見出し画像

ライターは何を目標に書いている?

#ドーナツトーク は、誰かが出したお題についてバトンリレー式の連載。書き終えたら次の人を指名し、最後はお題発案者が〆めます。

はじめての #ドーナツトーク 「ライターとしての目標はなんですか?」が
ひとめぐりしました。最後に、お題発案者のわたしが、ドーナツのかたちをなぞって〆ます。

この世界は変えられるという希望/杉本恭子

はじまりは、わたしが宮本拓海くんに「書くことで目指す目標みたいなものがあるんですか?」と問いかけられたこと。わたしは、とっさに自分のなかに思い浮かんだ「伝え続けたいこと」について答えました。

日常の世界、世俗の権力と拮抗しながらも、並立しうるだけの力を備えたアジール。飛び地のように、社会のなかに存在し続ける自由の領域があることを示し続けることで、「この世界は変えられる」し、「ここではない場所」はかならずあるという希望を伝えたい

「目標」というものではないかもしれないけど、それが拓海くんの問いに対するわたしの答えでした。「みんなだったらどんな風に答えるだろう?」と思って聞いてみたのが、はじめての #ドーナツトーク のお題になりました。

「淀みのないことば」が行き交う社会をつくりたい/増村江利子

まずは、「書くことで目指す目標というのは、つまり、書くという行為の先にある、自分が掴み取りたいもの、ということですよね」と受け取ってくれた増村江利子さん。音楽大学の学生だったときに先輩が言った「淀みのない音楽をつくりたい」という言葉を教えてくれました。

書くという行為の先にある、自分が掴み取りたいものは、淀みのないことばによって、自由になったり、想像が膨らんだり、人を信頼できたりする、そんなことばが行き交う社会なのだと思います。

江利子さんが感じている「淀み」とは、「本当は大切なことかもしれないのに、大切かどうかを自分自身がちゃんと吟味しない」ことによって生まれてくるもの。「ものや心、関係性、お金の使いかた」に無理がないか、誰かに判断を預けてしまっていないか、心が通っているかどうか……。

たしかに、江利子さんが書くものには、いつもこうした問いかけが含まれているなと思います。

たったひとりに届く文章を書くこと/平川友紀

二人目は、まんぼうこと平川友紀さん。音楽ライター時代に得ていた「小さな世界」での「鮮明で、強烈な体験」と、「小さな世界」が持っている「自身もその一部を形成しているかのような「自分ごと」としての場のあり方」に今も惹かれつづけているーーライターとしての原点から書き起こします。

まんぼうは「小さな世界」で得ていた感覚のままに、「届けたいと思う人の顔を思い浮かべて、その人に届けようと思って原稿を書いている」。本人は自分のことを「狭く浅い」と言うのだけれど、狭いはともかく「浅い」のかな? と思います。「狭く濃い」のほうがあたっているかも?

たったひとりに届けるからこそ、その原稿は濃密で、とてつもなく大きな力を秘めることになる

ひとりの人間は、表面的にはとても個別的な人生を送っているけれども、視点を変えれば一人ひとりの人生の物語は普遍的でもあり得ると思います。まんぼうは、「たったひとりに届ける」ことに集中することによって、その普遍性に手をかけているのではないかなと思ったりするのです。

「書く」はあくまで「ひとつの手段」/池田美砂子

そして、池田美砂子さん。「「ライターとしての目標」というお題に、戸惑う私がいる」と書き起こします。そうそう、美砂子さんならそうくるんじゃないかと思ってた。

「かつては、「30歳までに○○したい」みたいなことを考えるのが好きだったし、それに向かって努力する自分が愛おしくも思えた」と、自らの来し方を振り返りながら、今そういう気持ちを持っている読者にそっと寄り添う。美砂子さんらしいなぁと思います。

そして、「なぜ書いているのか、という本質的な問いを自分に向けている」と、これまでこのお題で書いてきた私、江利子さん、まんぼうの側に立ってみる。どの視点からこのお題を書くのかを明確にしたうえで、美砂子さんの話は始まるのです。

「うんうん、まさにそんな感じで」
「みんなと共有してみたいな、と思っていて」
「きっと最強だし持続可能だよ」

自分自身の声に耳を傾けるように、読んでいるわたしたちに語りかけるようにして。美砂子さんの話は続きます。なんだか、美砂子さんとおしゃべりしているような気持ちになります。そして、今の居所をスパッと言い切るところに至ります。

「書く」は、あくまでひとつの手段。自分の人生を心地よく生きていく、それをみんなと共有していく、という目的を達成するためには、究極を言うと、「書く」じゃなくてもいい。

やわらかくてやさしくて潔い。美砂子さんらしい、美砂子さんを近くに感じられる文章。いつもの記事とはまた違った味わいがありました。

虹を見つけて指さすように/飛田恵美子

最後は飛田恵美子さん。「アンカーだ! 前走者のみなさんに恥じない走りをしなければ」なんて言っちゃうところ、大好きです。あ、そこじゃないですね。

他の4人と違って「ライターとしての目標、書くことで目指しているもの。色々あるけど、」と前置きをした飛田さん。「軸となっているのは、「昔の自分に見せたい世界を紹介すること」でしょうか」と、記事の背骨を立てました。なるほど。

飛田さんは「言葉の持っている力」にとても強い関心を寄せているライターさんだと思います。言葉は人をしあわせにしたり、よろこばせる力を持っていますが、それと同じくらいに人を苦しめる力も持っています。以前から、「飛田さんは、言葉のダークサイドから決して目を逸らさないな」と感じていましたが、今回はその思いを新たにしたところです。

虹を見つけて指さすように、この世界に溢れる素敵な物事を、人を、考え方を見つけて、紹介すること。いまいる場所だけが、過去に誰かから掛けられた言葉だけが真実じゃないよ、ちょっと動くだけで、視点を変えるだけで、見えるものは変わってくるよ、と伝えること。

ダークサイドも含めて理解しようとしているからこそ、言葉の持っている力とその働きをより深く知ることができる。飛田さんの文章を読んでいると、いつもそんなイメージが背景にあるように思います。

飛田さんの屋号は『言祝ぐ』。

言葉で祝福する、祝いの言葉を述べて、幸運を祈る。そんな意味を持つ言葉で、ことほぐ、と読みます。いい言葉でしょう。

うんうん。ほんと、いい言葉だなぁと思います。

それぞれのところから同じ景色を見ている

「ライターとしての目標はなんですか?」という同じ問いに、それぞれが向き合って書いてみる。まあ、とてもシンプルな企画なのですが、実際にやってみて思ったのは「それぞれのところから同じ景色を見ているんだな」ということでした。

飛田さんが、香川県の直島でジェームズ・タレルの作品『オープン・スカイ』を見たときに、ふと席を立って見上げた空に虹を見つけたように、わたしたちも同じ空をそれぞれの場所で見上げていて、それぞれに見える景色をそれぞれのやり方で描こうとしているというような。

「淀みのないことば」で世界をととのえようとする江利子さん、「たった一人に届ける届く文章」を書くことですべての人に届く文章に至ろうとするまんぼう、「自分の人生を心地よく生きていく、それをみんなと共有していく」美砂子さん、「虹を見つけて指さすように」してこの世界を見る視点を変えることを伝える飛田さん。そして、「アジール」を手掛かりに、わたしたちが自由を見失ってしまわないようにと願っているわたし。

いま、わたしのなかには、ゆるやかな円陣を組んで空を見上げ、それぞれが見ている世界について、言葉をつむいでいる風景が浮かんでいます。

読んでくださってありがとう。「スキ」や「サポート」に励ましていただいています。