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ひろゆきっぽいやつは酔漢より厄介

最近は本を読むときに読了するということを努めて余り意識しないようにして、ある程度決まった3,4冊の本をあまり疲れない程度にパラパラできればいいやということにしている。 

その中の一冊が内田百閒の『御馳走帖』で、百閒が食に少しでも関われば文句あるまいみたいな感じでスンとしているのが目に見えるような様々な切り口の短いボリュームの文章が詰め合わせになっている。
どこを読んでも大体(自分の気分がよければ)笑えるようなことが書いてあるが、最近気に入ったのが「宿酲」(シュクテイ→二日酔いって意味みたい)という文章。

この中に出てくる翠仏という新聞記者は大変な酒乱で、百閒が晩に「麦酒を何本か飲んで大分いい気持ち」になっているところ、「表の往来で大変な人声」がしたときに、多分翠仏だろう、とすぐに察しがつくような人物らしい。

この翠仏の得意技は、自分の気に入らないことがあったら、「玄関の土間にある先客の下駄や靴をあっちこちに蹴っ飛ばし」てそのままどこかに行ってしまうというもので、

数年前の元日に、翠仏の仕事の関係で某省の局長の家へ年賀に行つたところが、碌でもない奴等がへいこらやつて来て、新年早早局長におべつかを使つてゐるから癇癪にさはつた。大勢の年賀客より一足先に出て来て、広い玄関の土間に磨き立てた靴が何十足も列んでゐるのを、みんな表におつぽり出して滅茶苦茶にしてしまった。後でお客達が帰る時、自分の靴を見つけるのが大騒ぎで、やつと片足は拾ひ出しても、何十と云う似た様な形をした物が勝手放題に散らかつてゐる中から、その対のもう一つの方を探し出して揃えるには大変だつたさうだと云つて、翠仏が後で面白がつてゐた。

読んでしばらくたって、散歩のときにこのエピソードを反芻しているときには、客の中には自分の靴をすぐに見つけてしまって、他の客が靴を探しているのを気まずく見守った人もいるかもしれないなぁ、などと思った。

でもいまこれを書いていて困ったのは、自分の中にインストールされたひろゆきっぽいやつが「これ酔っ払いの作り話ですよね」と言ってきてしまったことで、こいつの方が翠仏より余程厄介だと思う。おかげではじめに書きたかったことを書き損ねてしまった。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。