「仮面ライダーオーズ 復活のコアメダル」を見て(ネタバレあり)

久しぶりの投稿。
今日は先日見た、仮面ライダーオーズの新作に関して止めどなくあふれ出るこの思いを連ねていこうと思う。

まず最初に。

諸君、私は仮面ライダー全肯定信者である。

みんなが嫌いで嫌いで仕方がない、全肯定信者としての職務を自分から意識して為しているのが、私だ。

そんな私が今回の作品の感想をこれから書くのだが……

一つ、特に今作に不満を持ってるやつに声を大にして言わせてくれ!

お前は何もわかっていないと!


あの結末を見て、どうしてそんな酷なことを言えるのかと。
お前は仮面ライダーオーズから何を学んだのだと。
ただの一娯楽作品としてしか消費していなかったのかと。
もう本当にもうこればかりはめんどくせえ厄介なオタクでいさせてくれ。

個人の意見でもこの結末を酷評するのは許さないぞ、と。

でもわざわざクソリプしにいくことはしないから安心して。

まあ、それでだよ。
だめだ上手く頭まとまんねえな。

今作を100人が見て99人が喜ぶものじゃなく、オーズの最終回から10年、燦燦たる思いを持ち続け、擦られ続けるアンク復活フラグを色々な思いで見て、様々な思いを巡らせてきたたった一人のためだけの映画なのだと、俺は思った。

そんな方法で作った作品を商業で、しかも人気なコンテンツでやるなと言いたげな顔してるなそこのお前。

うっせえ!黙って見てろッッ!

今作はとにかく、仮面ライダーオーズが大好きなファンのみなさんのために作られたものではない。
これは……娯楽物語じゃない。

伝記だよ、これは。

火野映司という人間が終わりを迎える。
ただそれだけの話なんだよ。
俺たちはその終わりを見届けた。看取った。それだけなんだよ。

人を看取るのに、好きも嫌いも、肯定も否定もあるわけないだろ。
お前は身内が子供を助けて亡くなった時にこんな死に方はいやだなあと思うタイプか?
例えが悪いって?
残念ですが俺は火野映司を作品のキャラクターでなく確かに生きてきた人間として考えております。

んでまあ、俺が言いたいのは。

今回の作品は、評価を下すという行為が間違っている、ということです。

散々だろう世の意見は。
見事に二極端に分かれてるよね意見が。
でも俺はあえて、今作に好き、嫌いの感情をぶつけることはするべきではないと意見しよう。

この映画を見るにあたって、少しでも、無意識にでもこんなハッピーエンドになるんだろうなと思いながら見ることは間違っているぞと。

ただ、受け入れろ。受け入れろ。

彼らに幸せになってほしい、逆に不幸になってほしい。そんな気持ちこそが、映司を都合のいい神様足らせる自分たち身勝手な欲望なんじゃないかと、なぜわからないのか。

これは一体、誰のための物語だ?
映画を見る観客が満足するための物語か?

違うだろう。これは他でもない、アンクと映司の物語だろ、と。
これは俺たちが始めた物語じゃねえんだよ。
二人の物語なんだよ。

今回の脚本を担当した毛利さん。
パンフレットを見る限り覚悟が伝わってきた。
きっとこうなるんだろうとわかっていながら、この航路に舵をきってくれたんだと思う。
観客の満足度を一切考えないで映司ならどうするか、こんなとき映司はどんな選択を取って、満たされるか。
そしてその最期は。
ひたすらに映司のことだけを考え続けてきた、壮大なお葬式。

お葬式に灰を投げつけるガキではないだろ俺たちは。

俺はすごく嬉しかった。
観客たちの身勝手な期待、欲望を満たすこと以上に映司に寄り添ってくれたこと。
満足させるためだけのエンドにしない、彼ならこんな結末を迎えるだろうと、知っていて形にしてくれた制作陣に多大なる感謝を。

映司を確かに生きた人間として書いてくれてありがとう。

映司を安らかに眠らせてくれてありがとう。

あんなに満たされた映司の死相を見てしまったら、何も言えない。

だからさ、俺が言いたいのは、つまり。

君たちのこれじゃ足りない、満足できないという願望で彼の死体を掘り起こすのだけは、やめてくれ。
ただの娯楽として、物語として消費しないでくれ。
もう、眠らせてやってくれ。

地球規模の欲望が、大切な人と再会して手を繋ぐっていうちっぽけな欲望に変わって、何年もの旅路の果てに叶えて満足して、新しい旅路に足を踏み入れた映司の足を、引っ張らないでくれ。

俺が言いたいのは、これくらいかな。



おまけ

今作を見て、どうして俺が仮面ライダーが好きなのか再認識させられた。
実を言うと俺は、本当に仮面ライダーに関しては嫌いなものがない。
何が一番好きかも答えられない。
強いて言えば日によって変わる。
さらに強いて言うならば俺はランキング投票があったとき、いつも仮面ライダーゴーストに投票している。
なぜなら仮面ライダーゴーストに命を救われたからだ。
天空寺タケルがいなかったら、俺はもうとっくに死んでいたかもしれないと思う。
その感謝を込めて、ゴーストに投票している。

まあそんな話はさておき、俺は仮面ライダーを見ていて不満を持つことが人生で一度なかったのだ。
子供のころから変わらず見ていてそうなのだ。
君たちの大嫌いなゼロワンだって俺は大好きだ。
物語の展開に問題があると言われても俺は首を傾げてそうか?展開も問題がない素晴らしい作品だと思うがと答えるだろう。

きっと盲目な信者だと思われるだろうが……俺は別に盲目でいい。
(役者の不祥事に関しては仮面ライダーの世界の管轄外なので普通に罵倒するが)

そんな俺が仮面ライダーを愛する理由として自覚しているのが、

仮面ライダーを創作物語でなく、伝記として見ているから、というのがある。

それを自覚したのが、ゼロワンのリアルタイムと、スーパーヒーロー戦記だ。

ゼロワン本編で何度も迷った末に答えらしいものを見つけて、映画でその答えのために血反吐を床にぶちまけてでも走り続ける。
その答えがどんなものであれ、俺はその姿にいつだって感銘を受けてきた。

そしてスーパーヒーロー戦記で、鈴木福が演じる少年が語った一言が、俺の仮面ライダーが好きな理由に直結した。

「僕が書きたいのは、今を精一杯生きている人たちだ」

こんなセリフだった気がする。
いわば、瞬瞬必生。

俺は瞬間瞬間を必死に生きている人たちにいつだって胸をときめかせていたんだなあって自覚した。

今作もまさにそう。
一人の男が精一杯生きたその果てに、やっぱり俺は焦がれてしまった。

これからも精一杯生きてくれ、全ての仮面ライダー。

俺もいつか、そんな彼らの勇士を書くことを夢見て。

了。

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