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骨を洗うように父の腕時計を磨く

6月某日、ふたたび姉夫婦と一緒に実家の片付けをした。姉の夫は、モノを捨てるのにためらいのない人で、「ここからここまで、全部お願いします」と言えばどんどん片付けてくれる。「これ、なんだっけ?」とまごまごする姉妹を尻目に、すごいスピードでゴミ袋を膨らませていく。とてもありがたい助っ人である。

とは言え、確認せねばならないモノや書類もあるので、そっちはわたしたちが受け持つ。押し入れに金庫がある!と思ったら、鍵が刺さっていて「これ、金庫である意味あるんやろか?」とふたりで首を傾げる。中を改めると、大事な書類も入っていたけれど、10年以上前の病院の領収書などもまざっている。

母の自慢だった広々したリビングに、父は棚やタンスをごちゃごちゃ並べてゴミに等しい書類を詰め込んでいた。「整理したように見せかけて臭いものに蓋をするところとか、めっちゃきらい」と毒づくと、「恭子はお父さんのきらいなところいっぱいやね」と姉が感心したように言う。さりとて、姉も「父の好きなところ」はとくに出てこない。「父のいいところ」は言えるけど、「好き」と言うにはいろんなことがありすぎた。

古いキャビネットを開けると、わたしたちが物心つくころから父が使っていた腕時計が出てきた。たしか、金属製の小さなカレンダーのプレートをつけていたやつだ。電池は切れていて針は動かない。文字盤の周りが垢じみて汚い。でも、手にとってバンドをパチンと外す音で、ふわっと記憶が蘇った。

小さいとき、父が帰ってきて腕時計をパチンと外す瞬間が好きで、よく腕にまとわりついていた。父に時計をつけてもらってまた外してもらうのも好きだった。手をすぼめるとするっと腕時計は抜け落ちた。それがどうだろう? あの細くかよわかったわたしの腕は、こんなにも大きくなったのか。もうこの時計は抜け落ちたりはしないのだ。

そうか、わたしには父を好きだったときがあったのか。我ながら驚き、その拍子に捨てかけた腕時計をポケットに入れて、自宅に持ち帰ってしまった。たぶん1960年代のセイコーの腕時計。シンプルな文字盤がとてもきれい。バンドはまったく痛んでいない。なんだかかわいくなってきて、父のタバコのヤニとか垢とか脂とか、こってりした汚れが落としてきれいにした。

東アジア各地には、遺骸が白骨化するまで何年も待ち、遺族が骨を洗って改めてお墓に納める「洗骨」という葬送の儀礼がある/あった。父の腕時計を浄めながら、骨を洗っているみたいだなと思う。父との関係にあったいやなこと、暴力とか怒鳴り声とか嘘とかの記憶を、この汚れと一緒に落としてしまえたらいいのに。

いや、そういうのも無理に忘れようとしなくていいか。父の形見なんていらないと思ってたけど、ひとつくらい、父にとってしあわせな記憶を、わたしの手元に残しておこう。たぶん、どっちもあったほうがほんとうに近い。記憶って過去に属するようで、思い出している今このときにおいて、歪みを直して再構成することもできる、と思う。

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