磁器のドール、渋皮煮、コゲラ 2022年10月30日週次投稿
週のはじめの記述のストレッチ、週次投稿です。
今回は土日の日記です。
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久びさに渋皮煮をつくったから良ければお裾分けしますよ、と伯母から連絡があって、土曜日の午前中に隣駅の伯母の家をたずねる予定が出来たのが先週の木曜日だった。子どもの顔も見せたいという気持ちがあったものの予定があった上の子は諦めて、下の子に栗のお菓子をもらいにおばちゃんの家に行こうと声をかけると思ったより嬉しそうな反応で安心した。
どこに行くのと聞かれて隣の駅のおばちゃんの家だよと応えるときに前回たずねたのがいつだか思い出せない。前にあったときは伯母が妹と一緒に家に来てくれたんだったと思う。
伯母の家は自分が島根の実家から出てくるときに居候というか世話になっていた家で、当時は伯父一家と伯母と祖父のいる二世帯住宅だった。暮らして何年かで祖父は亡くなって、私は別のアパートで一人暮らしをするようになり、同じ部屋に妹が越してくることになった。というより、妹が越してくるときに、頃合いだろうということで私が引っ越した。
自転車の後ろのシートに下の子を乗せて大体20分弱くらいの道のりを移動しているときに通っているのは当時と余り代わり映えのない駅から家への道で、その道は学生時代の自分の記憶を惹起する道ではあるものの最近は散歩で歩き倒しているのもあって少なくとも感傷的にはならず、それでも目的地が伯母の家というのもあってかいくつか散歩中に思い出さないことを思い出させた。
後ろに乗っている子どもにいい天気だね、今度いつ落ち葉を拾いに行こうかと話しかけながら自転車をこいでいるとき、同時に記憶をなぞるような感じがあったかもしれない。
ここに美味しいラーメン屋があった、この路地をはいったところに一時期通っていた友人の家族がやっているバーがあった。それとは別のよくバイト先から一緒に帰っていた友人の家がこの近くにあって、ここ何年かでお母さんは独りになっていて、植物は好きだけど細めに手入れはしないから友人は月に少なくとも1度実家に帰るときには庭の掃除をすることになる。
「もうずっとこんな感じがいいんだけどね」
と居酒屋で友人に話すとき、そうもいかないだろうという意識があるからそういう伝え方になる。それに同意してくれた方にもそういう意識があったから家族の状況の話になり、近ごろの趣味というか気持ちのあずけどころの話になった。
伯母は娘に何を飲みたいかたずねて、あったかい牛乳でいいかな、そうだカルピスがある、と言っていたけど、家の玄関先で渋皮煮を受け取ってすぐに帰るかもと思っていたから子どもを連れて行くことは伝えていなくて、だからカルピスはたぶん子どもに用意したわけでなく、好きで買っている。
子どもの運動会が重なって出席できなかった年のはなれた従姉妹の結婚式の写真をインターネットのサービスで眺めて、自分がいたときとはテーブルの向きがかわったリビングの周りの細ごました趣味のものを見るともなく見ていると、その中のいくつかの磁器のドールに子どもが関心をもったのを伯母はたぶん嬉しくて、小さいのがあるから持って帰る?と子どもに聞いて、部屋から羽のはえた男の子と女の子のセットの磁器のドールをもってきて、緩衝材にくるんでもたせてくれた。
趣味の焼き物のための釜だったり、他の設備はバラして処分したと伯母が話したとき、そこからどんな気持ちを読み取ればいいか今の自分にはまだわからなかった。こうして書いてしまったから多分ずっと覚えていることになると思う。
帰ってその日の3時のおやつに渋皮煮を食べた。ほっこりしてほの甘いいつもの伯母の渋皮煮だった。伯母はすこし硬いのがまじってるかも、と言って渡したけど、同じように当たりがあることも私は知っていて、それは自分以外の家族に当たればいいと思った。
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朝の散歩でふと街路樹から何かが落ちたように見えて、それが落ち葉ではないと気づいたとき、コゲラがその木の皮をこそげ取っていた。おお、このあたりの街中では珍しいと思って写真をとっている間にも熱心に木の幹を叩いている横にシジュウカラが2つ、すぐ近くまで寄ってきていた。
少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。