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古参の役割

2016年が始まった。始まると同時に、皆がFacebook等々で「今年の抱負」を述べ出したりして前を向いているので、私は敢えて、2015年の仕事納めの日(といってもさっき数えたらたった6日前)の暮れなずむ気持ちについて振り返ってみようと思う。

どうして振り返りたくなったかというと、紅白歌合戦司会の黒柳徹子の姿に、非常に学ぶところがあったからだ。「あの年齢で、最後まで司会をこなすとは、すごい!」とか、「テレビ草創期から全てを知っている生き証人ならではの重みと自由さを兼ね揃えた超人ぶり!」とか、色々と思うところはあるけれど、私が心奪われたのは、エンディングの際に彼女が放った、若手司会者・綾瀬はるかとイノッチへのねぎらいとお誉めの言葉だ。詳しい言葉は覚えていないけど、「とにかくあなたたち、落ち着いていて素晴らしくて、よくやりましたぁ!!」というようなことを、本当に心のこもった表情と口調でシャウトしていて、こんな風に徹子にシャウトされたら、どんな疲れも吹っ飛び、「ああ、有り難い」と思うだろうなと、しゃぶしゃぶ肉を噛み締めながら、23:43頃、私は遠くを見つめた。そして、芸能界の重鎮の姿と、会社内で古参OLとしての立場を確立している自らを図々しくも重ね合わせ、「ああ私、これ、出来ていたかしら?」と自らの12/28の納会にタイムトリップした次第だ。(そういえば、紅白の大トリの聖子ちゃんは、ためて歌い過ぎてて、最後「スウィトピー」って言わないんじゃないかとハラハラしませんでした?言いましたけどね)

さて、年末のざわざわした感じが好き、という人もいるかもしれないけど、私はどうも昔から年末というものが苦手だ。特段、会社人間というわけでも、会社大好きというわけでもないけれど、仕事納めの日には、言いようのない寂しさを感じる。冬という寒い季節、一年の終わりという終末感、そして、いつも一緒にいる職場の皆が、散り散りになって行く感じが、何だかとても寂しいのだ。

私が勤めているのは、いわゆるコテコテの日本企業なので、仕事納めの日は「納会」という名の飲み食いで締めくくられる。定時を迎える少し前から、新人たちが各所から寿司やらオードブルやらを調達し、会議室に並べる。そして、偉い人がお客さんから頂いた高級ワインやら日本酒やらが、そのクォリティを台無しにするような紙コップに注がれ、乾杯となる。この日ばかりは、老いも若きも関係ない。普段はほとんど何の役割も与えられていないような窓際のおじさんたちも、真っ赤な顔をして嬉しそうに、関係部署ごとに設置されている納会をハシゴして回る。「今年もお世話になりました」「来年もどうぞよろしく」……そう言いながら、紙コップをコツンとし合って、お互いの一年の労をねぎらう――外資系の洒落た企業の人たちから見れば、なんとも昭和なダサい儀式に違いないが、私はこの儀式がそんなに嫌いではない。

私のように、新卒で就職した企業に二十年も勤めている古参OLというものは、いわゆる「定点観測」をしているようなもので、「人間の変化を観察する」という意味では、この上ない状況にいると思っている。次から次に転職をしてステップアップしていく人生も変化があっていいなと思うけれども、同じ企業に居続けるということも、なかなか凄みがあることよ、と我ながら思う。自分の変化、周囲の皆の変化、会社の変化、会社を取り巻く経済の変化なんてものまで鮮明に感じることが出来るのだ、定点に留まっているが故に。

「人への定点観測」という意味で一番分かりやすいのは、例えば「出世」。「出世」という言葉自体はどうにも平たいし、「出世なんて関係ない」という主張は耳には心地よい正論だ。けれども、組織の中で、自分のやりたいことを本気で推し進めようとするならば、そこには必ず「権限」が必要だ。だから、決裁権限を得ること=高い役職を目指すことは、サラリーマンにとっては、決して野暮なことでも、下卑たことでもなく、実際に大事なことで、目指すべきひとつの指標だと思っている。

この「出世」だが、既に仕上がった状態=役員になった状態で出会ったおじさんに対しては「ああ、偉い人だ」という気持ちしか沸かないけれど、仕上がり前の状態、つまりはそのおじさんが、まだ何の役職もなく、ひな壇にも座っておらず、普通の席に座って、上からはやいのやいの言われ、下からは突き上げられる、という状況の頃から知っていると、その仕上がり後の姿には、感慨深いものがある。考えてみれば当たり前のことなのだけど、40代半ば位には課長=つまりはほぼぺーぺーだったおじさんが、たったの10年強の間に、常務だの専務に昇りつめるのだ。ただ毎日会社に来るだけでは常務だの専務にはなれるはずもなく、数々の辛くて理不尽な状況を乗り越えて来たんだろうと、古参OLとして、会議室や現場で起きた事件の数々に思いを馳せる。

そう、そんな風にしてのし上がった「偉い人」が、年末にぺーぺーをねぎらう姿はなかなか良いものだ。普段は「免許は持っていますが、車は欲しくないです……」とか言って、毛先を遊ばせて細身のスーツを着ているヤングも、偉い人が自分の会議室の納会にやって来て、「今年はあの事業への投資が上手く行って良かったな。来年もま、引き続き頑張って。期待している!」なんて言って、肩をポンと叩いて去る際には、何ならちょっと目が潤んでいそうな感じだ。「死んだ目をしたヤングにも、熱き魂が宿っているのだ」と、古参OLも二次的に目が潤む。

そして、いい感じに紙コップワインの酔いが回って来る頃には、今度は古参自身として、頑張ってるヤングに、何か一言言ってやりたいという気持ちが込み上げて来る。ヤングに迎合する気はもちろん全くないので、本当によくやった!と思えるヤング限定だけれども、不思議と次から次に言葉が出て来るのだ。特に、心理学で言うところの「ウィンザー効果」っていうやつでしょうか、「部長があんたのこと、とっても優秀だって誉めてたよ」とか、「この前の海外出張は本当に大変そうだったけど、出張レポートがとっても分かりやすいって課長が感心してたよ」等々、実際に第三者がそのヤングを誉めていたことを思い出し、お節介にも伝えてやる。そうすると、みるみる小鼻を膨らませ、顔に「満更でもない」という文字を浮かべる子もいれば、本気で驚いた顔をして、「え!!部長が?ウソでしょう?」みたいに、「もっと頂戴」をして来る子もいる。ああ可愛いなあと思うと同時に、やっぱり人間は誉めてやらにゃならん、ということを再認識する。(特に男の上司は男の部下を誉めないもんですね。そりゃ仕事だから厳しくするのは当然としても、要所要所では誉めてやればいいのに……といつも思う)そして最後に「私も、あんたのこういうとこ、いいと思ったよ。ここ、今年頑張ってたよ」なんていう、自分自身の言葉をヤングにお伝えし、決して長居はせず、頃合いを見て会議室から退散するのだ。

格好いいじゃないか!誰も誉めてくれないので、「あなたがあなたを誉めてたよ」という、危ないウィンザー効果のシャワーを自分に浴びせ、妄想の中で徹子と握手を交わし、明日の初出社に備えます。

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