後編【ネタバレしかない超長文レビュー②】大谷翔平のドキュメンタリー映画「Shohei Ohtani - Beyond the Dream」
前編はこちら↓
<前編のあらすじ>
・感想1:構成が良かった
・感想2:今の大谷翔平があの「大谷翔平」になったのは必然だった
①彼自身の思考力の高さ(賢さ)→それに基づく「選択」
<後編の予告>
②周囲からの大きな愛と圧倒的信頼
・感想3:大谷翔平の気品がすごい
・感想4:ありがとうエンゼルス
(前半、3行にまとめられたじゃん…あの拷問みたいな長文は何だったの…)
【おことわり】
前半を最後まで読まれた根気強い方なら薄々気づいていたかもしれないけれど、この文章、後半になればなるほどテンションupに反比例するように濃度がどんどん薄まっていきます。つまりこの後編、実質中身はありませんw
まぁ、あまりの薄っぺらさに「夢の向こう側」が透けて見えるんじゃないかという期待感を醸成するのが狙いなんですけどね?(違うだろ)
そんな薄っぺらさにお付き合いいただく覚悟がある方だけ、良かったら読み進めていただければ、と。
人を狂わせる巨体の小悪魔
さて。まずは、大谷翔平のインタビュー動画を見る時の栗山氏の表情を見てほしい。
え、ファンじゃん!
もしくは、送られてきた初孫の動画をエンドレスリピートするおじいちゃまw
ていうか、大谷翔平の動画を見てる時の自分かと思った。あービックリした。大谷翔平の動画を見ている時は十中八九こんな表情です、私。
周囲の人々をファンのように、親のように、親衛隊のように変えてしまう。
何よりすごいのは、ご本人に「人を動かそう、人を変えよう」という意思があまり無い(ように見える)のに、その才能と魅力で人を勝手に動かしてしまうところだ。
周囲にいる人だけでなく、画面越しに見ているファンも。
あの真っ直ぐさ、ひたむきさ、笑顔、キラキラした瞳、まもりたい。
なんでニ●アのCMオファー来ないのか不思議なくらいまもりたい。
ニベ●のCMは何年経とうが誰が歌おうがブレずに「まもりたい」しか歌わない。よっぽどまもりたいのだろう、人類の肌を。(特技:横道逸れ発動中)
大谷翔平をまもりたい・・・
まもりたい・・・
いや、まもれないかもしれない・・・
どう考えてもまもれない
こんなにまもりたい巨体(193cm約100kg)があって良いのか…
「国民の息子」を超えて、今や「世界の息子」ショーヘイ・オオタニィ!〜Beyond the Son(息子の向こう側)〜
本作の中でも栗山氏は親ゴコロ名言を連発する。
チームを勝利に導くことが大命題の監督という立場にありながら、「大谷翔平の成長、未来」こそが何よりの最優先事項だなんて…「翔平ファーストの会」会長かよ…(泣)
やはりプロ入り最初に日本ハムという球団を選んだこと、栗山監督と出会ったことがいかに大きかったか、改めて感じざるを得ない。
栗山氏だけではない。
監督、コーチ、チームメイト…大谷翔平の身近で関わった人はみんな彼にメロメロだ。代理人のバレロ氏もその一人。
本作の中で、バレロ氏はこんな素敵な発言をしている。
文字数の関係か、字幕はあっさりと訳されていたけど、私はバレロ氏の燃えるパッション、たぎる愛を見逃さなかった。
後半なんてエド・シーランあたりに良い感じのメロディつけてもらえれば究極のラブソングの爆誕だ。
パッション込めて意訳すると…
「俺が愛する翔平が一番得意とするのは試合を楽しむこと。死ぬほど野球を愛してるんだ。彼の野球に対するとてつもない情熱は俺が守る!翔平と野球の間に立ち入るものは人だろうがなんだろが許さネェ!誰にも邪魔はさせネェ!(ハリウッドスターみたいな風貌で※ここ重要)」
愛が!!スゴイ!!!!!
近ければ近いほど、期間が長ければ長いほどメロメロ度合いが高まること自体が、大谷翔平がどれだけの小悪魔かを物語っている。
花巻東のグラウンドで高校生の大谷翔平を見た時に「天井のない素材に心が震えた」と栗山氏が映画の中で語っていたほどの圧倒的な才能とポテンシャル。
加えて、私が彼を見ていて才能と同じくらい特別だと感じるのは、その「愛され力」の高さだ。
映画に登場する3人の元監督たちも、代理人のバレロ氏も、大谷翔平を信頼しきっている絶対的な味方だ。
「彼なら大丈夫、必ずやってくれる」
「彼に賭けてみたい」
「彼のために全力を尽くしたい」
映画に登場した以外にも同じような想いで大谷翔平を見守っている人がどれだけいることか。
「翔平が自分で決めたことなら野球の神様が味方してくれる」という栗山氏の言葉も、妙な説得力がある。大谷翔平を前にすると、「いるかもね、野球の神様」と真顔で思ってしまう不思議。
彼の活躍と成功を願って止まない多くの人々からの愛と信頼が成功の礎にあるんだな、と映画を通して改めて感じた。何千文字と消費して、ようやくここで「感想2:今の大谷翔平があの「大谷翔平」になったのは必然だった」の冒頭で書いた内容に行き着く。
まぁわかっていたことではあったけれど、改めて。世界が驚くような成功の裏側にあるのは驚くようなタネや仕掛けではなく、驚くほどの当たり前なんだな、と。
すべての当たり前が高次元の高密度で揃った結果が「大谷翔平」。
たまたまでもラッキーでも魔法でも宇宙人でも何でもない。
「大谷翔平は愛されるべくして愛され、そして、なるべくして今の大谷翔平になっている」
この「愛され力」についてはもっと深掘りして書きたいのはやまやまなのだけど、語り出すとまず一万文字ではおさまらないので、ここでは割愛するとして。
彼のその「愛され力」を構成する要素の一つとして、独特だな~と思う「気品」について、映画の感想の一環として書きたい。
歩く気品の宝庫
大谷翔平の歴史を追っていると本当に素敵な歳の重ね方をしているな、とつくづく感じる。
ココ・シャネルの有名な言葉で
「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生きざま。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」
というものがあるけれど、大谷翔平の顔つきや佇まいにもまさに生きざまが刻まれている。
決して力を誇示するわけではないけれど、自信はオーラや存在感となって表れ、実直で高潔な精神そして思慮深さは気品や目の輝きとなって表れている。
元々の素質があったのだとも思うけれど、自信や気品は歳を重ねながら獲得していったもののように見える。
大谷翔平のあの野球選手とは思えない溢れる気品は一体なんなのだろう。
彼のバッティング、ピッチング、ベースランニングを見て、「ワイルドとエレガントは共存するんだ」、そう思ったのがどこまでも深い大谷沼にズブズブと沈み込んだきっかけだった。
フルスイングする瞬間も、マウンドで雄叫びを上げる瞬間も、とてつもないスピードでベースに滑り込む瞬間も、そこに必ずエレガンスがあるのだ。
フォームが美しい。所作が美しい。
単純なルックスの良さ、プロポーションの美しさ、そういうのももちろんあるのだど思うけど、それだけじゃない何かを感じる。
オーラとか、そういう目に見えない類のもの。
あとはやっぱりフォームに関しては、真っ直ぐに丁寧にそして徹底的に理想を追い求めた果ての、理に適ったものの美しさがあるんだろうな。
あんな大きな身体でパワーもとてつもなのに、彼には「怪物」とか「モンスター」という言葉があまり似合わない。「ユニコーン」という表現は本当にうまく言ったものだな、と思う。
プレー以外でただならぬ気品を感じる例の一つが、かの有名なWBC決勝前の声出し、「憧れるのをやめましょう」。
もちろん内容的にも素晴らしいのだけど、私が驚いたのはこの高貴な微笑み。「世界一とったるゼ!」とアドレナリン噴出中の試合直前にこんな菩薩みたいな顔で仲間を鼓舞する人いる!?
こんなキラキラした目、優しそうなハの字眉、穏やかな微笑みの下にはメラメラとした闘志を隠し持ってるんですよ!
私の分厚いフィルターを介して見ると、ほぼこう見えているというのに…!
それが、ひとたび試合始まったらこうですよ。
数時間後の菩薩↓
自分の闘志でさえも意のままにコントロールして出し入れ自由なのすごくない?
だから前頭前野が仕事し過ぎだってば!!!(詳しくは前編でw)
えーっと。だんだん何の話をしているのかわからなくなってきた。
話を戻そうか。そもそも何だったっけ、この文章。あ、映画の感想だw
「気品」というキーワードを出した時点でこうなるのは目に見えていたけれど、気品を避けてこの映画の感想は語れないのだ。それくらい映画内で語る大谷翔平も気品に溢れていた。
もう大谷翔平が喋っているシーンだけ切り出して、「気品溢れて知的でそれでいて鼻につかない好感度バツグンな話し方」っていう教則動画としてそのまま出して一山当てたいくらいだ。(気品の話をしているのに発想が下品)
頷き方、手の動かし方、表情の作り方、相手の話を聞いた後の穏やかな微笑み・・・
「この人信頼できる感」が滲み出ているし、どれを取ってもビジネスリーダーのそれなのだ。説得力がすごいのだ。
10年前まで「デブじゃないもん」などと言いながらどんぶり飯を食べていたのに、いったい何が起きたのか。
想像してみてほしい。
腕肩まわりパンパンでシワ寄りまくりのBOSSのスーツを身に纏って、大谷翔平が営業マンとして現れたら・・・
前編に続いて2度目の登場の商談成功率100%谷 ↓
映画内で何度となく見られたあの穏やかな表情と身振り手振りを交えて「私はこれを保険商品だと思っていないんですね。言うならば、ご家族の愛と絆なんじゃないかなと思います」なんて言われたらハンコを押さずにいられるのか?
保険商品だけでは飽き足らず、ツボでもなんでも買ってしまいそうにならないか?
やはりビズリーチが放っておくはずがない。(「詳しくは前編で」再びw)
気品といえば、もう一つ書き添えておきたいのが、映画内で大谷翔平が毛筆で目標を書くシーン。あれも「大谷翔平気品館」に展示したい素敵モーメントであった。
字はその人の性格を表すと言うけれど、筆の運びに迷いがない、丁寧だけど潔い、癖がない、そしてやっぱり美しい。
後から知ったけれど、若き日の大谷翔平の指針の一つとなったマンダラチャートの裏に書いた「世界一」という言葉は大谷翔平ご自身が決めたそう。
なんとも彼らしい。ほんとに清々しいほどブレがない。
さぁ、ここでいよいよ最後の「感想4」です。
あと一息です。
負けないで、読者!やめないで、ピュア!
ありがとう、エンゼルス
選択と決断。自身が選んだ道が果たして「正解」だったのか。「成功」なのか。
そんな問いが劇中度々繰り返されている。
私は人生の選択に絶対的な「正解」「不正解」なんてほとんど無いと思っている。
大体のことはどれが正解だったかなんて、たぶんこの世を去る間際まで、いや、去ってからもわからない。
どの道を選んだとしても「これで良かった」と思う瞬間、「あっちを選べば良かったと思う瞬間」両方あるんじゃないかな。
要は自分が選んだ道を「正解」だったと自分で決めるかどうか、そして「正解」に変えていく努力をできるかどうか、そこなんじゃないかな、と。
だからこそ、メジャー最初の球団としてエンゼルスを選択したことについて、「正解だった」と、大谷翔平自身の口から聞けたのがたまらなく嬉しかった。
映画終盤の彼の発言から察するに、心からそう思っている部分と、そう思おうとしてる部分が入り混じっているのだろう。
「これが正解なんですよ」と言い切るのではない。それがかえって良かった。繕われた言葉ではない、素直で正直な想いなんだと受け取れたから。
正解だったかどうかの答えを「過去」に探そうとしない。
正解かどうかは自分自身が、「未来」が決める。
やっぱりこんなところも大谷翔平らしい。
この記事を思い出した方もいるのでは?
エンゼルスの負けが込んだ今年の後半戦。
FAを控えて、現地メディアやファンを中心に「エンゼルスは大谷翔平の6年間を無駄にした」という論調が強まっていたことに胸を痛めていた私はこの記事に随分と救われた。
そして今、この映画を見た後も同じような想いを抱いた。
小学生みたいな感想だけど、大谷翔平が選んで、愛した球団、そして何より今の大谷翔平を作り上げたエンゼルスという球団に改めて感謝したいと思った。
「良い人たちばっかりで」と大谷翔平が語った後の、入団後初HR後のサイレントトリートメントの映像はじーんときちゃったなぁ。
そして、次の章(SHOW)へ
この映画、公開時期も良かったと思う。
恐らく大谷翔平がFAを迎え、30歳を目前に控え、次のステージへ向かうタイミングに照準を合わせて制作を進めたのだろうな。
メジャーリーグでの大谷翔平の歴史を一旦振り返るには素晴らしいタイミング。
エンディングにかけて、これまで大谷翔平が積み重ねてきた努力と選択への感謝、大谷翔平に愛を注いできた人々への感謝と共に静かな感動が押し寄せてくる。これまでの大谷翔平の登場曲BGMがファンはグッときてしまうのだけど、内容としては決してお涙頂戴なわざとらしさはない。
仰げば尊しをBGMに栗山氏から託された想い。
「世界一」の裏側はまっさらな白紙。
そこに大谷翔平はどんな未来を描くのか。
鳴り止まない拍手とMVPコールが響くスタジアムの光へと向かう後ろ姿。
まさに大谷翔平のnext chapterを予感させる。
本なら「読後感が良かった」だけど、映画の場合はなんていうんだろうか。
とにかく気持ちの良い余韻だった。
前人未到の挑戦にはこれからも思いがけない苦労や試練が伴うかもしれない。
でも、大谷翔平なら多くの人に愛され、野球の神様に見守られ、すベての選択を正解に変えていくのだろう。彼らしく飄々と、楽しみながら。
「これは野球史上類を見ない選手の物語」。
「SHOHEI OHTANI」の物語はまだまだこれからだ。
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