どんな自分だって楽しんでいい

どれだけ嫌なことがあっても、ジメジメした天気で憂鬱になった時でも、誰か憎い相手がいたとしても、ドロドロしてぐちゃぐちゃになってる自分だったとしても、そんな自分を楽しんでいい。


「俺(私)、今むちゃくちゃ嫌な気持ちになってるじゃん!」

と自分を面白おかしく観てあげてもいい。



当たり前のようだけど、どれだけネガティブな状態になったとしても、心の奥深くまでネガティブになゆ必要はない。

なんなら、知ってる誰かに

「俺(私)、今こんなことがあってあんなことがあって、むちゃくちゃ心の中がぐちゃぐちゃなんよ。」

と面白おかしく自慢してもいい。


不幸自慢しても更に不幸になるだけだが、こんなにもネガティブなんだぜとヤバい自慢をしてもいい。

そして、そんな自分を笑い飛ばしてもいいし、泣き飛ばしてもいい。



4〜5年前のある日、妻も子供も家族も友達も親友も仕事もお金も家も一つの小さいスーツケース以外の持ち物もすべて失った。

そんなある日、いつもの散歩道を歩いていると、目の前の草木や近くを流れる川を観て涙が溢れてきた。

「俺にはこいつらがいる!!」

「俺はすべて失ってなかった。俺には、俺には、こいつら(自然)がいてくれる。そして、何より俺がいる。。」


私は涙が止まらなかった。

確かに孤独なのはあった。


でもやっぱり、孤独な心を埋めてくれる存在が、失いようのない存在が目の前にいたからだ。


この記事にも書いたように、私はどんな些細なことでも絶望できる力がある。

本当は絶望したい時に絶望できる力。

この力があるからこそ、本当のポジティブな"引き寄せ"ができる。

自分の深いところの絶望を拾ってあげられるからこそ、深いところをポジティブに変えられるのだ。



どんな自分だって楽しんでいい。

どんなに悲しんでも、どんなに悲しみを泣き飛ばしても笑い飛ばしても、同じように1日は過ぎ去っていく。


でも、それでも私は落ち込むことがある。

過去、背負えたものを背負えなかった己の未熟さや弱さ。

その未熟さや弱さを想うと、どうしても前向きになれない自分もいる。



そんな時はとことん落ち込む。

1人落ち込み選手権を開催し、優勝している。


そして、それでいい。

落ち込んだところで、嫌な現実を引き寄せるようなチンケな愛(現実の仕組み)ではないことは知ってるから。

そして、本気で落ち込むからこそ、心が育つことも知ってるから。



落ち込むことやネガティブになることは悪くない。

落ち込むことやネガティブになることを悪いと思う心が悪いのだ。



さあ、今日はどんなネガティブを楽しもうかな♫

よし、今日は寂しさ君!君に決めた!!!

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