「木野」(村上春樹)の読書メモ

「女のいない男たち」という短編集に「木野」という印象深い小説がある。

タイトルになっている「木野」とは、主人公の名前であり彼が仕事を辞めて開いたバーの店名でもある。
村上春樹を読んでいると、スピリチュアルな要素を感じることが多いが「木野」はそれが特に色濃い。
ここでは出来事の象徴的な意味が問題になる。
誰かが死ぬわけでもなく、具体的な災難が起きるわけでもない。それが予感されるに過ぎない。
しかしその予感、象徴性が物語を決定的に動かす。
現実世界と象徴世界が一体となる。そこがスピリチュアルなのだ。

木野の店の周りに立て続けに三匹の蛇が現れ、木野に何か悪いことが起こりつつあることが暗示される。
カミタと名乗る謎の男の忠告によって木野は店を閉めて各地を移動することになる。それは自らを取り巻く悪いものを祓うための宗教的行為のようだ。

ケガレ…。
この小説は、現代におけるケガレについて書いているのではないかと思った。
ちょうど網野善彦の中世日本史の本を読んでいて、ケガレという語が出てきたからそう思ったのだった。この前近代の呪術的世界像がこの物語に重なった。
「ケガレとは、自然と人間社会との均衡が、人間の意志を超越した力によって崩れた時に起こる事態に関わる観念」とその本にある。
中世においてケガレは特に人の死や子供の誕生に関わっていたらしい。

木野に生じたのは一種のケガレだと僕は思う。
しかしそのケガレはとてもわかりにくい形を取っている。
そこでは誰かの死も、具体的な災難も(まだ)起きない。
カミタがいうように、木野は責められるような、正しくない行いをしたわけではない。

木野は傷ついた自分の心と向き合うことをしなかった。「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ」。
ある意味ではたったそれだけのこと。
しかしそれを一種の悪として、この小説は描いている。

心と意識の関係性が変質した。心を無視して意識だけで生きる。そうして現代の人々が抱え込むことになったケガレ。

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