台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page2】

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一、ありさの家出 ②

「ハルさん、お帰りなさい。あら、ミズキちゃん、いらっしゃい!元気そうね」
 恵美が迎えに出たリビングには土曜ということもあって、小学生の裕太や遅い食事を終えた住人など数人が残っていました。

「みちるちゃん、ずっと部屋にこもってます」と恵美はハルに耳打ちしました。

「あ!ミズキちゃん、ねえゲームしよーよ」と裕太が駆け寄りミズキの手を取り、中に引き入れます。

「だーめ、寝る時間!」と恵美に言われ、

「いいじゃん、ね、1回だけ!」裕太もありさがみちると喧嘩して出て行ったことが気になって、すんなり寝る気にならないのでした。

「ねーるじかーん!」と今度は強めに言われ、ほっぺたを膨らませました。

「それじゃぁ、ココアでも飲もうか?飲みたい人!」とハルが声をかけると、皆いっせいに「ハーイ!」と手を上げました。

「よし、ハルさん特製ココアだよ!」

ハルはキッチンに立ち、ミルクを火にかけ、ココアを少量のミルクでよく練り、温めたミルクを注ぎ、またよく混ぜてココアを作りました。テーブルに置かれた人数分のカップに注ぎ、棚から何かの袋を取り出し、袋の中のものをカップに浮かべていきます。

「はい!できあがりー!」

「わーい、マシュマロが浮かんでる!」

 そばで出来上がるのを待っていた裕太が飛びついてカップを持ち、マシュマロをつついては、溶けていくところをなめてうれしそうにしています。

「いただきまーす!」皆もそれぞれカップを持ち、リビングのソファや床に座り込んでココアにフ~ッと息を吹きかけ、湯気に鼻をうずめ香りを楽しんではマシュマロの溶けたあたりをすすっています。

 ハルはみちるの部屋のドアをノックして

「みちるちゃん、ココアがはいったからリビングで飲まない?」

 けれど返事がありません。もう一度、ドアをノックして

「みちるちゃん、入るね」とドアを開くと、奥の机に向かっていたみちるが振り向きました。

「あ、勉強中だった?ごめんね。一息入れない?」

「今、レポートがたまっていて…」とみちる。

「そう、じゃあ、ここに持ってきてあげる」

ココアのカップを机に置きながら、ハルはカーテンレールに下げられている就活用のスーツを見て、

「就活もまだ続いてるし、レポートもかぁ…大変だね、みちるちゃん」

「病院の管理栄養士をしている先輩のアドバイスを聞いたら、即面接で即採用みたいな給食委託会社はやめたほうがいいって…。休みなく長時間働かされて、結局辞めちゃう人が多いって…。だから評判の悪くないしっかりした所にエントリーするんですけど、なかなか…。面接まで行って、経験を聞かれたらバイト先やこの下宿での調理経験とか話せるんですけど、なんだか、結局、聞かれるのは家族のことで…。高校生の妹と二人暮らし?遠くに配属になったら困りませんか?とか。一見気遣いのように聞こえるけど、本当は、親のいない家の子を採りたくないと言われているみたいで…そんなのが続いていて…」

「そうなの、つらいね。でも一般企業の就活してる普通の家庭の子も何社も受けてやっと一次面接にこぎつけても落とされて、自分を否定された気になって落ち込んでる子は多いと聞くよ」

「そうなんです。だから折れずにがんばろうって思ってるんですけど…。せっかく必死に大学に通って、資格も取ったんだから、無駄にできないって…。それでもたいへんなのに!それなのに高校中退するって!ちゃんとした就職なんて無理なのに!」

「それ、ありさちゃんのこと?高校辞めるって言ったの?」

 みちるはうなずきました。

「入学式の時から担任の先生に目を付けられて、顔をのぞき込まれて『カラーコンタクト入れてるだろ』って言われたって。入れてないんだから素直にそう言えばいいのに、あの子のことだからきっと反抗的に言い返したんだと思うけど……それからもちょくちょく近寄ってきて自分にだけ聞こえるような小声で耳元で言われるんだって。ネチネチしつこく。それが耐えられないから辞めるって。うちだって高校の時はいろいろうるさく言われたけど我慢してやってきたのに!」

 みちるは怒りがぶりかえしそうになるのを抑えるように唇をかみしめました。

「ああ、あったね。居残りがあるからバイトに遅れるって電話してきて、来たらなんだか機嫌悪くて。聞いたら、眉がバサバサだったから少し整えて行ったら、眉いじってるだろ校則違反と言われて居残りで漢字書き取り。それも先生が張り付いて。小学生じゃあるまいし。学校ってそんなことにエネルギー使って、もっと他にあるんじゃないの?って思ったよ」

 ハルはみちるの代わりに過去の怒りを吐きだそうと、続けて

「高校の先生はともかく、個人指導の塾の講師ね、あれはほんとに訴えたかった。乗り込んでやりたかった。盗撮なんて、犯罪なんだから!受験生の弱い立場につけこんで、合宿と称して生徒の親戚の民宿なのに高額の費用をとって。みちる、払わなきゃいけないけどお金がないから、お給料前借させてって。そこまでして行ったのに、そこで盗撮しようとするなんて。最低大悪のやつだ!それを聞いて乗り込んでやるって言ったけど、まだ友達が受験が終わらなくて、刃向かうと受験に影響するかもしれないからやめてくれって言ったね。それに、盗撮って現場と証拠を押さえないといけないらしいから。それにしても忌々しいね。みちるが合格して大学生活が始まったからそのままになったけど。ごめんね。ほんと、何の役にも立てずに悔しかったよ」

 それを聞いたみちるは顔が紅潮してきました。

「うちだってすっごく悔しかったです!気持ち悪いこと、納得できないこといっぱいあったけど、でも我慢しないと。とにかく高校出たら施設を出なきゃいけないから。施設の子は高卒で働く子が多いけど、すぐ辞めちゃってふらふらしてる子もいるし。うちはどうしてもちゃんとした資格を取ってちゃんと自立するために大学に行きたかったから。だから友達に飲みに誘われても行けなかったのに。それでもたまにありさと原宿とか遊びに行くと、必ず男が寄ってきて、ありさにモデルのスカウトかなんかの声かけてきて……。あの子、ちょっとかわいいから。でもあやしいでしょ?だまされちゃいけないから、いつもうちが断って逃げるんだけど。あの子、なんでおねえちゃん?話聞きたかったって。そんなうまい話はないんだって言っても、わからないんですよ。だから、高校辞めてもなんとかなるって思ってる。相談もなしに勝手に退学願いの用紙をもらってきて」

「えっ?退学願い?おやおや……。でも保護者の承諾がいるんだよね」

「そうなんです。うちはあの子の保護者のつもりでいるけど、正式には叔父さんが後見人だから、書類はあの人のはんこがいるんです。卒業式も入学式も保護者会も来たことなくて、うちが大学に入った時も1万円お祝いと言ってくれただけで、何の頼りにもならないし、うちの親の遺産管理だってしてるはずなのに、どうなってるのか、もしかしたら使い込んでるかもしれないし……」

「ということは、叔父さんの家に行ったのかな、ありさは」

「そうだと思いますよ。頼りになんないけど、泊めるぐらいはできるはずですから」

「ねえ、叔父さんに電話してみたら?」

 みちるは何秒かの間のあと、うんとうなづいてケータイを手にし、叔父に電話をかけました。

「おじさん?あの、みちるです。あの、ありさそっちに……、はい?……なに?……え?……わかりました」首をかしげながら電話を切りました。

「おじさん、今仕事中で、まだ家に帰っていないって。そんなのうそですよ。すっごくがやがやしたところで、女の人のキャーキャー言う声も聞こえて……。きっと飲み屋にいるんです」

 二人は顔を見合わせました。おじさんの家に行っても留守だったはず。それならありさは今どうしているのか…。

 そのころのありさは……。ふたりの不安は的中していたのです。

    一、ありさの家出③ に続く

 






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