母の思い出

母がちょうど還暦になり、その頃は焼き鳥屋に勤めていた
歌が好きで楽しそうに仕事をしていたように私には見えた
厨房の中で汗びっしょりになり、洗いもをし食べ物を運び座ることなどなく
くたくたになって帰ってきていた
その日、お店のマスターから自宅に電話があった
お母さんが座って寝ていてどうしても起きない、と
私は車でお店に向かった
着いて様子を見たら椅子に座って鼻水を垂らし、うなだれて寝ていた
普通ではないと
車までおんぶして運び病院へ向かった
時刻は21時過ぎ
途中、車内で母は嘔吐した
総合病院の救急外来に到着し当直の看護師さんを呼びに行った
しかし、意識のない母を見て今は対応できないので別の病院へお願いしますと言われた
母は救急車で私は車で労災病院へ行き即、脳のCT検査
結果は右側頭部に約7センチ幅の脳内出血があり、手術を早くしないと脳ヘルニアで呼吸が止まり亡くなってしまうということ
その頃には父も親戚の方に車に乗せられて病院に到着していた
手術同意書にサイン
幸い当直の先生が脳神経外科の方だった

約五時間の手術が無事終わり母が手術室からストレチャーに横になり出てきた
集中治療室で体には何本もの管につながれ。モニターの電子音が静かに鳴っていた
頭部は包帯や布で覆われていて口にも管が入っている

それから一か月半意識が戻らなかった
私と父はどのようにその期間を過ごしたのかあまりハッキリ覚えていない
仕事の途中、仕事終わり
毎日、集中治療室に通い手を握り声を掛け続けた

意識はほんの少しづつ少しづつ戻って行くのだなと初めて実感した
もうあと少し意識が戻るのが遅ければ通している管に痰などが付き気管切開しなければいけないところだった

その後,
日に日に一本づつ管も減っていき
食事の訓練、言語訓練と回復に向かった
左半身麻痺は残ったものの先生から奇跡ですよとまで言って頂いた
元気がとりえの母にゆっくりゆっくり戻っていった
寝たきりでもデイサービスに通うのが楽しみ、訪問看護の方が来られるのが楽しみ元気な母に戻って行った

不自由な生活が16年続いたが
亡くなる二、三年は口癖が「ばぁちゃんは死んだっか」だった
会いたいんだろうなと、思いながら聞いていた
祖母はもう私が小学3年生の特にはなくなっている!

思い出す場面を作って頂いて感謝してます
チャンチャン❣

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