かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page4】
一、ありさの家出 ④
普段なら、知らない男の車に乗るなど、危険極まりないことはありさだって承知なのでしたが、このときは早くこの場から離れることが先決でした。それだけでなく、姉、家、学校という足場を自らはずしてしまって、かすかな頼りの叔父もあてにならず、宙に浮かんだ自分が堕ちていきそうなところをぐっと腕をつかまれ、ひっぱりあげられた。そんな感覚も確かにあったようなのです。
車はやがて高速に上がっていきました。ありさはハアハアしていた息も落ち着き、オレンジ色の規則的な光がフロントグラスを斜めに走っていくのを見ていると、そのリズムに次第にうっとりするような心地よさを覚えてきて、運転席の男の
「青梅だったよね」の言葉にも
「ふぁい……」と気の抜けたうわの空の返事を返していたのでした。
「ユーミンの『中央フリーウエイ』、あれ、よかったよねえ。右に見える競馬場、左はビール工場って……。それは実際そうなんだけど、『この道はまるで滑走路、夜空に続く』ってとこがやっぱりユーミンの非凡な所なんだよなぁ」
男がそういうのもあまり耳に入ってこないというか、その男が何歳で何者なのか、そのときは考えの中にありませんでした。その歌の歌詞のような不思議な浮遊感に身を任せていることが心地よかったのでした。
高速道路のオレンジ色の光と両側の夜景のキラキラ点滅する光と車の緩やかな揺れが眠気を誘うのか、まぶたが重くなってきたありさ。しばらくうとうとしていたのかもしれません。車のラジオの音も運転席の男が何か話しかけているのも遠くに聞こえていました。
「ばうん」と耳に聞こえて目を開けると、そこはトンネルの中。
トンネルを抜けると、あたりの景色は一変していました。キラキラしていた街の景色はどこにもなく、あたりは真っ暗。そして暗さの中にさらに黒い山のシルエットが浮かび……。
(え?ちょちょっ!ここどこ?山?)
「そろそろ高速降りて下道に入るよ」目を覚ましたありさの様子に気づいて、男が静かに言いました。
もしかしたら、自分は山に連れていかれるのではないか……。この男は私をどうするつもりなのか?行方不明の女子大生が山中で遺体になって発見された最近のニュースが今度は自分の身に降りかかる……。最悪の事態が頭をよぎりました。運転席の男の落ち着いた静かな口調にも不気味さを感じ、顔をそちらに向けられないまま、目だけ動かして男を見ました。表情もよく見えず、メガネだけが光ります。
ありさは自分の息が浅く早くなるのを感じました。胸の音がドクンドクン聞こえます。その息遣い、鼓動を男に悟られないか、それも不安でした。とにかく、すぐにでもこの車から降りて、男から逃げなくては……。
けれども道の両側は店や住居が点在するものの、皆閉まっていて助けを求めるにも、隠れるにも逃げるにも、何のよすがもありません。しかも走っている車から飛び降りることもできず……。でも最悪の事態になる前に何かしなくては。ぐるぐると思いを巡らせても一向に方法が思いつかず、じりじりと山奥へ近づく不安に陥った時、前方に見慣れた看板の灯りが見えました。
(あそこしかない!今しかない!)
ありさは膝に置いたバッグをぎゅっと握りしめ
「あそこです!あそこは知っている場所です!うちの近くです!止めて降ろしてください!」
「え?ここでいいの?」ありさが急に言いだしたので、男はブレーキをかけました。
車が止まるとすぐにありさはものを言わずにダッシュして右前方のコンビニめがけて走っていきました。
コンビニに走り込み、レジにいる男性店員に
「あの、あの、助けて……」男性店員は
「いっらっしゃ……あ、え?何ですか?」
慌てているありさは説明する言葉が見つからず、
「あの、あの、バックヤード!バックヤード通らせてください!」と言い
「お客さん!お客さん!」と店員が叫ぶのに構わず、従業員通路を通り、裏口のドアのカギを開け、そこから外に飛び出しました。このコンビニは夏休みに短期でバイトしていたので、内部の構造はだいたいわかっていたのです。
とにかく先ほどの道路から遠くへ、直進ではまた車が追ってくるから、路地に入り、民家の横道をまがり、家の陰になるように走ってはまた曲がり……。少し広い道に出るとキョロキョロと確認し、走って渡り、また家陰に入り……。畑に出ると木の陰へ……。そうしてどのくらい走ったでしょうか。気持ちは前へ行くのですが足が重く、動きが鈍くなってきました。ハアハアと息も切れて立ち止まった時、何者かが自分を見ている気がして横を見ると……そこは墓場でした。
「ひえ~~っ!」もつれる足で走り抜けると、いきなり視界が開け、それと同時に足元がズズズーッと崩れ、
「わあああああ」
声をあげて転び、天を仰ぐ体勢で止まりました。
起き上がろうとすると「あいたたた……」左足首がズキズキ痛み、うずくまりました。その頭を風が吹きつけます。ありさは顔を上げると、目の前には黒く光る川の流れ。もう自分はこの世ではないところに来てしまったのか……。それとも悪い夢の途中なのか……。
(でも足がズキズキするってことは夢でもないし、死んでもいないってこと。追ってこられたらたいへん。警察に知らせよう)
バッテリーが残り少なかったのでファミレスを出るときに切っておいたスマホの電源を入れました。
「こんなに着信!」
一、ありさの家出⑤ に続く
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