなってみたかった。
でも、大学では社会福祉学科に進学しました。
兄のりょうりょう
1つ年上の兄は自閉症です。
大学の進路選択は無論、兄の影響です。
私は、まるで自分の個性かのように兄が自閉症であることを人に話します。
「みうちゃんは兄弟いるの?」
「何してる人なの?」
人にそう聞かれたら、色々と説明が面倒になることを理由に私は当たり前のように兄が自閉症であることを話します。
すると中にはパッと顔色を変えて悲しそうな顔をする人もいました。
いやいやまって!全然悲しくないですよ
たしかに悲しくなるような出来事もあったし、たまにありますけど、
毎日のように面白いことも起きますよ。
しかも細マッチョでイケメンとまで行きませんがそれなりですよ。
でも25歳男子、りょうりょうは日曜日の朝も7時に起床し、某局アニメ子供向け番組に夢中。
趣味はがっつりヲタクなのでラブライブ(?)やイカ娘(??)なども溺愛しています。
最近は、ぬり絵に夢中の様子で
16時40分に仕事から帰ると愛犬にご飯をあげ、朝出勤前に干した洗濯物を取り込み、机に向かってぬり絵をします。毎日。
きまって休日は、ひとりで大好きな電車に乗ってどこか旅に出て、夕方には必ず帰宅します。
スペシャル級に苦手なことはコミュニケーション。
もうほぼ外国人です。
たまに通じるとテンションあがる!
精神年齢は小学6年生のままなので11個下の兄か。来年は12個下の兄…
そういえばこの前、病院で看護師さんに小学生か中学生に間違われてご褒美シール渡されそうになっていたな…(笑)
きっとこの先も永遠の12歳でいることでしょう。
写真は、両手に必ずしまじろうを持って出かけるりょうりょうと、この時から既に遠い目の私、と母。
出会ってしまった。
そんな兄のこともあり、自然と福祉へ足を進めた私とヘラルボニーの出会いは、約3年前の大学3年生のとき。まだMUKUというブランドの時でした。
大学生活はアルバイトをするか、毎日古着屋さんに行っていたことしか記憶にないくらい。
とにかく服、服。
ということで卒業論文では、ファッション×福祉の視点で題材検索をしていたところ、一際目を引く、というかこれしか無い!と思ったのがMUKUでした。
福祉を掲げてブランドを謳うものは他にもありましたが、直感でこれだなと思いました。
プロダクションアイテムだけでなく、
発信の仕方やワードセンスから何まで、私の体現したいことに近いことをしている人たちがいることを知って、
私の中にとんでもなく眩しめの光が差してきたのです。
思い立ったらすぐに行動
当時のMUKUのクラウドファンディングに参加するのと同時にメールを送りました。
現社長の崇弥さんから早速、
返信がきたー!!と興奮しました。
びっくりすることってあるの?と友人から聞かれるほど普段から超ローテンションな私。
年に数回しか訪れないであろう、
私がPCの前ではしゃぐ姿を見て母も興味津々。
その後、崇弥さんには論文のインタビューで何度かお会いして、お話をしていく毎に
この人は私の心の中に散らかる思いをどんどん言葉にしてくれる…
と崇弥さんを目の前にした私の心は
うんうん…そうそう…!と弾んでいたのです。
この時、"いつか私も"
そう決めていました。
目立ちたくないショップPR
当時の私は既に就活を終え、前職で働くことが決まっていました。
2020年12月まで、新卒で入社したトゥモローランドが運営するスーパーAマーケットというお店で働いていました。
アルバイトも含めればみっちり3年間、販売員をしておりました。
スーパーAマーケットは、バイヤーが世界中のA級のものを選び抜いて揃えたお店。
たまに間違われましたが、食品スーパーでもなければ青果店でもなく、青山という地に10年建ち続ける、立派な洋服のセレクトショップ。
最初の配属は新店舗としてオープンした新宿店。
なんと、新卒でスーパーAマーケットに送り込まれるのは初めてだったらしく…
横浜から1時間かけて都心に通う私には身に余る、新天地でのスタートでした。
配属から少し経ち、販促としてインスタを運営するようになりました。
コロナ禍に突入、青山店に異動していた私は
すぐにショップPRとして活動がスタート。
顔切りインスタグラマーを装っていたので、PRという立場で前に出て目立つことにはかなり抵抗がありました。
しかし結局のところ、叩けよさらば開かれん。
やってみたことでお客様とのやりとりも増え、
取り巻く環境にも変化がありました。
改めて良いチームの中で与えられる仕事なら私は何でも楽しめるんだなぁと気付きました。
いつまで続くのか分からないInstagramは
日々進化を遂げ変動し、
それを追い、時には並走し、張り付く日々。
それは目まぐるしく充実した毎日でした。
天敵、就活スーツ
そもそも、なぜアパレル業界に踏み込んだのか。
就活スーツが苦手でした。
ピタッとしていて、みんなとお揃いだし、好きじゃない!
これから新しいスタートダッシュを切るというのに。
就活スーツを着て、パンプスを履いて髪の毛を纏めて。当時は大好きな赤リップもアイラインもNGらしかったので、メイクで騙していたベビーフェイスが露わになり、就活生100%としてで出来上がった自分の姿を見ただけで身体が萎縮する感覚を覚えました。
そんな不安な気持ちを少しでも拭うために、
先輩に誘われるがまま足を踏み入れた就活センター。
そこでの面接練習ではトップには到底程遠く、ビリにすぐ手が届く順位を獲りました。
大体のことを上位、同位くらいで世渡り上手風に乗り越えてきていたあまあまな私にとって
300何位という数字を頂いた、この時の敗北感はかなりの打撃。
はい、もう面接イヤ。
自分を表現することへの自信を失いました。
そこに通いつつも、同時にアパレル企業のインターンや面接を受け続けました。
それが順調に進むにつれて晴れやかな疑問が。
私、面接好きかも?
実際、面接はスムーズに進んでいました。
インターン後やイベントで人事の方と会話が盛り上がることもよくあり…
理由はきっと服でした。
アパレル業界のイベントは大半が私服推奨。
好きなブランドのワンピースにヴィンテージのツイードジャケットを羽織り、フラットなレザーのミュールを履いたりして。
自分がありたい姿でいられることが嬉しくて、絶望のスタートダッシュを切ったはずの就活がいつの間にか好きになっていました。
そうは言っても、スーツは好きです。
父はスーツ業界に長年います。
スーツにも着こなしはたくさんあって、
何より長い歴史もあり、私がとやかく言えるような洋服ではありません。
ただ就活スーツは・・・キライ
でも服なんかに負けて自分を表現できない私も・・・キライ
しかし、服で自分を表現できる私もいる!と
すぐ前向きになってしまいました。
そこで前職と出会ったのです。
母よ、正しい!
「四年制の福祉学科出て、アパレルで販売員やるの?」
ですよね…
母は正論を迷いなく言います。
でも大学生の私なりに理由がありました。
福祉学科にいて、たくさんの心優しい同級生に出会いました。
みんな、授業やゼミ中にこんな意見を多々述べます。
"障害のある方のために"
"福祉を助けたい、力になりたい"
その言葉に対して
強い違和感を感じたのです。
果たして、みんな助けてほしいと思っているのか?
その優しそうな言葉にはすでに、
"障害のある人は弱い立場にある"
という意味を内包していると思いました。
現に教材にも、
「社会的に弱い立場に置かれる人〜」などの文面や構図が出てくるので仕方ないなと思いました。
でも周りにいる知的障害のある人は、私にとっては幼い頃からちょっと特別な存在。
いつも笑っている人、飛んでいる人、まっすぐ目を見てくる人、ずっと同じところを歩き回る人。
…個性も存在感も強すぎる!
影にいる性格の子どもだった私よりもよほど楽しそうで、それを見ているのも楽しくて。
兄も記憶力の回路が異才で、中学生頃までは
何年の何月何日の曜日を当てられたり(生活している上で役立ったことない技)
集中力にも富んでいるので同じことを継続して行うことができます。というかそうしないと落ち着かないみたいなのですが。
頑張って生活をルーティーン化しようとする私からすると、かなり羨ましい案件。
小学生の頃の話ですが、
「あいつバカなんだよ」と兄が同級生に陰口を言われる場面を目の当たりにした私は
「バカって言われて、怒らないりょうりょうが悔しい」と母に泣きながら言いました。
すると母に、
「りょうりょうは、みー(私)よりもお手伝いもたくさん出来るし、暗記も得意だし、出来ることはいっぱいある。
そして、バカだなんて言われても怒らない、喧嘩が嫌いな優しい子なんだよ」と何が起きたのかも分かっていない本人が隣に居る中
言いくるめられたのですが、全く的をついた答えです。
つまり、兄には私が持っていない、これからも持ち合わせないであろう才能があり、
私にも同様、兄にはないものがあると思うのですが、絶対に兄がそれを羨むことはないという仕組みが完成されているのです。
そんなこんなで、大学生の自分にはモヤモヤすることしかできない状況に、みんなにこの事を知ってほしい!と思いました。
この概念を、変えたい。
異彩をみんなに届けたいのです。
そのためには福祉を違う角度から見て、体現しなければと思い、自分が好きなこと=服。
結果、アパレル業界へと進みました。
と、就活スーツがイヤでアパレル業界に行ったのではないと、後付けできました。
一方で、色々な福祉の姿形が在るわけで
私の言っていることはどこか未完成で現実的ではないかもしれません。
でも、日々一分一秒前に進み続けているヘラルボニーなら
それに近づけるかもしれないと思っています。
最後に、崇弥さんの言葉の中でも特に好きな言葉をお借りして。
皆さま、ご指導ご鞭撻を賜りますよう何卒よろしくお願いいたします。
ヘラルボニー miu