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反復の断片 2022年11月27日週次投稿

週のはじめの記述のストレッチ、週次投稿です。
今回は書き物の貼り合わせです。



朝の気温が10度を下回る日がでてきて散歩するときに何かしら羽織ってちょうど良いくらいになってきた。歩きはじめて指先が冷たくなるとポケットに手を入れたくなって、少し背中が丸まるのか視野が狭まるような感じもあるけど、歩いていくうちに手は冷えているなりに外に出ていても気にならなくなる。

出かけるときに着る上着を目にして、手袋をつけてでようか、暑くなってきたら外して上着にしまえばいい、と思っていてもポケットの膨らみのわずかなひっかかりの感覚を思い出す、なくて済むならない方がいい。

空気の澄み方で遠くの山並みの輪郭がはっきりするようになってから散歩で目当てにするのも自然と見渡しがある方に向かっている。頭の中の目当ての眺めにひっぱってもらいながら、歩きなれた周囲に特に注意を払うでもなくイヤホンから聴こえるポップスの歌詞の方に意識を向ける。

祖父が亡くなったとき、棺に祖父が自分で考えた?自分の神様の木彫りの像を伯母がおさめていた。伯母は祖父が痴呆になる前から一緒に暮らしていながら祖父のその信仰とも何とも言えない対象のことをどう思っていたんだろうか。いま自分が知っている範囲の語彙でいえば妄想症ということになるだろうか、実家と祖父の家をつなぐ電話では、考えたものがそのままそうなるような世界観の話をいつもされていた。世界観というより、祖父にとってそれが世界だった。

子どもはまだしも周りにいた大人たちもそういう祖父の世界に反発するでもなく適当にあしらうでもなく自然にみえていたのを、多分あなたは子どもだったからわからなかったんじゃないの、と言われたら何も言い返すことはできない。事実私は子どもだった。自分で考えた神様とその神様が表現する世界と6畳くらいのベッドが部屋のほとんどを占めているような印象の祖父の部屋の小さい冷蔵庫にいつもはいっていたコーラとを祖父はどうつなげて考えていたんだろうか。思考によって存在したわけではなく、孫が夏休みで遊びにくるからと近所のスーパーで買ってきただろうコーラを。

昨日髪を切りに行った20年くらいの付き合いになる店の人は中の音楽をその人がそのときによく聴いている曲を流している。それは90年代や00年代のロックであったりポップスであったり、たまには最近の曲も。○○くん、やっぱりこれカッコいいよね。とか言いながら髪を切るあいまあいまでYoutubeの曲を切り替えていく。かけている音楽の趣味に重なるところもそうでないところもあって、昔は楽器をやっていた人でもあるらしく話される技術の上手い下手のことはやったことのない自分には本当のところよくわからないところもあるが、ブルーハーツだったりブランキーを聴きながら任せきりの自分の髪がどんな風になるのか眺めているのは楽しい。

「あれ何?こわい」と下の子が15時過ぎくらいにイオンから出て自転車に乗る前に飛んでいる鳥の群れに気づいて目が離せなくなっていた。ムクドリは近くの公園でも見たことあったよね、見た目は結構かわいいんだけどね、とか言いながらこの時間でももう群れになっていると日の短さのことがあらためて意識された。冬至までまだひと月近く、と建物の上を見え隠れする群れの方を横目に子どもを乗せた電動自転車を漕ぎ出した。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。