台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page1】

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一、ありさの家出 ①

「やっぱりこの薪能の会場で食べる豚汁は最高だね、ミズキちゃん」

 薪能が終わり、神社の境内の座席から立ちあがり、帰ろうとする人たちのざわめきの中で、まだその場をいとおしむように座ったまま、自分とミズキの豚汁の容器を持参したビニール袋に入れ、バッグにしまいながらハルは話しかけました。

「業者が作った均一な味じゃなくて、神社関係者の女たちが集まって、野菜を切る人、煮る人、味をみる人、あれこれおしゃべりしながら。ネギ一つにもよく煮て甘味があるほうが好きな人、あまり煮ないで辛みが残るほうが好きな人、いろいろなんだろうけど、たぶん最古参の女の人がリーダーになって各家庭の味を一つにまとめるんだね。なんだかその様子が想像できるからなおさら美味しく感じる」

「はい、豚汁美味しかったです。でも、ハルさんが作ってきてくれたおむすびの方が私は…もっと美味しかったです」とミズキ。

「簡素な食事でごめんね。でもありがとね。豚汁のみそ味に合わせるんなら具を入れない塩むすびがいいと思って。別に手を抜いたわけでもないけど、美味しかったんならそれはよござんした」
 照れているのかふざけているのかわからない口調でハルが言うとミズキが

「あの…ハルさんと初めて会った時もハルさん、おむすびくれました。あのときのおむすび、最高に美味しかったです」

「ああ、あのときね。だってお腹が減った顔してたもの」

 あのときとは、4か月前の7月の夏まつりの時のことでした。ミズキが奥多摩の自宅から一人でスカイツリーに行こうとして乗り過ごし、春日部に来てしまったあの日。偶然来たはずなのに、何故か実の母の三回忌が行われているところに行き合わせることになったあのとき。

「お腹も減っていたんですけど、それだけじゃなくて…うまく言えないですけど、迷子になっていた自分が、やっと安心できる所に着いたような気がして、ほっとしたというか…とにかく美味しかったです」

「おまつりのおむすびで思い出したけど、あたしの子どもの時、おまつりで大きな山車を引いたの。今は町内の子どもが少なくなって、小さな山車で子どもより多い大人が周りを取り囲んで町内一周するぐらいだけど。昔は子どもが多かったから、町中を大きく回って駅まで来た休憩のときに、おむすびをもらったの。子供会のお母さんたちが握ったお味噌を塗ったおむすび。まわりにお味噌が塗ってあるから手がべとべとになっちゃうんだけど、そのべとべとをマイナスしてもね、今までのおむすびの中でダントツの美味しさだったなぁ」ハルは顔を斜め上にあげて目を細めて言いました。そして、はっとミズキに向き直り

「それはそうと、ミズキちゃん、能を観ながらスケッチしていなかった?あんな薄暗い中でよく描けたもんね。舞台をスケッチしていたの?見せてくれない?」と、ミズキが膝にのせている小さなスケッチブックに目をやりました。

「あ、はい、いいですよ。でもざっとした線しか描いてません。家に帰ってからまた描き直そうと思って…」

 5~6枚のスケッチをパラパラと見た後に、ハルは指をさして

「ねえ、この二枚は『隅田川』の場面よね。表情が違うのね。というか、能の面じゃなくて、生身の女の人の顔になっているね。ひとつは茫然としている顔に見えるし、もうひとつは悲しんでいる顔に見えるね。謡は昔の言葉なのにね、物語が伝わったの?想像して描いたの?」

 ハルにそう言われて、改めて自分が描いたものを見たミズキは首をかしげながら
「わかりません。舞台を見ながらささっと描いたので、手が勝手に動いていた感じです。国語の先生から、さらわれた子どもを探しに来たお母さんが隅田川にたどり着いた時には、もう一年前に亡くなっていたことを知らされたというお話を聞いていたのでそのせいかも…」

 ミズキはハルが開いて見なかったページを開いてその絵をハルに見せて、ちょっといたずらっ子のような目をして

「すみません。これも描いちゃいました」

 そこには『隅田川』の舞台に目を向けながらも頬に涙がつたっているハルの横画のスケッチがありました。

「うわ、恥ずかしい。ミズキちゃん、ちょっとこれはあたしのキャラじゃないでしょ。あたしはミズキちゃんに街キャラカードのキャラをデザインしてもらおうと思ってたのよ。ブサイクな猫かなんかをモチーフにして」

「ええ?ハルさん、ブサイクじゃないですよ。でも、描いてみたいです。今度描いてきます」

 そのとき、

「会場の片づけを行いますので、お客様は速やかにご退席ください」と
はっぴを着た係の人からの声がかかり、二人は席を立ちました。

「あらもう9時過ぎちゃったわ。ミズキちゃん、親戚の家に行くんでしょ。タクシーで送っていくから」

「でもあの…あの…」ミズキは言いかけましたが、

 タクシーを呼ぼうとしてケータイに電源を入れたハル。

「あら、恵美さんから着信が入ってる」

「もしもし恵美さん?今からミズキちゃんを送って行って、それからもどりますから。え?何?何かあった?」

「あの、ありさちゃんがまだ戻らないんですよ」と恵美。

「あら、あたしが出かける前、5時ごろにはありさちゃん、おたくのぼうやとリビングにいたけど…。そのあと出かけたのかしら。」

「ありさちゃん、夕方まで裕太と遊んでいてくれたんですけど、食事当番の時間になってもキッチンに来ないから、裕太に聞いたら、みちるちゃんとけんかしていたって。大声で何か言って出て行っちゃったって…。みちるちゃんに聞いてもなんだか機嫌が悪くて、知らないとしか言わなくて…」と恵美。

「そうなの。じゃあありさに連絡をとってみるね」

 ハルが電話をしますが、電波が届かないところにいるか、電源が入っていないというアナウンスが流れ…

 横で聞いていたミズキは

「あの、ありささんに何かあったんですか?帰っていないんですか?私も連絡をとってみます。それからあの、おばさんには薪能で遅くなるようならハルさんの所に泊めてもらうからって言っておいたんです。今日、泊まっていいですか?今からおばさんには連絡しますから」

 ミズキはほんとうはおばさんの家に行くより、ハルと、あの4か月前の不思議な体験のことを話したかったのでした。乗り過ごしても春日部から折り返せばスカイツリーには行けたのだけど、小さな男の子に手を引かれて外に出てしまったこと。まつりの時に川で幽霊のような女の人を見たこと。お母さんは実は籍を入れていなくて看護師だった洋子さんに母親になってと頼んでいたこと。おばさんの家で見た、遺影の男の子が母の弟で、その子が春日部駅から自分を連れ出した男の子だったこと…

 でも、今はそれよりありさのことが心配でした。ありさにLineを送ったり、電話をしてみましたが、やはり応答はありません。

 二人はハルの経営する下宿に急ぎ帰りました。時刻は10時になっていましたが、ありさは帰っていませんでした。


     一、ありさの家出② に続く








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