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聴くこと、書くことを伝える

今年に入って、なぜだか「編集学校をやりませんか」「やりましょう!」というお誘いをいただくようになった。こういうとき「え、なんでわたしなんですか?」と思ってしまう。けれど「なんでですか?」とその理由を問いつめるのはとても無粋だ。相手は、わたしが自分自身で気づいていない「なにか」を見出して声をかけてくれたのだ。理由なんかわからなくていい。自分がやりたいかどうかで決めるしかない。

で、たぶんやりたくなって引き受けているのだと思う。

ライターの仕事は「書くこと」ではあるが、それ以前に「聴くこと」が大切だ。編集さんやクライアントさんが「何をしたいのか」をしっかり聴くこともそうだし、もちろんインタビューもする。本や資料を読むことも、それをつくった人の声を“聴く”作業だとも言える。

こういうことを言ってると、「ああ、あなたは傾聴型のライターさん」と極めつけられてビックリする。いや、そうじゃなくて。うーん、なんだろう?ともごもごしてしまう。私たちは、小さき声をも逃さないよい耳を持つべきだし、遠くまで見通せる目を持とうとするべきだ、というだけなんだけど。

このあたりの「もごもご」がたぶん、編集学校をうっかり引き受け続ける理由につながっているのだろう。そして、毎回新しい”書き手”と出会うたびに、めちゃくちゃ感動してしまう。ちゃんと人の話を聞いて、自分の思いを重ねて言葉をつむぐというのは、すごく尊いいとなみだ!なんて言って。

でも、終るとみんな手を振って別れていくし、そのときじゃないと感じていることを言葉にできなかったりもするから、noteに残してみようと思う。いやー、聞きしに勝る書きやすさですね。フォーマットの美しさに、文章が整えられていく感じ。恐るべし、noteというシステムの編集力。

まずは一回、投稿。

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